第64話 民の怒り、王宮へ
屋敷の門をくぐった瞬間、空気がいつもと違うことに気づいた。
風の流れではない。
気温でもない。
ただ、遠くから押し寄せてくる“ざわめき”が、肌に触れるように伝わってきた。
騎士たちが門の前で警戒している。
その視線は王都の中心、王宮の方角へ向けられていた。
「……何か、起きている?」
思わず口にすると、門番の騎士が短く答えた。
「民が王宮へ集まり始めています。怒号が聞こえるほどです。」
胸が強く跳ねた。
昨日までの不安とは違う。
これは、怒りだ。
私は急いで執務室へ向かった。
廊下を歩く騎士たちの足音は早く、誰もが緊張した顔をしている。
魔法の弱まりが進んでいることは知っていたけれど、ここまで空気が変わるとは思わなかった。
扉を開くと、公爵が窓際に立っていた。
地図ではなく、王宮の方角を見つめている。
騎士団長と魔導士団長も揃っていたが、誰も口を開こうとしない。
「公爵様……王都で何が。」
私が言うと、公爵はゆっくりと振り返った。
その表情は、いつもの静けさの奥に、わずかな険しさを含んでいた。
「リリア殿。王宮前に民が集まっている。」
騎士団長が続けた。
「沈黙を続ける王太子殿下と、何も説明しないレグナード殿に不満が募っている。」
魔導士団長は書簡を手にし、丁寧な口調で言った。
「『魔法に頼る王宮はもう終わりだ』『王太子は何をしている』という声が増えています。」
私は息を呑んだ。
アレクシスが沈黙している理由は、私も知っている。
けれど、民はそんな事情を知らない。
ただ、王都が危機にあるのに王宮が何も言わないことに不安を抱いている。
魔法灯が消え、水路が止まり、扉が開かず、橋が動かない。
魔法式の設備が次々と停止し、民の生活は混乱している。
その中で王宮が沈黙したままなら、民が怒りを向けるのは当然だ。
公爵は机の上の地図へ視線を落とした。
「魔法の弱まりは、さらに広がっている。」
魔導士団長が地図の印を指した。
「こちらが昨日の範囲。そして、こちらが本日の範囲です。」
昨日よりも今日の印は明らかに広い。
王都の中心部だけでなく、商業区や住宅区にも広がっている。
騎士団長が低い声で言った。
「魔法に頼った生活が成り立たなくなる。民は不安になる。」
魔導士団長は苦い表情で頷いた。
「魔導士団の魔法も、ほぼ使えなくなりました。発動しない、あるいは途中で消える現象が増えています。」
その時、執務室の扉がノックされた。
騎士団の隊員が入ってきて、深く頭を下げる。
「公爵様。王宮前の人数が増えています。怒号が上がり始めました。」
公爵は眉をわずかに上げた。
「怒号、か。」
騎士団長が静かに言った。
「民は限界に近い。王宮が沈黙している以上、行き場がない。」
魔導士団長は書簡を閉じながら言った。
「魔法が使えない今、王宮は民を守れません。説明もできず、対応もできない状態です。」
私は胸の奥に手を当てた。
王都の中心で沈黙するアレクシス。
王宮を動かすはずのレグナードも何も言わない。
その結果、民は不安と怒りを抱え、王宮へ向かっている。
公爵は窓の外を見つめながら言った。
「民の怒りが王宮へ向かうのは当然だ。だが、このままでは暴動になる。」
騎士団長が静かに言った。
「王宮前の空気は臨界点に近い。騎士団だけでは抑えきれません。」
魔導士団長は深刻な表情で言った。
「魔法が使えないため、魔導士団も対応できません。」
公爵家には次々と報告が届き、執務室の空気はさらに重くなった。
公爵はゆっくりと振り返り、私を見た。
「リリア殿。王宮前の状況は、暴動寸前だ。」
その言葉は、胸の奥に深く響いた。
王都の混乱は、もう誰も止められないところまで来ている。
私は小さく息を吸った。
「……そんなに、ひどいのですか。」
騎士団長が落ち着いた声で答えた。
「民は不安と怒りを抱えている。王宮が沈黙している以上、行き場がない。」
魔導士団長も丁寧に続けた。
