第6章 枯れ木の下
師走十六日、夕方の鐘が鳴るころには、荒れ野の雪はすねまで沈むようになっていた。北西の風が雪面を擦り、毛皮の襟を深く被っても頬の皮が硬く痺れた。空は薄曇りで、太陽の輪郭が滲んだように白い。影が消えると、距離の読みようがなくなる。遠くのものも、足元のものも、同じ白さに溶けていた。
荷馬の蹄音は雪に吸われて鈍く、そりを引く革紐は凍って棒のようになっていた。手袋の中で指が痺れ、時々拳を握って血を巡らせるしかなかった。
「あそこだ」
先頭のダリオが、枯れ木の下を指差した。
一本の枯れ木が、雪原に黒い骨を広げていた。見上げるほどの高さで、枝は空を攫うように突き出している。その根元に、石積みの小屋がへばりついていた。
屋根の半分は落ちて、残る半分の下には古い薪棚と、灰に埋もれた炉があった。扉は外れて、錆びた蝶番が雪の中に転がっていた。
「風下だ。当たりだ」ダリオは言った。「薪もある。運がいい」
一行は荷馬を枯れ木の陰に繋ぎ、そりの雪を払った。荷馬たちは鼻を鳴らし、不満げに足踏みをした。餌の時間を覚えているのだ。
ダリオとフィンが小屋に入り、床の雪を踏み固める。壁際に兎の骨が散らばっていた。長いあいだ誰も使っていない、猟師の小屋らしい。灰の上に、古い足跡が獣のものばかり重なっていた。空気は冷え切って、埃と古い灰の匂いが鼻の奥に張りついた。
ガズは小屋に入るなり、炉の前に座り込んだ。
「ガズ、火がつくまで待て」
「待っている」
ダリオとフィンが枯れ木の枝を拾いに行った。リナが小屋の床の雪を綺麗に掻き出し、毛布を敷いた。ベルントは荷馬の鼻筋を撫でてから、荷の紐を触った。触れて、緩んでいないことを確かめて、また触れた。
火がつくと、ガズはずるずると炉に寄った。
半腕ほどの距離まで寄って、太い尻尾を火のそばに伸ばした。灰色の鱗が熱を帯びて、黒く光り始めた。
「近い」ダリオが言った。
「ぬるい」
「鱗が燻ってるぞ」
「……燻ると、困るのか」
リナが火の前に回り込んだが、ガズの背中が壁のようになっていた。
「ガズさん、火が見えません」
「熱は目で見るものじゃない」
「手を暖めたいんです」
「順番だ。俺が先だ」
リナが笑った。「このままだと焼き蜥蜴ですよ」
「焼き加減は、自分で決める」
ガズはさらに体をずらした。尻尾の先が炎の縁に入り、パチンと小さな音を立てた。
「おい、尻尾だ」
「……尻尾は、熱いと言っていない」
「測りすぎだ」
ガズは目を閉じた。熱い空気が鱗の一枚一枚に染みるのが、蜥蜴人の顔には笑みのように見えた。
*
夕餉は干し肉と麦の粥だった。
黒パンは固く、粥に浸して柔らかくするしかなかった。干し肉は歯で引き裂くたびに、繊維が歯茎に挟まった。塩気が足りない。それでも腹に染みるには十分だった。
リナが粥を啜りながら、懐から銅貨を取り出して数えた。
「十四枚、か」
「雪に沈めた一枚は、思い出代だ」ダリオが言った。
「高すぎる思い出です」
「帰りの麦酒代にもなる。利子はつけないがな」
「利子は麦酒一杯って、最初に言いましたよね」
「言った。だから利子はいらない」
「じゃあ、返すのは麦酒一杯だけですか?」
「元金だ。麦酒は利子」ダリオは粥を啜った。「勘定は、俺がする」
フィンが革靴のつま先を見ていた。「明日は靴の中で凍りますね」
「履き替えの靴下があるうちは贅沢だ」ダリオは言った。「靴下が凍って板のようになったら、叩いて柔らかくする。それも旅の内だ」
「壁の中では、そんなこと考えたこともないです」
「壁の中では、雪は屋根の上にあるだけだ」
ベルントが粥の椀を置いた。
「ここから先か」
「三里塚は過ぎた」ダリオが言った。「ここから先は、野盗と魔物が支配する雪原だ」
ベルントは荷物の紐を触った。
「私の荷も、あの隊商も、この先に消えたのか」
「轍は消えた。だが、雪は足跡を消さない。明日、手がかりを探す」
「手がかり、と」
「車の跡、馬の糞、落とし荷。人が通れば、何かは残る」ダリオは言った。「雪が深くても、荷馬二頭と人が十数人いれば、跡は残るものだ」
「……そうであってほしい」
ベルントは椀を持ち直した。粥を啜る動作が、少しだけ遅かった。
梟の声がした。
枯れ木の上のほうから、低く、間の抜けた声が一度落ちてきた。
リナが空を見上げた。「こんな寒い夜に、誰かいるんですか」
「腹を空かせた梟だ」ダリオは言った。「俺たちと同じで、食うのに必死なんだ」
「梟は、雪の中で何を食べてるんですか」
「鼠だろ。雪の下で動くやつは、上から見えるらしい」
「じゃあ、私たちも上から見えるってことですか」
「梟は人を食わない」ダリオは言った。「食うのは、もっと大きいやつだ」
リナは毛布を首まで引っ張り上げた。フィンが小さく笑った。ガズは火の前で、動かなかった。
*
夜の鐘が鳴るころ、ケスが枯れ木の幹を滑り降りてきた。肩に積もった雪を払い、炎の輪の外側に座る。
「西だ」と、彼は言った。
「西がどうかしたか」
「煙だ。地平線のところに、細い筋が一本。北西の風で、南東へ流れている」
「焚き火か?」
「あの距離で見えるのは、薪を積み上げたような火だ。野営か、あるいは……」
「野盗の見張り火か」
「確かなことは言えない。ただ、あちらは風上にいる。我々の匂いは届いていないだろう」
ガズが火の前で言った。「遠くの熱は、ここからは見えない。ただ、あの方向に何かが燃えているのは、分かる」
「追うか?」フィンが訊いた。
「追わない」ダリオは言った。「明日は手がかりを探すのだ。それが先だ。煙の主が野盗なら、向こうから来る」
ベルントが荷物の紐を触った。
「私の荷も、あそこで燃えているかもしれませんな」
「灰になっていれば、探しようがないがな」ダリオは言った。「荷物は燃やされずに、雪の下に埋まっていることが多い。野盗は重いものを運ばない」
「……そうですね」
ベルントは、また紐を触った。
*
夜半、ダリオは見張りの番で廃屋の入り口に立った。
風は止んでいた。雪雲の切れ間から、冷たい星が覗いていた。枯れ木の影が、月明かりに長く伸びていた。雪面は青白く、息は吐くたびに白く膨らんだ。
西の空を見る。煙はもう見えない。暗闇と、雲と、雪原の白さが混ざり合って、境界がなくなっていた。
(あの煙は、なんだ)
明日、手がかりを探す。その途中で、あの方向にも目を向けることになるだろう。
ダリオは入り口に背を預け、剣の柄に掛けた手を、毛皮の中へ入れた。
夜の冷気が、星の数だけ降っていた。




