第60話 宰相レグナート、公開の場で崩れる
王宮前の空気が限界まで張り詰めている。
その報告が公爵邸へ届いたのは、昼過ぎだった。
騎士団員が駆け足で戻ってきて、玄関で息を整えながら叫んだ。
「王宮の門が……開きました!」
その一言で、公爵邸の空気が一変した。
廊下を歩いていた騎士団長が振り返り、険しい表情で玄関へ向かう。
「誰が出てきた。」
騎士団員は息を切らしながら答えた。
「宰相レグナート殿です!」
私は思わず息を飲んだ。
王太子でも国王でもなく、レグナートが民の前に姿を見せた。
それは、王宮が追い詰められている証だった。
公爵が執務室から出てきて、騎士団員へ向き直った。
「民の反応はどうだ。」
「……怒りが爆発しています。叫び声が一斉に上がりました。」
騎士団長が低く言った。
「当然な結果だな。あれだけ嘘を重ねておいて、今さら顔を出したって誰も納得しない。」
私は胸の奥が締め付けられた。
王宮前の民は、ずっと答えを求めていた。
その答えを出すべき王宮が沈黙を続け、ようやく開いた門から出てきたのがレグナート。
民が怒るのは当然だった。
公爵は短く息を吐いた。
「魔導士団長を呼べ。状況を確認する。」
騎士団長が頷き、団員へ指示を出した。
数分後、魔導士団長が公爵邸へ駆け込んできた。
その顔には、王宮前の混乱を見てきた者だけが持つ緊張が刻まれていた。
「公爵様。状況をお伝えします。」
公爵は団長を執務室へ案内し、私と騎士団長も同席した。
魔導士団長は深く息を整え、静かに口を開いた。
「王宮の門が開き、宰相レグナート殿が民の前に姿を見せました。」
公爵は眉をひそめた。
「王太子ではなく、レグナートか。」
「はい。民は強い反応を示しています。怒りと疑念が一斉に噴き出しました。」
騎士団長が机の端に寄りかかり、低く言った。
「レグナート殿は何を言った。」
魔導士団長はわずかに視線を落とした。
「言い訳を並べようとしました。『魔法は必ず戻る』『王宮は隠していない』などと。」
私は胸が痛んだ。
その言葉は、民が最も聞きたくないものだった。
公爵が静かに言った。
「民は信じなかっただろう。」
魔導士団長は深く頷いた。
「はい。さらに……魔法の弱まりの影響で、レグナート殿の魔法が発動しませんでした。」
騎士団長が目を見開いた。
「魔法を使おうとしたのか。」
「はい。民を落ち着かせるために何かを示そうとしたのだと思われます。しかし、魔法は一切発動せず……民の前で完全に“無力”を晒す形となりました。」
私は息を飲んだ。
王都の民は、魔法が弱まっていることを肌で感じている。
その中で、宰相が魔法を使えない姿を見せた。
それは、言葉よりも強い証拠だった。
公爵は机の上の地図を見つめながら言った。
「その瞬間、民の不信は確信へ変わっただろう。」
魔導士団長は静かに続けた。
「『嘘をついていたのはレグナートだ』『王宮は隠していたのだ』という声が広がりました。」
騎士団長が短く息を吐いた。
「そりゃそうだ。あれだけ沈黙しておいて、出てきたのが嘘つき宰相じゃ、民は怒るしかない。」
魔導士団長はさらに続けた。
「民の怒りが一気に高まりました。暴走の兆しが見えたため、魔導士団は前へ出てレグナート殿を保護しました。」
公爵が静かに言った。
「保護……実質的な拘束だな。」
「はい。民を守るための措置です。」
私は胸の奥が震えた。
王宮前の緊張が、ついに形を持って爆発したのだ。
騎士団長が私へ向き直った。
「リリア殿。王都の空気、今までとは別物だぞ。」
「……想像できます。」
「民はもう、誰かが何かを言うまで止まらない。」
魔導士団長が静かに言った。
「王宮前は混乱寸前です。魔導士団が必死に民を落ち着かせていますが……限界が近いかもしれません。」
公爵は深く息を吐いた。
「王宮の沈黙が破れた瞬間が、これか。」
私は窓の外を見た。
王宮は遠くて見えないが、その前に集まる民の声が風に乗って届くような気がした。
胸の奥に、小さな震えが走った。
それは恐怖ではなく、何かが大きく動き始めた予感だった。
魔導士団長が静かに言った。
「公爵様。レグナート殿は、民の前で完全に崩れました。」
公爵は目を閉じ、短く言った。
「沈黙の代償だ。」
私はその言葉を胸に刻んだ。
