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第55話 沈黙の代償

 王宮の廊下は、朝の光を受けて白く輝いていた。

しかし、その美しさとは裏腹に、空気は重く沈んでいる。

誰も声を発さず、足音だけが冷たい石床に響いていた。


 王宮の沈黙は、民の不安ではなく、まず王宮内部の者たち自身を追い詰め始めていた。


 宰相レグナートは、自室の机に広げられた書類を睨みつけていた。

魔法の弱まりに関する報告書。

魔導士団からの問い合わせ。

民の動き。

どれも彼の望む内容ではなかった。


「……魔法が戻らない?そんなはずはない」


 レグナートは書類を乱暴に閉じた。

その音が静まり返った部屋に響く。


 彼は数日前、王宮内でこう断言していた。


「魔法の弱まりは一時的なものだ。すぐ戻る」


 その言葉は、王宮内の者たちを安心させるためのものだった。

しかし、魔法は戻らないどころか、さらに不安定になっている。


 その事実が、王宮内の重臣たちに広まり始めていた。


「宰相殿は、なぜあんな断言を?」


「状況を軽視していたのでは?」


「民に誤った情報を流したのではないか」


 廊下の端で、重臣たちがひそひそと声を交わしている。

レグナートはその視線を感じながら、苛立ちを隠せなかった。


「……私の判断が間違っているとでも?」


 誰も答えない。

しかし、沈黙が答えそのものだった。


 王宮の沈黙は、民の不安を生むだけではない。

王宮内部の信頼関係をも崩し始めていた。


 レグナートは立ち上がり、廊下へ出た。

重臣たちが一斉に視線を逸らす。

その態度は、昨日までとは明らかに違っていた。


「……何を見ている」


 レグナートが低く言うと、重臣の一人が口を開いた。


「宰相殿。魔法が戻るというお言葉、民にも伝わっております。しかし、魔法は戻っておりません。その……民の間で、疑念が広がっているようで」


「疑念だと?」


「はい。王宮が状況を隠しているのではないかと」


 レグナートの顔が強張った。


「私は隠してなどいない。状況を落ち着かせるために」


「ですが、魔導士団からの報告では、魔法はさらに不安定になっていると……」


 重臣の声は震えていた。

レグナートの怒りを恐れているのではなく、王宮の沈黙が生む不安そのものを恐れているようだった。


「魔導士団など当てにならん。民を落ち着かせるために必要な言葉を言っただけだ」


 レグナートは吐き捨てるように言った。

しかし、その言葉は誰の心にも届かなかった。


 重臣たちは視線を交わし、レグナートから距離を置くように散っていった。


 王宮の沈黙は、王宮内部の者たちを互いに疑わせていた。


 レグナートは苛立ちを抑えきれず、廊下を歩き続けた。

その足取りは乱れ、靴音がやけに大きく響いた。


 王宮の門の方へ向かうと、外からざわめきが聞こえてきた。


 門の前に、民が集まり始めていたのだ。


「魔法は戻ると言ったのは誰だ」


「嘘だったのか」


「王宮は隠していたのか」


 レグナートはその声を聞いた瞬間、顔色を変えた。


「……なぜ民がここに」


 門の前で騎士が民を制している。

しかし、民の声は止まらない。


「宰相レグナートが言ったんだろう!」


「魔法は戻るって!」


「戻ってないじゃないか!」


 レグナートは門の影に身を隠した。

民の怒りが自分に向いていることを理解したからだ。


「……どうしてだ。私は間違っていない」


 しかし、民の声は容赦なく続く。


「嘘をついたのか!」


「王宮は何を隠している!」


「説明しろ!」


 レグナートはその場から逃げるように王宮の奥へ戻った。

背後で民の声が響き続ける。


 王宮の沈黙は、ついに王宮自身へ跳ね返り始めていた。


 王宮内部に戻ると、重臣たちがレグナートを避けるように散っていく。

誰も彼に近づこうとしない。


「……私を疑っているのか」


