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第61話 沈黙する王太子と、王都に満ちる不安

 王宮の空気が変わったのは、ほんの数日前のことだった。

それまで王太子アレクシスは、魔法の強さを誇り、重臣たちの中心に立っていた。

しかし今、彼は王宮の奥で沈黙したまま動かない。

誰の声にも反応せず、視線すら合わせないという。


 その報告を聞いた時、胸の奥がひどく重くなった。

アレクシスが沈黙した理由は、私だけが知っているものではない。

公爵も、騎士団長も、魔導士団長も、そして王都の民でさえ、あの日、私が彼に告げた言葉を知っている。

説明するまでもなく、彼が動けなくなった理由は誰の目にも明らかだった。


 執務室の扉が開き、魔導士団長が入ってきた。

その表情はいつもより硬い。


「公爵様。王宮から新しい報告が届きました。」


 公爵は書類から顔を上げ、静かに頷いた。


「聞こう。」


 魔導士団長は手にした書簡を広げた。


「王太子殿下は、本日も執務に出られておりません。重臣たちが何度も呼びかけましたが、返答はなかったとのことです。」


 騎士団長が眉をひそめ、落ち着いた声で言った。


「またか。アレクシス殿は、今日も沈黙のままか。」


 魔導士団長は静かに頷いた。


「はい。側近によれば、殿下は部屋に閉じこもり、誰とも会おうとしないそうです。」


 公爵は短く息を吐いた。


「指揮官が動かぬ王宮は、もはや機能していない。」


 魔導士団長は続けた。


「重臣たちは、殿下の指示がないため、何も決められない状態です。魔法の弱まりへの対応も、議論が進んでおりません。」


 騎士団長は机の端に手を置き、地図へ視線を向けた。


「王都の魔法はどうなっている。」


 魔導士団長は地図を広げ、王都中心部を指した。


「弱まりの範囲が、ここまで広がっています。魔導士団の魔法も不安定になり始めました。」


 私は地図を見つめた。

王都の中心部、王宮の周辺が薄く色づけされている。

魔法が弱まっている区域を示す印だ。


 騎士団長は腕を組み、静かに言った。


「魔法が安定しない魔導士団では、動きが制限されるな。」


 魔導士団長は苦い表情で頷いた。


「団員たちも困惑しています。魔法が発動したりしなかったりと、安定しません。」


 公爵は静かに言った。


「民はどうしている。」


 魔導士団長は書簡を閉じた。


「王宮の沈黙に不安を募らせています。王宮前には人が集まり始めました。『王太子は何をしている』という声が増えているようです。」


 騎士団長は静かに息を整えた。


「当然だ。王都がこの状態で、王太子が黙ったままでは民は不安になる。」


 胸の奥がざわついた。

王都の空気が変わっている。

それは、ただの不安ではなく、何かが迫っているような圧力だった。


 公爵は窓の外を見ながら言った。


「王太子が動かぬ以上、王都を守る力は別に必要だ。」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

公爵の視線がゆっくりと私へ向けられる。


「リリア殿。あなたの力は、王都のために必要になるかもしれない。」


 胸の奥が強く震えた。

私の力は、魔法を無効化する力。

それは、魔法が弱まり始めた今、唯一安定している力だ。


 騎士団長が私を見た。


「リリア殿。あなたの力は、今の王都では貴重だ。魔法が暴走したら止められるのはあなただけだ。」


 魔導士団長も静かに頷いた。


「魔法の弱まりが進めば、魔法が不安定になる場面が増えます。リリア殿の力は、その対処に役立つ可能性があります。」


 私は手を胸に当てた。

自分の力が、王都の未来に関わる。

その事実が、重くのしかかる。


 公爵は穏やかな声で言った。


「もちろん、あなたに強制するつもりはない。だが、王都の状況は悪化している。王太子が動かぬ以上、我々が守らねばならない。」


 騎士団長が続けた。


「あなたの力は、ただの特技ではない。今の王都では、誰よりも頼りになる。」


 魔導士団長は丁寧に言った。


「リリア殿の力は、魔法の弱まりの原因を探る手がかりになるかもしれません。」


 私は深く息を吸った。

胸の奥のざわつきが、少しだけ形を持ち始める。


 公爵は静かに言った。


「王都は今、答えを求めている。」


 その言葉が、心に深く響いた。

王太子が沈黙したままの王宮。

魔法が不安定になり始めた王都。

民の不安。

広がる弱まり。


 その中で、私の力が必要とされている。


 私はゆっくりと頷いた。


「……私にできることがあるなら、力になります。」


 公爵は静かに微笑んだ。


「ありがとう。あなたの力は、必ず王都の助けになる。」


 騎士団長が力強く言った。


「リリア殿。あなたは一人じゃない。俺たちがついている。」


 魔導士団長も深く頭を下げた。


「我々も全力で支えます。」


 胸の奥に小さな決意が灯った。

王都のために、自分の力を使う。

