第63話 王宮の使者、再び
朝の光が公爵家の廊下を照らしていた。
けれど、その明るさとは裏腹に、屋敷の空気はどこか張り詰めている。
魔法の弱まりが王都全域へ広がり始めてから、騎士たちの足音はいつもより速く、声も低い。
私は執務室へ向かう途中、窓の外に目を向けた。
王都の街並みはいつも通りに見える。
けれど、その裏で魔法灯が消え、魔法式の設備が止まり、民が困っている。
その事実が胸の奥に重く沈んだ。
執務室の扉を開くと、公爵が地図を広げていた。
騎士団長と魔導士団長もすでに揃っている。
三人の表情は、いつも以上に深刻だった。
「リリア殿。来てくれたか。」
公爵の声は落ち着いていたが、その奥に緊張が潜んでいる。
私は席に着き、静かに頷いた。
「状況が変わったのですか。」
魔導士団長が書簡を手にし、丁寧な口調で言った。
「はい。魔法の弱まりがさらに広がり、魔導士団の魔法はほぼ使えなくなりました。魔法灯、水路、扉など、魔法式の設備が次々と停止しています。」
騎士団長が静かに息を吐いた。
「魔法が使えないとなると、民の生活が止まる。王宮が沈黙している今、頼れる場所は限られている。」
公爵は地図の上に手を置き、静かに言った。
「魔法の弱まりは、想定以上の速度で広がっている。」
魔導士団長は地図の印を指した。
「こちらが昨日の範囲。そして、こちらが本日の範囲です。」
昨日よりも今日の印は明らかに広い。
王都の中心部だけでなく、商業区や住宅区にも広がっている。
騎士団長が低い声で言った。
「このままでは、魔法に頼った生活が成り立たなくなる。」
魔導士団長は苦い表情で頷いた。
「団員たちも困惑しています。魔法が発動しない、あるいは途中で消える現象が増えています。」
その時、執務室の扉がノックされた。
騎士団の隊員が入ってきて、深く頭を下げる。
「公爵様。王宮から使者が参りました。」
公爵は眉をわずかに上げた。
「王宮から、か。」
騎士団長が静かに言った。
「レグナード殿が動いたのだろう。」
魔導士団長も頷いた。
「王太子殿下は王都で沈黙したままです。王宮を動かせるのはレグナード殿だけです。」
胸の奥がざわついた。
王宮が私を呼ぶ、その意味は重い。
公爵は隊員へ向き直った。
「使者を通せ。」
隊員が深く頭を下げ、扉を開いた。
王宮の使者が姿を現す。
深い青の衣をまとい、礼儀正しく頭を下げた。
「公爵様。王宮よりの伝達をお持ちしました。」
公爵は静かに頷いた。
「聞こう。」
使者は丁寧な口調で言葉を紡いだ。
「王都の魔法が弱まり、魔導士団の魔法が使えなくなっております。王宮はこの状況を重く見ております。」
騎士団長が落ち着いた声で言った。
「それで、どうしたい。」
使者は一瞬だけ視線を落とし、そして私を見た。
「リリア殿の力を、お借りしたいとのことです。レグナード様のご判断です。」
その言葉は丁寧だったが、背後にレグナードの焦りが透けて見えた。
魔法が使えない今、王宮は私の力にすがるしかないのだ。
公爵は使者の言葉を最後まで聞き、静かに首を振った。
「王宮はリリア殿を守れない。レグナードは利用するだけだ。」
使者は息を呑んだ。
「公爵様……しかし、王都のためには──」
公爵は静かに言葉を重ねた。
「王都のために動くのは我々だ。王宮が沈黙している以上、リリア殿を危険に晒すわけにはいかない。」
騎士団長も落ち着いた声で言った。
「リリア殿を王宮に連れて行く理由がない。今の王宮は守りが弱い。」
魔導士団長も丁寧に続けた。
「リリア殿の力は、魔法の弱まりの影響を受けません。王宮よりも、公爵家の方が安全です。」
使者は困惑したように眉を寄せた。
「しかし、レグナード様は」
公爵は静かに言った。
「使者殿。あなたの気持ちは理解する。しかし、リリア殿を王宮へ向かわせることはできない。」
その声は穏やかでありながら、揺るぎない。
使者はその強さに押され、言葉を失った。
公爵は続けた。
「王宮が本当に王都のために動く気があるなら、まず沈黙をやめるべきだ。」
使者は深く頭を下げた。
「……承知しました。王宮へ戻り、レグナード様へお伝えいたします。」
公爵は静かに頷いた。
「ご苦労だった。」
使者は丁寧に礼をし、執務室を後にした。
扉が閉まると、部屋の空気が静かに落ち着いた。
私は胸の奥に手を当てた。
公爵が私を守るために強い姿勢を取ってくれたことが、心に深く響いた。
騎士団長が静かに言った。
「リリア殿。王宮は焦っている。だが、あなたを危険な場所へ行かせる理由はない。」