魔導士団長の報告が終わったあと、執務室には重い沈黙が落ちた。
誰もすぐには口を開かなかった。
レグナートが民の前で魔法を使えず、完全に崩れた。
その事実が、部屋の空気を変えていた。
公爵がゆっくりと椅子に腰を下ろし、机の上の書類を指で押さえた。
「……王宮内部はどう動く。」
魔導士団長は背筋を伸ばし、静かに答えた。
「重臣たちが緊急会議を開いています。レグナート殿の処遇について、意見が割れているようです。」
騎士団長が眉をひそめた。
「割れてるって……まだ庇うやつがいるのか。」
「はい。『今は混乱を避けるべきだ』という派閥が、レグナート殿の即時罷免に反対しています。」
公爵は短く息を吐いた。
「愚かだな。民の前であれだけ無様を晒した者を、まだ宰相として扱うつもりか。」
魔導士団長は静かに首を振った。
「しかし、もう一方の派閥は『責任を取らせるべきだ』と強く主張しています。双方が譲らず、王宮内部は混乱しています。」
騎士団長が机の端に手を置き、低く言った。
「指示系統はどうなってる。」
「乱れています。誰が何を決めるのか分からない状態です。命令が出ても、別の重臣がそれを覆す場面が続いています。」
私は胸の奥が締め付けられた。
王宮内部が崩れ始めている。
その混乱は、王都全体へ広がる可能性がある。
公爵は地図を見つめながら言った。
「王宮が崩れる前に、民を守る体制を整えるぞ。」
騎士団長が頷いた。
「分かった。騎士団を動かす。魔導士団と連携する。」
魔導士団長も深く頭を下げた。
「我々も民の安全を最優先に動きます。王宮前の警戒を強化し、民が危険に晒されないようにします。」
公爵は二人へ向けて言った。
「王宮内部が混乱している今、民を守れるのはお前たちだけだ。」
騎士団長は短く息を吐き、私へ視線を向けた。
「リリア殿。お前も状況を把握しておいてくれ。王都の空気は限界まで張り詰めてる。」
「……はい。」
魔導士団長が続けた。
「王宮前の民は、今にも何かを求めて動き出しそうです。怒りではなく……不安が頂点に達している状態です。」
私はその言葉に胸が震えた。
王都の空気が、限界まで張り詰めているのが分かる。
何かが起こる直前のような、静かな圧力が街全体を覆っている。
公爵は窓の外を見ながら言った。
「王宮前の状況は、もう引き返せる段階ではない。」
騎士団長が低く言った。
「リリア殿。王都の民は、王宮の沈黙に耐えられなくなってる。」
「……民は、次にどんな行動を取るのでしょうか。」
「動く気はないだろうな。誰かが本当のことを示すまで、あそこに居座るぞ。」
魔導士団長が静かに言った。
「公爵様。王宮内部の混乱は、今後さらに悪化する可能性があります。」
公爵は頷き、机の上の書類を一度閉じて、騎士団長と魔導士団長へ向き直った。
その表情は、決断を下す者のものだった。
「二人とも。王宮が混乱している以上、民の安全は我々が守るしかない。状況に応じて動ける体制を整えてくれ。」
騎士団長は迷いなく頷いた。
「了解です。すぐに人を集めます。」
魔導士団長も静かに頭を下げた。
「魔導士団も即時に配置を見直します。」
二人が執務室を出ていくと、扉が閉まる音が妙に重く響いた。
そのあとに訪れた静けさは、落ち着きとは程遠い。
むしろ、次に訪れる変化を予告するような、張り詰めた静寂だった。
私は窓際へ歩き、外へ視線を向けた。
王宮は遠くて見えない。
それでも、門前に集まる民のざわめきが、風の流れに混じって届いてくる気がした。
胸の奥がわずかに震えた。
それは恐怖ではなく、何かが形を持ち始める瞬間を察した時の感覚だった。
公爵がゆっくりと口を開いた。
「リリア殿。王都は今、境界線の上に立っている。」
私は深く息を吸い、胸の奥のざわつきを押さえた。
「……街全体が、次の動きを待っているように感じます。」
公爵は静かに頷いた。
「流れはもう止まらん。誰が何を言おうと、民の意識は戻らない。」
その言葉は、冷静でありながら重かった。
王宮の沈黙が破れ、最初に崩れたのは、宰相レグナートだった。
その事実は、王都の流れを決定的に変える始まりだった。
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