第68話 王都のざわめき
翌朝、公爵邸の廊下を歩いた瞬間、空気が昨日とは違うことに気づいた。
騎士たちの足音が増え、声を潜めて指示を交わしている。
まるで、見えない何かが公爵邸の外で動き始めているようだった。
廊下の窓から差し込む光は柔らかいのに、空気だけが妙に張り詰めている。
胸の奥がざわついた。
騎士団長が私の横に並び、低い声で言った。
「リリア殿。王都の様子が、今朝から急に変わっています。」
「変わっている……?」
「魔法灯の停止が、複数の区画で同時に起きました。昨日より規模が大きい。」
昨日の調査で、魔法の弱まりが進んでいることは理解した。
けれど、“同時に”という言葉が引っかかった。
「偶然ではないのですか?」
「偶然ならいいのだが……そう思えない動きがある。」
騎士団長は廊下の奥へ視線を向けた。
そこには、公爵がゆっくりと歩いてくる姿があった。
公爵は私を見ると、いつもより厳しい表情で言った。
「リリア殿。王都で、妙な動きがある。」
「妙な……動き?」
「魔法灯の停止だけではない。魔法式の水路も複数箇所で止まり、商人たちの魔法具が一斉に不調を起こしている。」
「昨日より……悪化しているのですね。」
「悪化というより、“何かが起きている”。そう言った方が正しい。」
公爵の声は静かだったが、その静けさが逆に不安を煽った。
「王宮は何か言っているのですか?」
その問いに、公爵と騎士団長は同時に沈黙した。
その沈黙が答えだった。
「……また、何も言わないのですね。」
「そうだ。」
公爵は短く言った。
「王宮は沈黙したままだ。昨日の調査結果を伝えても、反応がない。」
「王太子アレクシスは……?」
「姿を見せていない。重臣たちも困惑している。」
王宮の沈黙は、昨日の民の不安をさらに増幅させるだろう。
その予感が胸に重く落ちた。
そのとき、廊下を駆けてきた騎士が声を上げた。
「公爵!王都の北区で、魔法式の防壁が停止しました!」
公爵と騎士団長が同時に顔を上げる。
「防壁まで……?」
「はい。魔導士団が向かっていますが、魔法が発動しないため、復旧できていません!」
騎士団長はすぐに指示を出した。
「北区へ騎士を送れ! 民の避難を最優先だ!」
「はっ!」
騎士が走り去る。
公爵は深く息を吐き、私へ向き直った。
「リリア殿。王都の魔法が、昨日よりも急速に弱まっている。」
「……私の力と関係があるのでしょうか。」
「それはまだ分からない。」
公爵は首を振った。
「だが、民はあなたの力を“唯一安定している魔法”として見始めている。」
胸の奥が熱くなる。
昨日、民の前で魔法を消した時のざわめきが蘇る。
「民は……私をどう思っているのですか?」
「希望だ。」
公爵は迷いなく言った。
「魔法が使えない時代に現れた、新しい力として。」
その言葉は、昨日よりも重く響いた。
王都の空気が変わっている。
民の視線も変わっている。
騎士団長が続けた。
「リリア殿。今朝から、民の間であなたの名が再び広がっています。」
「再び……?」
「『魔法を消した令嬢がいる』という噂が、昨日よりも速く広がっている。」
私は息を呑んだ。
「昨日の調査結果が……?」
「それもあるが、民は“魔法が弱まっている中で唯一安定している力”を求めている。」
公爵は静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、王都の未来を形作る。」
その言葉は、昨日よりも重く、昨日よりも確かだった。
魔法の時代が終わりつつある。
その変化の中心に、自分がいる。
その重さを抱えながら、私は静かに息を吸った。
「……民のために、できることをします。」
公爵はわずかに表情を緩めた。
「その覚悟があれば十分だ。」
その瞬間、遠くで鐘の音が鳴った。
王都の警鐘は、魔法式の防壁が停止した時に鳴る音だ。
公爵邸の空気が一気に緊張する。
騎士団長が剣に手をかけ、短く言った。
「リリア殿。王都が動き始めています。」
私はその言葉を胸に刻んだ。
昨日までの王都とは違う。
今日の王都は、何かが変わり始めている。
その変化の中で、私の力が必要とされている。
私は歩き出した。
王都の空気を感じながら、次に起きることを受け止めるために。
公爵邸の玄関を出た瞬間、王都の空気が昨日とはまるで違うことを肌で感じた。
風が冷たいわけではない。
ただ、街全体がざわついている。
人々の声が、いつもより高く、速く、落ち着きなく響いていた。
騎士団長が私の横に立ち、周囲を見渡しながら言った。
「リリア殿。王都の民が、王宮へ向かい始めています。」
「王宮へ……?」
「魔法灯の停止が続いている。水路も止まった区画が増えた。民は説明を求めている。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
──また、王宮は沈黙している。
昨日、公爵が言っていた。
王宮は以前にも沈黙したことがある。
その時も民は不安を抱え、王宮は何も言わなかった。
今回も同じだ。
騎士団長は続けた。
