第54話 王宮の沈黙と、公爵邸に集まる声
朝の空気は澄んでいるはずなのに、どこか重たかった。
王都の屋根に光が落ち始めても、街のざわめきはいつもの活気を欠いている。
人々は歩いている。声も交わしている。
それでも、どこか落ち着かない気配が漂っていた。
魔法が弱まり始めた王都。
民は自分たちの生活を守るために動き始めている。
魔法に頼らない道具を探し、職人の店を覗き、炭火や手作業に戻る者も増えた。
昨日までの混乱は少しずつ薄れ、街は新しい形を探している最中だった。
しかし、その動きとは対照的に、王宮は沈黙していた。
「王宮は何を考えているんだ」
「このまま黙っているつもりなのか」
市場の端で、そんな声が聞こえてくる。
怒りというより、戸惑いに近い響きだった。
民は自分たちで動き始めている。
だが、王宮が沈黙したままでは、王都全体の方向性が見えない。
王太子アレクシスは姿を見せず、重臣たちも沈黙を守り続けている。
王宮の門は閉ざされ、発表もなく、使者も出ない。
その沈黙は、王都の空気に薄い影を落とし始めていた。
公爵邸の窓から街を見下ろしていると、遠くの通りで人々が立ち止まり、王宮の方角を見ているのが分かった。
まるで、何かが起こるのを待っているようだった。
「……王宮が動かないと、民は不安になりますね」
私が呟くと、公爵が背後から声をかけてきた。
「王宮は今、何も言えないんだろうな」
「言えない……ですか?」
「魔法が弱まってる。王宮の連中は、どう説明するか決められないんだろう。下手なことを言えば、民の不安を煽るだけだ」
公爵は窓の外を見ながら、淡々とした声で続けた。
「沈黙は悪手だが……奴らにはそれしかできないんだろう」
公爵の言葉は冷静だったが、どこか諦めのような響きもあった。
王宮の沈黙は、王都の流れを止めてしまう危険を孕んでいる。
民は動き始めているのに、王宮は何も示さない。
その差が、王都全体の空気を揺らしていた。
公爵邸の庭では、騎士団が巡回していた。
魔法に頼らない彼らの動きは、王都の変化とは別の安定を示している。
その姿は、民にとっても“揺らがないもの”として映るだろう。
庭の端で、騎士団の一人が何かを確認している。
門の前には、民らしき数人が立っていた。
騎士団が対応している様子が見える。
「……民が来ているんですか?」
「らしいな。王宮が黙ったままだから、誰に相談すればいいか分からないんだろう」
公爵は肩をすくめた。
「王宮が沈黙してると、民は公爵邸に来る。まあ、当然だな。あんたの言葉が広がってるんだから」
私は少しだけ視線を落とした。
民が自分たちの生活を見直し始めたのは、昨日の出来事がひとつの合図になったからだ。
その合図は王都に新しい風を生みつつある。
しかし、王宮が沈黙したままでは、民の不安は完全には消えない。
そのとき、庭の方から騎士団の一人が駆けてきた。
公爵邸の扉が叩かれ、使用人が対応する声が聞こえる。
「公爵様。民の代表が来られています」
使用人の声は少し緊張していた。
公爵は短く頷き、私の方へ視線を向けた。
「リリア殿。民の声を聞く必要があるかもしれないな」
私は静かに頷いた。
王宮が沈黙している以上、民は公爵邸に頼るしかない。
その流れは、昨日から続いている。
公爵邸の玄関に向かうと、民の代表らしき三人が立っていた。
彼らは緊張した面持ちで、公爵に深く頭を下げた。
「公爵様……王宮は何も言わないままです。魔法が弱まっている中、どう動けばいいのか分かりません」
公爵は落ち着いた声で答えた。
「王宮が黙っているのは事実だ。だが、民が動いているなら、それを止める必要はない」
民の代表は不安げに視線を揺らした。
「ですが……王宮が沈黙したままでは、王都全体がどうなるのか……」
公爵は少しだけ目を細めた。
「王宮が動かないなら、民が動けばいい。それが今の王都の流れだ」
その言葉は、民の代表にとって救いだったのかもしれない。
彼らはわずかに肩の力を抜いた。
私はその様子を見ながら、胸の奥に小さな痛みを覚えた。
王宮の沈黙が、民を不安にさせている。
その不安は、王都全体に広がりつつある。
公爵は私の方へ向き直った。
「リリア殿。王宮が黙っていても、民は止まらない。あなたが焦る必要はない」
その言葉は、静かに胸に落ちた。
民は自分たちで動き始めている。
王宮が沈黙しているからこそ、民は自分たちの力で未来を探そうとしている。
公爵邸の庭に吹く風は、昨日よりも少し冷たかった。
王都は揺れている。
王宮の沈黙と民の動きが、街の空気を引き裂くように広がっていた。
私はその流れを、ただ静かに見つめていた。
民の代表が公爵邸を去ったあと、玄関の扉が静かに閉じた。
その音は、王都の空気に漂う不安を象徴しているようだった。
公爵邸の庭には、騎士団がいつもより多く配置されている。
魔法に頼らない彼らの動きは、王都の揺れとは無関係に安定していた。
私は廊下を歩きながら、民の表情を思い返していた。
不安と期待が混じった、複雑な目。
王宮が沈黙しているせいで、民は自分たちの判断に頼るしかない。
その状況は、王都全体を静かに揺らしていた。
公爵が隣を歩きながら言った。
「民の代表、思ったより冷静だったな」