魔導士団長も穏やかに続けた。
「リリア殿の力は、ここでこそ役に立ちます。」
公爵は私へ向き直り、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、民のために使うべきだ。アレクシス殿やレグナードのためではない。」
その言葉は、胸の奥に静かに染み込んだ。
公爵の言葉はいつも穏やかで、強くて、揺るぎない。
私はゆっくりと頷いた。
「……ありがとうございます。」
公爵は静かに言った。
「さあ、準備を整えよう。王都のために。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に灯った決意が、静かに強くなった。
王宮の使者が去ったあと、執務室には静けさが戻った。
けれど、その静けさは決して穏やかなものではなく、嵐の前のような緊張を含んでいた。
公爵はしばらく窓の外を見つめていた。
王都の街並みが広がっている。
そのどこかで、魔法が消え、民が困っている。
そして王宮は沈黙したまま。
「……レグナードは、追い詰められているな。」
公爵の静かな声が、部屋の空気をわずかに震わせた。
騎士団長が腕を組み、落ち着いた声で言った。
「魔法が使えない以上、王宮は動けない。魔導士団も機能していない。頼れるのはリリア殿だけだと判断したのだろう。」
魔導士団長は丁寧に続けた。
「しかし、王宮はリリア殿を守れる状況ではありません。魔法が使えない以上、護衛も弱体化しています。」
公爵はゆっくりと振り返り、私を見た。
「リリア殿。あなたを王宮へ向かわせることはない。」
その言葉は、胸の奥に静かに染み込んだ。
公爵の声はいつも穏やかで、強くて、揺るぎない。
私は小さく頷いた。
「……ありがとうございます。」
公爵は続けた。
「あなたの力は、民のために使うべきだ。レグナードのためではない。」
その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。
アレクシスに捨てられた場所、そう思っていた王都。
けれど、公爵は“民”のためと言った。
それは、私が捨てられたのは王都ではなく、アレクシス個人だという意味だった。
騎士団長が静かに言った。
「リリア殿の護衛を増やす。魔法が不安定な区域へ行く可能性がある以上、守りを固める必要がある。」
魔導士団長も頷いた。
「リリア殿の力がどの範囲で作用するのか、どの程度の魔法を無効化できるのか、調査を進めます。」
私は胸の奥に手を当てた。
自分の力が、王都の混乱の中心に引き寄せられている。
その事実が、重く、しかし確かに響いた。
「……私にできることがあるなら、協力します。」
公爵は静かに微笑んだ。
「ありがとう。あなたの力は、王都の新しい支えになる。」
その時、執務室の扉がノックされた。
騎士団の隊員が入ってきて、深く頭を下げる。
「公爵様。王都南部で、魔法式の水路が完全に停止したとの報告が入りました。水の供給が止まり、民が集まり始めているそうです。」
魔導士団長が目を見開いた。
「水路まで……。弱まりがさらに進んでいます。」
騎士団長は落ち着いた声で言った。
「水が止まれば、生活が成り立たない。民の不安はさらに広がる。」
公爵は隊員へ向き直った。
「南部の状況を詳しく調べさせろ。騎士団を増員し、民の安全を確保するよう伝えろ。」
隊員は深く頭を下げ、部屋を出ていった。
魔導士団長は地図を見つめながら言った。
「魔法の弱まりは、王都全域に広がる可能性があります。魔法に頼った生活ができなくなる区域が増えるでしょう。」
騎士団長が静かに言った。
「王宮が沈黙している今、民は公爵家を頼るしかない。」
公爵は私へ視線を向けた。
「リリア殿。あなたの力は、王都を守るために必要になる。」
胸の奥が強く震えた。
王都の混乱の中心に、私の力が引き寄せられている。
その事実が、静かに、しかし確かに心に響いた。
私は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……はい。」
公爵は静かに言った。
「状況を見極めながら進める。あなたの力は、王都の新しい支えになる。」
その言葉に、胸の奥に小さな決意が灯った。
王都のために、自分の力を使う。
その準備が、確かに今始まったのだ。
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