第12章 一里塚の下
日が傾き、雪面が青灰色に染まり始めていた。師走十九日、夕五つの鐘が遠くで鳴るころ、一行は三つ目の一里塚の南の枯木の並びまで戻っていた。
荷馬とそりは、ここから先は連れて行けない。頭目の忠告どおりだ。「白いの」は音で探る。馬の蹄の音や、鼻息、そりの引く雪のきしむ音は、あいつへの呼び出し鈴みたいなものだ。
「ここに繋いでおく」とダリオは言い、荷馬の綱を枯木の幹に巻きつけた。凍った革の綱は、指で触れただけでカチカチと音を立てた。馬たちの口には、鳴き声を防ぐための乾いた草の束を咥えさせてある。
「戻ってくるまで、な」とリナが馬の首筋を撫でた。馬はリナの麦藁色の髪を鼻先でつついた。
「行こう」とフィンが言った。「日が落ちる」
一行は歩き出した。ガズだけが、なかなか来ない。振り返ると、西の空に残る薄日の中に、蜥蜴人が立っていた。目を閉じて、鱗に最後の温もりを吸い込んでいる。
「ガズ」
「……今、行く」
地下に入れば、次に日を浴びるのは、仕事が終わってからだ。
雪は膝まで沈む。六人は無言で、一歩一歩、雪を掻き分けた。
雪の上を歩く音を、消したい。だが、人間の体は、そんなに都合よくは動かない。凍った革のブーツが雪を踏む音が、やけに大きく響く。雪面の薄い氷の殻が、踏むたびに割れた。その音は、枯れ枝を折る音に似ていた。
誰も話そうとしない。指で合図をし、目で語り合った。ベルントだけが、ときどき荷の紐を触る手を止めて、遠くの塚を見ていた。
塚の黒い膨らみが、近づいてくる。
塚の裏手に、枯れ木が一本、骨のように突き立っていた。
「あそこだ」とダリオは低く言った。
枯れ木の根元は、雪に埋もれていた。雪は風で固められ、薄い氷の殻のようになっていた。シャベルはない。剣の鞘と、手袋と、ガズの爪だけが道具だった。
フィンが息を白く吐きながら、雪を掘った。雪は湿っていて、重い。掘っても掘っても、下から凍った土が出てくる。フィンの靴が、もう雪の水を吸っていた。若い隊員は、それを言わずに掘り続けた。
ベルントは、無口になって掘った。五十代の腕は細かったが、止まらなかった。
「ガズ、あたりを見ろ」とダリオは言った。
ガズは目を細め、枯れ木の根元をじっと見た。蜥蜴人の目には、熱が見える。雪の中に埋まった石や土の冷たさは、彼には黒い影のように見えるはずだ。
「あそこだ」とガズは言い、太い指で雪の中の一点を示した。「冷たい石が、口を開けている」
三人がかりで、その部分の雪を掘り返した。ガズの爪が、氷の蓋を剥ぐように雪の殻を割っていく。
やがて、石の角が現れた。丸く積まれた石の壁。その間に、人の一人がやっと通れるほどの暗い隙間が口を開けていた。隙間から、土と古い石の匂いが、ゆっくりと流れ出てきた。穴は、呼吸をしていた。
「入るぞ」とダリオは言い、懐から火打石を取り出した。松明に火を入れる。
赤い火が、暗い穴の中を照らした。
先に覗き込もうとしたのは、ケスだった。
鴉人の彼は、高いところから見下ろすことには慣れているが、地面の穴に顔を突っ込むのは得意ではないらしい。
頭ごと石の梁に、ごつんとぶつけた。
ケスは声も出さず、のけぞって、黄ばんだ目を白くした。手で眉間を押さえ、羽を震わせている。
リナが口元を袖で覆った。笑いを噛み殺すのに必死だった。
「大丈夫か」とダリオは訊いた。
ケスは黙って頷いた。目尻に、大粒の涙が光っていた。
「鴉ってのは」とダリオは言った。「穴の前では、無害だな」
ケスは黙って、列の一番後ろに並んだ。
*
中は、石積みの廊下になっていた。
頭上は低く、大人でも猫背になる。七十年前の石だというが、積み目はしっかりしている。
松明の火が、壁の石の継ぎ目をなぞる。黒い影が、六人の後ろに伸びて、壁にへばりついた。
壁のあちこちに、錆びた鉄の輪が埋め込まれている。かつて荷を吊るしたり、繋いだりするのに使ったものだろう。