「……はい。混乱しているわけではありませんでした」
「王宮が黙ってるから、民は自分で考えるしかないんだろうな。やっぱり……あいつらは、意外と強いぞ」
公爵の声は落ち着いていたが、どこか慎重さが混じっていた。
王宮の沈黙は、民の自立を促す一方で、王都の方向性を曖昧にしている。
その曖昧さが、じわじわと街の空気を濁らせていた。
廊下の先で、騎士団の一人が駆けてきた。
息を整えながら、公爵に報告する。
「公爵様。王都の北区で、民が集まっているとの情報が入りました。魔法の弱まりについて話し合っているようです」
「騒ぎか?」
「いえ、争いではありません。ただ……王宮が沈黙していることへの不安が広がっているようで」
公爵は短く息を吐いた。
「王宮が黙ってると、民は勝手に集まる。まあ、当然だな」
騎士団員は頷き、すぐに持ち場へ戻っていった。
公爵は私の方へ向き直る。
「リリア殿。王都の空気が少し荒れてきてる。民は冷静だが、王宮の沈黙が長引けば、どうなるか分からん」
「……王宮は、なぜ何も言わないのでしょう」
「魔法が弱まった理由を説明できないんだろう。それに、王太子アレクシスが姿を見せないのも大きい」
アレクシス。
王都の未来を担うはずの人物が、沈黙したまま姿を見せない。
その事実は、民の不安をさらに深めていた。
公爵邸の庭に出ると、風が少し強く吹いた。
騎士団が巡回している姿が見える。
彼らは魔法に頼らない。
その強さは、王都の揺れとは別の安定を示していた。
そのとき、背後から足音が聞こえた。
規則正しく、迷いのない足取り。
団長だった。
「公爵。リリア殿」
団長は、公爵の前に立つと声の調子をわずかに整えた。
「魔導士団の件で報告があります」
公爵が頷き、団長を庭の端へ招いた。
団長は私の方へ視線を向け、静かに言った。
「リリア殿。団の中で、王宮の沈黙を問題視する声が出ています」
「……魔導士団が?」
「ええ。魔法が弱まっている状況で、王宮が何も言わないのは危険だと考える者が多い。団は民の動きを支えるつもりですが、王宮が沈黙したままでは限界があります」
団長の声は淡々としていたが、その内容は重かった。
「団長。魔導士団は、今どう動いている?」
公爵が尋ねると、団長は迷いなく答えた。
「以前お話した通り、民の動きを観察し、必要な支援を行っています。魔法が弱まったことで困っている地区の調査も進めています。ただ……王宮が沈黙しているせいで、団の判断が難しくなっているのも事実です」
団長は少しだけ視線を落とした。
「魔導士団は、王宮の指示を受けて動く組織です。しかし、今はその指示がない。だから、団員たちは自分たちで判断するしかない状況です」
公爵は腕を組み、静かに言った。
「王宮が黙ってると、団も動きづらいか」
「ええ。民を守るために動いていますが、王宮が沈黙したままでは……団の動きが王宮の意向に反する可能性もあります」
団長の言葉は、魔導士団の立場の難しさを示していた。
民を守るために動きたい。
しかし、王宮の沈黙がその動きを縛っている。
団長は続けた。
「リリア殿。団の中で、あなたの存在を“判断材料”として見ている者がいる」
「判断材料……?」
「ああ。民があなたの言葉で動き始めたことを、団員たちは知っている。だから、あなたの動きが団の判断に影響すると考える者がいる」
私は少しだけ息を吸った。
自分が何かを変えたという実感はまだ薄い。
しかし、団長の言葉は嘘ではない。
「……私は、何もしていません」
「それでも、民は動いてる。団もそれを見ている」
団長の声は静かだったが、確かな重みがあった。
公爵はしばらく黙っていた。
庭を吹き抜ける風の音だけが、三人の間に流れていた。
やがて、公爵はゆっくりと口を開いた。
「リリア殿。今の王都は、誰が動くかじゃなくて、“何が起きているかを見極める力”が必要だ」
私は公爵の横顔を見つめた。
それは、これまで言われてきた、「動かなくていい」という言葉とは違う。
私に“観察者としての役割”を示しているようだった。
「民がどう動くか、団がどう変わるか、王宮が何を隠しているか。その全部を見て、判断できるのは……あなただけだ」
公爵の声は静かだったが、確かな意志があった。
「リリア殿。焦る必要はないが、ただ待つだけでもない。王都の流れを読むのは、あなたの役目だ」
その言葉は、胸の奥に深く沈んだ。
“動かなくていい”ではなく、“見極めろ”という新しい役割。
王都は揺れている。
王宮の沈黙、民の動き、魔導士団の迷い。
そのすべてが絡み合い、街の空気を複雑にしていた。
私はその流れを、ただ静かに見つめていた。
しかし、今までとは違う。
見つめるだけではなく、“読み取る”必要がある。
公爵邸の庭に吹く風は、昨日よりも少し冷たかった。
その冷たさは、王都の不安を象徴しているようだった。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
王都の流れを読む。
それが、今の私に与えられた役目だった。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援お願いします!