 レグナートは呟いた。

その声は、誰にも届かなかった。


 王宮の沈黙は、王宮内部の者たちを孤立させる。

その最初の犠牲が、レグナートだった。


 王宮の廊下を歩きながら、レグナートは自分の手を見つめた。

魔法が弱まっているせいで、手のひらに浮かぶ魔力の光は薄い。

その光は、彼の立場と同じように揺らいでいた。


「……魔法は戻る。戻るはずだ」


 しかし、その言葉は自分自身への言い訳にしか聞こえなかった。


 王宮の沈黙は続いている。

その沈黙が生む代償は、まだ始まったばかりだった。


 その頃、公爵邸では別の動きが始まっていた。


 庭の端で騎士団が何かを確認している。

その様子はいつもと変わらないように見えるが、彼らの視線は王都の中心、王宮の方角へ向けられていた。


 私は窓からその様子を見ながら、王宮の沈黙が生む影を静かに感じていた。


 そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。

規則正しく、迷いのない足取り。

団長だった。


「公爵。リリア殿」


 団長は公爵の前に立つと、言葉を選ぶように静かに口を開いた。


「王宮内部の状況が、さらに悪化しています」


 公爵が眉を上げる。


「悪化?あいつら、まだ何も言ってないだろ」


「はい。沈黙は続いています。しかし、レグナート殿が民に対して“魔法は戻る”と断言した件が、王宮内で問題になっています」


 団長は一度だけ息を整え、続けた。


「重臣たちがレグナート殿から距離を置き始めています。王宮内での立場が揺らいでいるようです」


 公爵は短く舌打ちした。


「自分の立場を守るために適当なことを言ったんだろうな。あいつ、もう持たないぞ」


 団長は頷き、さらに報告を続けた。


「魔導士団にも影響が出ています。団が王宮へ問い合わせた際、レグナート殿が“魔法は戻るから民を落ち着かせろ”と団へ圧力をかけていたことが、団員たちに知られました」


 公爵の表情が険しくなる。


「団に嘘を押し付けたってことか。あいつ、どこまで自分の立場にしがみつく気だ」


「団員たちは、レグナート殿の判断を危険視しています。魔法が弱まっている状況で誤った情報を流されたことで、団の動きが遅れたと感じている者が多い」


 団長の声は淡々としていたが、その内容は重く、王宮の崩れ始めた空気をそのまま伝えていた。


 公爵は腕を組み、深く息を吐いた。


「王宮が黙ってる間に、あいつだけが勝手に断言したんだ。そりゃ、団も民も怒るわな」


 団長は頷いた。


「王宮前の民の声も、レグナート殿個人へ向かっています。王宮全体への不信ではなく、“誰が嘘をついたか”が明確になってきています」


 私はその言葉を聞きながら、胸の奥に小さな痛みを覚えた。

王宮の沈黙が、王都の空気を揺らしている。

その揺れは、ついに王宮自身へ跳ね返り始めていた。


 団長は続けた。


「リリア殿。団の中には、レグナート殿の発言が団の判断を妨げたと考える者もいます。魔法が弱まっている状況で誤った情報を流されたことで、団の動きが遅れたと感じている者が多い」


 公爵は窓の外を見ながら言った。


「リリア殿。王宮の沈黙が生んだ最初の崩落は、レグナートだ。あいつの嘘が、王宮全体の信用を削ってる」


 団長は静かに頷いた。


「王宮内部でも、レグナート殿は孤立し始めています。重臣たちが距離を置き、王宮内での立場が揺らいでいます」


 公爵は短く息を吐いた。


「王宮が黙ってる間に、あいつだけが勝手に断言したんだ。そりゃ、団と民が怒るのも無理はない」


 団長は続けた。


「王宮前の民の声は、レグナート殿個人へ向かっています。“王宮は何を隠している”という声よりも、“誰が嘘をついたか”という声が強くなっています」


 私は静かに頷いた。

王宮はまだ沈黙したまま。

しかし、沈黙の代償は、すでに始まっていた。

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