「魔法が使えない今、民は自分たちの生活がどうなるのか分からず、恐怖を感じています。」
公爵は静かに言った。
「王都は今、限界に近い。」
その言葉に、胸の奥が強く震えた。
王都の混乱は、もう誰も無視できない。
そしてその中心に、私の力が必要とされる気配があった。
だが、公爵はまだ何も決断できていなかった。
今はただ、状況が悪化し続けているだけだった。
私は深く息を吸い、静かに目を閉じた。
王都のために、自分の力が必要になる予感が、胸の奥で静かに広がっていく。
王宮前の空気が限界に近いという報告が届いてから、執務室の空気はさらに重くなった。
窓の外からは、遠くで響くざわめきがかすかに聞こえる。
怒りと不安が混ざった声が、風に乗って届いてくるようだった。
公爵は机の上の地図を見つめたまま、しばらく動かなかった。
その横顔は、いつも以上に深い思考の中にいるように見えた。
騎士団長が静かに言った。
「王宮前の人数は増え続けています。民の怒りが爆発すれば、騎士団だけでは抑えられません。」
魔導士団長は丁寧な口調で続けた。
「魔法が使えないため、魔導士団は対応できません。防御魔法も治癒魔法も発動しません。」
公爵はゆっくりと顔を上げ、私を見た。
「リリア殿。」
その声は静かだったが、決意が含まれていた。
「民の安全を守るために、あなたの力を使わせてもらう。」
胸の奥が強く震えた。
公爵は、ついに決断したのだ。
騎士団長が頷いた。
「暴走した魔法や、不安定な魔法を抑えられるのはリリア殿だけです。民の近くで魔法が暴発すれば、怪我人が出る。」
魔導士団長も続けた。
「魔法の弱まりが進むほど、魔法は不安定になります。リリア殿の力は、民を守るために不可欠です。」
私は胸の奥に手を当てた。
自分の力が、王都の混乱の中で必要とされている。
その事実が、重く、しかし確かに響いた。
「……私にできることがあるなら、協力します。」
公爵は静かに頷いた。
「ありがとう。あなたの言葉は、王都にとって大きな支えだ。」
その時、執務室の扉がノックされた。
騎士団の隊員が入ってきて、深く頭を下げる。
「公爵様。王都南部で、魔法式の灯りが突然点滅し始めたとの報告が入りました。暴発の可能性があるそうです。」
魔導士団長が目を見開いた。
「点滅……。魔法が不安定になっている証拠です。」
騎士団長は落ち着いた声で言った。
「民が近くにいるなら危険だ。すぐに対応しないと。」
公爵は隊員へ向き直った。
「南部の状況を確認しろ。騎士団を増員し、民を遠ざけるよう指示を出せ。」
隊員は深く頭を下げ、部屋を出ていった。
魔導士団長は地図を見つめながら言った。
「魔法の弱まりが進むほど、こうした現象が増えるでしょう。魔法灯、扉、水路……どれも不安定になります。」
騎士団長が静かに言った。
「民の安全を守るには、リリア殿の力が必要だ。」
公爵は私へ向き直り、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、王都のために使われるべきだ。民を守るために。」
その言葉は、胸の奥に静かに染み込んだ。
公爵の声はいつも穏やかで、強くて、揺るぎない。
私はゆっくりと頷いた。
「……分かりました。」
公爵は静かに言った。
「騎士団長。リリア殿の護衛を増やせ。魔法が不安定な区域へ向かう可能性がある。」
騎士団長は力強く頷いた。
「了解した。すぐに準備する。」
魔導士団長も続けた。
「リリア殿の力がどの魔法に反応するのか、同行しながら調査します。」
胸の奥に小さな決意が灯った。
王都のために、自分の力を使う。
それが、今の私にできること。
公爵は窓の外を見つめながら言った。
「王都は今、支えを求めている。」
その言葉が、心に深く響いた。
王宮が沈黙し、魔法が弱まり、民が不安を抱える中で、私の力が、王都で初めて“実際に使われる”時が来たのだ。
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