↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/16

第2章 依頼

師走十四日、朝七つの鐘が鳴り終わる頃、ダリオは冒険者組合の扉を押した。

扉は重く、蝶番が軋んだ。石壁の冷たい匂いと、古い紙の匂いがする。


暖炉の薪は松だった。

脂が多く、火の粉が飛びやすい。灰の積もった炉床に、新しい薪がくべられたばかりで、根のほうがまだ黒いまま、燃え移ろうとためらっていた。火の粉がひとつ、石壁に飛んで、消えた。床板には年輪みたいな焦げ跡が点々と残っている。何年もかけて火の粉が跳ね続けた証拠だった。


「いい話は、来てるか?」


ダリオは擦り切れた毛皮の外套から、昨夜の雪を払った。


奥の卓に、組合長のエーリカ・ランゲが座っている。

四十代半ば、刃のような目つきの女だ。その隣に、見慣れぬ商人が一人。

南訛りの、腹の出た五十代。話す前に荷の紐を触る癖がある、と聞いていたが、その通りだった。男は今も、膝の革鞄の紐を、指でゆっくりなぞっている。


「ベルント様だ」エーリカは言った。「参事会の依頼に、金を足してくれた」


「金貨二十枚を、ですか」

「その通り」ベルントは言った。


エーリカが依頼票を卓に置いた。参事会の用紙で、隅に判が押されている。

『北の村々へ出た徴税役アルドリックの迎え。帰還の折、税の帳簿と集めた税の護送を務めること。あわせて、消えた隊商の捜索』

余白に、走り書きがあった。

『迎えの隊商が戻らない』


「徴税役は、カルトブルンという寒村で雪に足止めされてる」エーリカは言った。「北の村々の税の帳簿と、集めた税の一部を手にしている。年明けの勘定までに戻さないと、参事会の帳簿が立たない」