「王太子アレクシス殿下は、今朝も姿を見せていない。重臣たちも対応が遅れている。」
「……民は、どう思っているのでしょう。」
「王宮は何か隠している、と考える者が増えている。」
その言葉は、昨日よりも重く響いた。
公爵が玄関から出てきて、私たちの横に立った。
「リリア殿。王都の空気が変わっている。民の不安は、昨日の比ではない。」
「魔法の弱まりが……さらに進んでいるのですね。」
「それだけではない。」
公爵は低い声で言った。
「王都の裏通りで、正体不明の一団が目撃されている。」
私は息を呑んだ。
「正体不明……?」
「魔導士団でも騎士団でもない。王宮の紋章も持たない者たちだ。」
騎士団長が補足した。
「昨夜から複数の区画で目撃されている。民は不安を感じているが、正体が分からないため騒ぎにはなっていない。」
「彼らは……何をしているのですか?」
「分からない。」
騎士団長は首を振った。
「ただ、魔法灯が消えた区画の近くで目撃されているという報告がある。」
胸の奥が冷たくなる。
「魔法の弱まりと……関係があるのでしょうか。」
「断言はできない。」
公爵は静かに言った。
「だが、王宮が動かないなら、別の誰かが動いている可能性はある。」
その言葉は、王都の空気をさらに重くした。
公爵邸の前の通りには、民が集まり始めていた。
騎士が誘導しているが、民の視線は公爵邸へ向けられている。
「リリア様は……ここにいるのか?」
「昨日、魔法を消した令嬢だろ?」
「王宮が何も言わないなら、リリア様に聞くしかない……」
その声が耳に届くたび、胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私はただの公爵家の令嬢だった。
魔法が使えないことで、ずっと劣等感を抱えていた。
けれど今、民は私を希望として語っている。
騎士団長が私の横に立ち、低い声で言った。
「リリア殿。民はあなたを頼り始めています。」
「……私に、できるでしょうか。」
「できるかどうかではない。」
騎士団長は静かに言った。
「民は、あなたしかいないと思っている。」
その言葉は、昨日よりも重く、昨日よりも痛かった。
公爵が私へ向き直り、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、王都の未来を形作る。」
昨日と同じ言葉。
けれど、今日の王都の空気の中で聞くと、まるで違う意味を持っていた。
その時、遠くから騎士の声が響いた。
「公爵!南区で魔法式の水路が再び完全停止しました!」
公爵の表情が険しくなる。
「南区まで……」
「はい。民が水を求めて集まり始めています。魔導士団は対応できていません!」
騎士団長はすぐに指示を出した。
「南区へ騎士を送れ!水の配給を急げ!」
「はっ!」
騎士が走り去る。
公爵は深く息を吐き、私へ向き直った。
「リリア殿。王都は、今日一日でさらに混乱するだろう。」
「……私の力で、何かできるでしょうか。」
「できる。」
公爵は迷いなく言った。
「民はあなたを希望として語っている。王宮が沈黙している今、民が頼れるのはあなたしかいない。」
胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私は魔法が使えないことで捨てられた令嬢だった。
けれど今、魔法が使えないことが、民を救う力になっている。
その時、通りの向こうで騒ぎが起きた。
「誰だあれ……?」
「見たことない服だぞ……」
「王宮の紋章がない……!」
騎士団長がすぐに反応した。
「リリア殿、後ろへ!」
私は公爵の背後へ下がる。
騎士団長が剣に手をかけ、通りの方へ視線を向けた。
そこには、黒い外套をまとった三人の男が立っていた。
顔は布で覆われ、表情は見えない。
魔導士団のローブでもなく、騎士団の鎧でもない。
王宮の紋章もない。
民がざわつく。
「昨日見た一団じゃないか……?」
「魔法灯が消えた区画で見たぞ……」
「何者なんだ……」
騎士団長が低い声で言った。
「……あれが、正体不明の一団か。」
公爵は眉をひそめた。
「王都の混乱に乗じて動いているのか……」
黒衣の男たちは、騒ぎに反応することなく、ゆっくりと通りを歩き始めた。
民が道を開けるように避ける。
その歩き方は、まるで目的地が決まっているかのようだった。
騎士団長が言った。
「リリア殿。公爵邸に戻りましょう。あれが何者か分からない以上、近づけるわけにはいかない。」
「……はい。」
私は頷いた。
胸の奥がざわつく。
魔法の弱まりだけではない。
王宮の沈黙だけでもない。
王都で、何かが動き始めている。
公爵は静かに言った。
「リリア殿。今日の王都は、昨日とは違う。民の不安も、影の動きも、すべてが加速している。」
私はその言葉を胸に刻んだ。
魔法の時代が終わりつつある。
その変化の中心に、自分がいる。
その重さを抱えながら、私は公爵邸へ戻った。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援お願いします!




