第69話 謎の一団と訪問者
公爵邸へ戻ったあとも、胸のざわつきは消えなかった。
黒衣の一団の姿が、頭の奥に張り付いて離れない。
魔法の弱まりとは別の“意図”を感じさせる存在だった。
部屋の扉を閉めた瞬間、静けさが押し寄せた。
けれど、その静けさは安らぎではなく、嵐の前の静寂のようだった。
扉がノックされ、騎士団長が入ってきた。
その表情は、昨日の緊張とは違う種類のものだった。
「リリア殿。王都の民が、公爵邸の前に集まり始めている。」
「……公爵邸に?」
「ああ。魔法の不安定化そのものより、“あなたに話を聞きたい”という声が増えているそうだ。」
胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私はただの公爵家の令嬢だった。
魔法が使えないことで、ずっと劣等感を抱えていた。
けれど今、民は私を希望として語っている。
「王宮ではなく、あなたを選んでいる。」
騎士団長の言葉は、昨日よりも重く響いた。
公爵が部屋へ入ってきた。
その足取りは静かだが、威厳があった。
「リリア殿。民の動きが変わり始めている。」
「変わり始めている……?」
「民は、王宮を頼れないと考え始めている。沈黙が続きすぎた。」
公爵は窓の外を見た。
王都の空が薄く霞んでいる。
魔法灯の光が弱まったせいではない。
民のざわめきが、街全体を覆っているのだ。
「民は、誰かを求めている。」
「王宮ではなく、魔導士団でもなく……あなたをだ。」
胸の奥が熱くなる。
「公爵邸の前には、昨日よりも多くの民が集まっている。」
「あなたに“話を聞きたい”と言っている。」
騎士団長が続けた。
「リリア殿。民はあなたを“魔法が使えない時代の新しい力”として見ている。」
「……私に、何ができるでしょうか。」
「できるかどうかではないだろう。」
「民は、あなたしかいないと思っているのだ。」
その言葉は、昨日よりも重く、昨日よりも痛かった。
その時、廊下の奥から騎士の声が響いた。
「公爵!民の代表が、公爵邸に話を求めています!」
公爵は短く息を吐いた。
「ついに来たか……。」
騎士団長は眉をひそめた。
「リリア殿。これは、昨日までの混乱とは違います。」
「違う……?」
「民が“あなたに意見を求める”という動きです。」
胸の奥がざわつく。
民は、王宮ではなく、別の存在を求め始めている。
公爵は私へ向き直り、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力を、誰かが“利用しようとしている”可能性が出てきた。」
昨日とは違う言葉だった。
胸の奥が一瞬で冷たくなる。
それは励ましでも期待でもなく、明確な“警告”だった。
私は静かに息を吸い、頷いた。
「……必要なら、動きます。」
公爵はわずかに表情を緩めた。
しかし、その目の奥には別の緊張が宿っていた。
「リリア殿。ひとつ伝えておかねばならないことがある。」
その言葉に、胸が強く脈打った。
「何か……あったのですか。」
「民ではない。王宮でもない。第三の勢力が、あなたを探している。」
息が止まった。
「……黒衣の一団ですか。」
「断定はできない。しかし、彼らと接触した者の証言がある。」
公爵は視線を落とし、低く続けた。
「“魔法を消す者を探している”と。」
背筋が冷たくなる。
庭の方でざわめきが起きたが、民の声ではなかった。
騎士たちが何かを確認している音だ。
騎士団長が駆け込んできた。
剣に手をかけたまま、短く言った。
「リリア殿。公爵邸の周囲で、不審な足跡が見つかった。」
「足跡……?」
「昨夜のものではない。今朝のものだ。」
胸の奥がざわつく。
昨日までの王都とは違う。
今日の王都は、誰を信じるべきかを探しているだけではない。
“誰を狙うべきか”を決めようとしている者がいる。
公爵は静かに言った。
「リリア殿。あなたは民の希望であると同時に、誰かにとって“鍵”なのだ。」
私はその言葉を胸に刻んだ。
民のために動く覚悟は、もう昨日のものとは違う。
胸の奥に残る冷たいざわつきが、まだ消えない。
“鍵”という言葉が、何度も頭の中で反響していた。
民の希望であると同時に、誰かにとっての標的でもある。