「上(かみ)が焦れてるわけだ」

「送れるのは我らだけだ。治安維持隊から隊員が一人、帳簿を運ぶために出る。他は、あんたの仕事だ」


ダリオは依頼票を見た。

余白の走り書きは、墨が薄い。書いた者が焦っていたか、書くのが面倒だったか。

二週間前、隊商が一つ、北街道で消えている。帰り道に消えたと聞く。行方は、誰も知らない。


「そもそも、なんで冬に北へ出た」ダリオはベルントに向き直った。「三つ目の一里塚から先は、冬のあいだ隊商不通だ。帳簿にもそう書いてある」

「参事会が出した、徴税役殿の迎えの隊商です。荷は二週間前、北へ売る毛織物と塩です。隊商に託した。戻らない。雪に埋もれれば、俺の財産のままだ」

ベルントは言った。言う前に、紐を触った。結び目を確かめるように、一回、二回。

「迎えの隊商が戻らない。なら、荷と、徴税役殿と、一緒に探して帰ってきてくれれば、それでいい。金貨二十枚です」


「報酬は、総額金貨五十枚」エーリカは事務的に言った。「前払いが金貨十枚。成功報酬が参事会の分二十枚、ベルント様の分二十枚。失敗すれば、成功報酬はなし」


金貨五十枚。

ダリオは炉の火を見た。松の根が、ようやく赤くなりかけていた。

雪の中を五里も六里も、魔物と野盗のいる荒れ野を歩く。安くはない。だが、手を出すには重い値段だ。


「受ける」


*


「で、他の面子は?」

「そこにいる」


麦藁色の髪の少女が、杖を握りしめたまま立ち上がった。

「リナです。魔法使い、新入り。杖は父親のお下がりですが、火の玉くらいは出せます」

「いくつだ」

「十六です」

「雪の中で出せるか」

「……なんとかします」

緊張すると杖を握りしめる癖がある、とダリオは見て取った。リナは慌てて指を開き、また握りしめた。食えないパン種を捏ねるような手つきだった。


窓際には、鴉人がいた。

黒い羽、鋭い目。窓枠の一番高いところに座っている。

「ケスだ。高い所から、遠くまで見える」

「どれくらい遠くまで」

「見えるところまでだ。鴉は嘘をつかない」

声は低く、乾いていた。


壁にもたれているのは、蜥蜴人だ。

灰色の鱗、太い尻尾。

「ガズ……だ」

言葉少なに、ダリオの顔ではなく、ダリオの靴を見た。それから手を見た。靴と手で人を覚える、と後に聞くことになる。

「熱が、見える」

「そりゃ、便利だ」


灰色の外套の若い男が、姿勢よく座っていた。

「フィン。治安維持隊の隊員だ」

「参事会の使いか」

「税の帳簿と、集めた税を街へ戻すのが務めだ。儲け話じゃない。命令だ」

真面目そうな顔をしていた。若い。


「斥候と衛士は、組合が外から雇った」エーリカは言った。「登録簿には載らん。金は前払い済みだ」

「俺はダリオ。剣を使う」ダリオは皆を見回した。「南の商人殿と、北の徴税役殿。金貨五十枚のために、雪の中を歩くことになった」


リナは、前払いの金貨二枚を手のひらに載せていた。

「二金貨ってことは、銅貨八百枚!」

「銀貨に換えりゃ四十枚だ」ダリオは言った。

「でも、銅貨のほうが、袋をぶら下げた時の重みがあって……」

「重いだけだろう」

「いいんです。数えるのが好きなんです」

リナは卓に金貨を並べ、指で計算をはじめた。

「麦酒が百六十杯。煮込みが八十皿。赤蕪漬けの鶉卵が、四百個」

「食って腹を壊すな」

「一日一個なら、四百日分です」

「一年とちょっとだな。年が明けても、卵が残るぞ」

「え。……あれ? 年明け……って、師走は三十日まで……」

リナは指を折りかけ、やめて頭を掻いた。

「まあいいです。初めての大きな金なんです。毎晩、寝る前に数えます」

「数えすぎると擦り切れるぞ」

「金貨は擦り切れません」

「指が擦り切れる」


「ところでダリオの親父」リナは金貨を握りしめたまま言った。「前ぶんが入ったら、錆び釘亭のツケ、払っといてあげましょうか」

「自分で払う。銅貨二枚だ」

「昨夜、稼げたら必ず払うって言ってましたよ」

「ここは組合の中だ。仲間に嘘はつけん。だが門を出れば、軽い約束は雪みたいに溶ける」

「ええっ。外って、そういう世界なんですか」

「だから前払いってものがある。手元の銅貨こそ、真実だ」

「……なんだか、信用できませんね」

「半分は冗談だ」

リナは胡散(うさん)くさそうに、金貨を懐にしまった。


ベルントが立ち上がり、革鞄を肩にかけた。

そして、また紐を触った。

「俺も一行に加えてほしい。荷の行方は、自分の目で確かめたい」

「商人が雪野を歩くのは、珍しいな」

「荷は命なんです」

言う前に、紐を一度だけ撫でた。


エーリカはペンを取った。

依頼票の末尾に、依頼の条件を書き込み、名を署す。力のこもった、角のある書きっぷりだった。墨が乾くのを待ち、砂をぱらりと振って、依頼票を卓の向こうへ滑らせた。

『エーリカ・ランゲ』

署名は、金貨十枚よりも重く見えた。


「出発は、翌朝六つの開門だ」エーリカは言った。「北門の外は、雪の荒れ野だ。遅れたら、門を閉められるぞ。帰りが遅れれば、越冬だ」

「鐘の鳴る前には並ぶ」

「そりと荷馬は用意させる。毛布、薪、食料。干し肉は多めに持たせる。酒は野宿で二杯までだ」

「なぜ俺に言う」

「一番大きいからだ」


ダリオは依頼票を二つ折りにして、外套の内側にしまった。

暖炉の松が、ようやく根まで火を呑み、炎を立ち上げた。脂が爆ぜ、火の粉が石壁に散って消える。

朝六つの鐘で、門が開く。

その向こうは、雪だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。