それが、今の私にできること。


 公爵は地図を見つめながら言った。


「まずは、魔法の弱まりの範囲を正確に把握する。リリア殿の力がどこまで作用するか、確認しよう。」


 騎士団長が頷いた。


「分かった。俺が動く。」


 魔導士団長も続けた。


「魔導士団にも指示を出します。」


 公爵は私へ向き直った。


「リリア殿。あなたの力が必要になる場面が来るだろう。その時は、私が必ず守る。」


 私は静かに頷いた。

胸の奥に、確かな決意が灯る。


 王太子が沈黙したままの王都。

魔法が不安定になり始めた王宮。


──民の不安が広がる中で、私の力が、王都の未来を左右する。


 執務室の扉が閉まると、部屋の中は一気に静かになった。

公爵は机の上の地図を見つめたまま、しばらく動かなかった。

その横顔は、いつも以上に深い思考の中にいるように見えた。


「リリア殿。」


 静かな声が私を呼んだ。

公爵はゆっくりと顔を上げ、まっすぐに私を見つめた。


「あなたの力は、王都にとって大きな意味を持つ。だが、焦る必要はない。状況を見極めながら進めばいい。」


 その言葉は、胸の奥にそっと触れるように優しかった。

私は小さく頷いた。


「……はい。」


 公爵は窓の外へ視線を向けた。

王都の街並みが広がっている。

そのどこかで、魔法が弱まり、民が不安を抱えている。


「王都は今、支えを求めている。王宮が沈黙している以上、我々が動かねばならん。」


 その声は静かだったが、確かな強さがあった。

公爵がこうして言葉を発すると、部屋の空気が引き締まる。


 その時、執務室の扉がノックされた。

騎士団の若い隊員が入ってきて、深く頭を下げる。


「公爵様。王都南部で、魔法が突然消失したとの報告が入りました。魔導士団の団員が魔法を使おうとしましたが、まったく発動しなかったそうです。」


 魔導士団長が目を見開いた。


「南部まで……。予想より早いですね。」


 騎士団長は落ち着いた声で言った。


「魔法が使えない区域が広がっている。民の安全を確保しないと。」


 公爵は隊員へ向き直った。


「南部の状況を詳しく調べさせろ。魔導士団にも追加の調査を依頼する。」


 隊員は深く頭を下げ、すぐに部屋を出ていった。


 魔導士団長は地図を見つめながら言った。


「魔法の弱まりは、王都全体に広がる可能性があります。魔法に頼った生活ができなくなる区域が増えるでしょう。」


 騎士団長が静かに言った。


「魔法が使えないなら、民は不安になる。王宮が沈黙している今、頼れる場所は限られている。」


 公爵は私へ視線を向けた。


「リリア殿。あなたの力は、魔法が不安定な区域でこそ役に立つ。だが、焦る必要はない。状況を見極めてから動く。」


 私は頷いた。

胸の奥のざわつきが、少しだけ落ち着く。


「……はい。」


 公爵は机の上の地図を指でなぞりながら言った。


「まずは、魔法の弱まりの範囲を把握することが最優先だ。騎士団と魔導士団を動かし、情報を集める。」


 騎士団長が頷いた。


「了解した。俺が指揮を取る。」


 魔導士団長も続けた。


「魔導士団にもすぐに指示を出します。」


 公爵は静かに言った。


「王都は今、混乱の中にある。だが、我々が動けば、民は安心するだろう。」


 その言葉に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。

公爵家は、王都のために動いている。

そしてその中に、私の力も必要とされている。


 騎士団長が私へ向き直った。


「リリア殿。あなたはここにいていい。危険な場所へ行く必要はない。俺たちが状況を確認してくる。」


 魔導士団長も穏やかに言った。


「リリア殿の力は、必要な時に使えば十分です。今は、情報を集めることが先です。」


 私は深く頷いた。


「……お願いします。」


 公爵は静かに言った。


「リリア殿。あなたの力が必要になる時は、必ず私が判断する。安心してほしい。」


 その言葉は、胸の奥に静かに染み込んだ。

公爵の言葉はいつも穏やかで、強くて、揺るぎない。


 騎士団長と魔導士団長はそれぞれ指示を出すために部屋を出ていった。

扉が閉まると、執務室は静かになった。


 公爵は窓の外を見つめたまま言った。


「リリア殿。王都は今、あなたの力を必要としている。だが、焦る必要はない。あなたはあなたのままでいい。」


 私はその言葉に、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。


「……ありがとうございます。」


 公爵は静かに頷いた。


「さあ、準備を整えよう。王都のために。」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に灯った決意が、静かに強くなった。


 王都のために。

私の力を使うために。

その始まりが、確かに今だった。

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