その事実が、昨日までとは違う重さで肩にのしかかっていた。
廊下の向こうで騎士たちが動く気配がした。
足音は速くも荒くもない。
ただ、何かを警戒している音だった。
騎士団長が私の前に立ち、低く言った。
「リリア殿。外に出るのは控えたほうがいい。公爵邸の周囲に、まだ不審な痕跡がある。」
「……私を探している者がいるのですね。」
「ええ。確実に。」
その言葉は、昨日の不安とは違う種類の恐怖を生んだ。
魔法の弱まりではなく、王宮の沈黙でもなく、“誰かの意図”が私に向けられている。
公爵がゆっくりと歩いてきた。
その表情は、いつもの冷静さの奥にわずかな緊張を含んでいた。
「リリア殿。民の代表が来ているが……会わせるべきかどうか、判断が難しい。」
「民の代表……。」
「あなたに意見を求めたいと言っている。だが、今の状況では、誰が本物の代表で、誰が紛れ込んだ者なのか分からない。」
胸の奥がざわつく。
民の声を聞きたい気持ちはある。
けれど、黒衣の一団が私を探しているという事実が、それを許さない。
「公爵様。民の代表はどこに?」
「応接室だ。騎士が見張っている。」
騎士団長が続けた。
「ただ……その者が本当に“民の代表”なのか、確認が取れていません。」
「偽者の可能性がある……?」
「ああ。あなたに近づくための“口実”である可能性も。」
息が詰まった。
昨日までの王都とは違う。
今日の王都は、誰かが“意図的に動いている”。
その時、廊下の奥から騎士の声が響いた。
「公爵!応接室の者が……“急ぎ伝えたいことがある”と強く要求しています!」
公爵の表情が険しくなる。
「強く要求……?」
「はい。騎士が止めても引かず、“リリア様に直接伝えたい”と。」
騎士団長はすぐに判断した。
「リリア殿。応接室へは近づくのはとても危険だ。」
「でも……民の声かもしれません。」
「可能性はある。しかし、あなたを狙う者がいる以上、軽率には動けない。」
胸の奥が痛む。
民の声を聞きたい。
けれど、誰かが私を探している。
その二つが、まるで綱引きのように心を引き裂いた。
公爵は静かに言った。
「リリア殿。あなたが動けば、王都の均衡が変わる。」
「均衡……。」
「民はあなたを希望として見ている。だが、別の勢力はあなたを“鍵”として見ている。」
その言葉は、昨日とは違う重さで響いた。
その時、廊下の奥で騎士の声が上がった。
「公爵!応接室の者が……“名乗りました!”」
公爵が振り返る。
「名前……?」
「はい。“リリア様の力を見た者だ”と。」
空気が一瞬で凍りついた。
騎士団長が剣に手をかけたまま、低く言った。
「リリア殿。これは……民の代表ではない。」
胸の奥が冷たくなる。
「では……誰が?」
騎士は息を整え、言った。
「名乗った名は……“カイル”と。」
聞き覚えのない名だった。
けれど、その響きには妙な重さがあった。
公爵が眉をひそめる。
「カイル……。王都の記録にはない名だ。」
騎士団長が続けた。
「“魔法を消す力を見た”と言っています。昨日の混乱のどこかで、あなたを目撃したのでしょう。」
胸の奥がざわつく。
私の力を知っている者というだけで危険だ。
「リリア殿。どうされますか。」
私は静かに息を吸った。
胸の奥の痛みを押し込むようにして、言葉を絞り出した。
「……会います。」
公爵と騎士団長が同時に顔を上げた。
「リリア殿!」
「危険だ!」
私は首を振った。
「逃げても、追ってきます。なら……正面から向き合います。」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
公爵はしばらく私を見つめ、やがて静かに頷いた。
「……分かった。だが、決して一人にはしない。」
騎士団長が剣を握り直した。
「応接室まで送る。何があっても、絶対に私があなたを守る。」
私は歩き出した。
廊下の空気が、いつもより冷たく感じた。
扉の向こうにいるのは、私の力を知る者。
そして今、私を必要としている者。
その存在が、王都の均衡を静かに揺らしていた。
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