天井から垂れた根やつる草が、凍って垂れ下がっている。頭上の高いところに、髪の毛ほどの裂け目があった。そこから灰色の光が糸のように落ち、雪の粉がちらちらとこぼれていた。通気孔だ。この穴は、外の空と、細い糸で繋がっている。
壁に手をつくと、指先が刺されるように痛かった。石は、地表の空気に触れていない冷たさを抱えていた。冬だけの冷たさではない。何十年もかけて石の芯まで凍らせた、底のない冷たさだった。その冷たさが、手のひらから体の奥へ染みてくるようだった。
(ここは、冬の中に更なる冬がある)
しばらく行くと、廊下は少し広くなり、左右に仕切られた部屋が現れた。
地下貯蔵室だ。頭目の言ったとおり、宿屋の名残だろう。壁の両側に、壺を収めたような窪みが並んでいた。天井からは、錆びた鉄の鉤が三つ、垂れ下がっている。かつて、ここに干し肉や燻製が吊るされていたのだろう。七十年前、宿屋が焼け落ちたとき、取りに戻った者は、いなかったのだろう。
「人が、いた跡はあるか」とベルントが声をひそめて訊いた。その声は、石の壁に吸い込まれていった。
「分からん」とダリオは言った。「足跡があっても、雪じゃない。土だ」
「税の帳簿が、あるはずだ」とフィンが言った。「あれがあれば、街は救われる」
「人間が、いなけりゃ意味がない」とダリオは言った。
ガズが鼻を鳴らした。「熱いのが、いない。近くには」
「いない、のか」とダリオは訊いた。
「奥に、いる」とガズは言った。「遠い。ずっと奥」
ダリオは松明を下げ、足元を照らした。
石の床に、何かが散らばっていた。
赤い、小さな粒。
ダリオはしゃがみ込み、一つを拾い上げた。
棘草の実だ。
乾いて、皺が寄っているが、あの毒々しい赤は間違いなかった。
二里塚の先から、道の両側にびっしりと生えている、あの赤い実だ。
実は、入口のほうから奥へ向かって、点々と落ちていた。靴の裏から、裾から、払い落とすように。
「これなら、見覚えがある」とリナが言った。「歩いたら、絶対に絡む」
「靴紐に、外套に、そりの紐に」とダリオは言った。「あれを通ってきた奴は、身に着けてる」
消えた隊商は、ここを通って逃げ込んだ。荒れ野の棘草を押し分け、雪を越して、この石の口へ落ちたんだ。
奥へ踏み出そうとしたベルントの腕を、ダリオは掴んだ。
「音を出すな」
ベルントの喉が、一度だけ動いた。荷の紐を握る指が、白かった。
「来たな」とダリオは低く言った。「間違いない」
*
松明は、半分ほど焼けていた。予備は二本だ。
奥へ進めば、松明が持たない。替えるたびに火打石を打てば、その音が穴いっぱいに響く。この響きを、誰が聞いているのか、分からない。
「朝まで、待つ」とダリオは言った。「暗闇の中を、音を立てて進む馬鹿はいない」
フィンが何か言いかけて、口を閉じた。それから、小さく頷いた。
一行は、入口に近い部屋まで引き返した。松明を石の窪みに立て、火を小さくする。ガズが入口の隙間に陣取った。外の雪原を見張るには、一番いい席だ。
「外は、どうだ」とダリオは訊いた。
「冷たいだけだ」とガズは言った。「熱いのは、来ていない」
夕餉は、干し肉を薄く削っただけだった。フィンが数えると、干し肉はあと六枚、黒パンは半塊だった。野盗の小屋で渡した分まで入れると、食料は底が見えていた。リナは肉を一口ずつ、よく噛んで食べた。よく噛めば、少なくとも時間だけは、長く食える。
ベルントは壁に背を預けて、目を閉じたように見えた。だが、荷の紐を握るその手は、緩まなかった。
やがて話し声が消え、雪の粉のこぼれる音だけになった。火を小さくした松明が、石の床に赤い溜まりを作っている。
ダリオは最初の見張りだった。
剣の柄に手をかけ、廊下の奥の暗がりを見つめていた。火の届かないその先は、石の黒に溶けて、何も見えない。
そのとき。
石と石の、擦れる音がした。遠い。それから、革が床を引きずる、短い音。
リナが、杖を握りしめた。
松明の火が、揺れた。風ではない。地下に風はない。
ダリオは立ち上がった。
奥の暗がりで、何かが、動いた。




