第49話 王太子の懇願と、令嬢の拒絶
執務室へ戻ると、アレクシスは机の前で立ち尽くしていた。
その姿は、王太子としての威厳を保とうとしているようでいて、どこか頼りなかった。
公爵が静かに入室し、私の隣へ立つ。
アレクシスは私を見つけると、わずかに肩を震わせた。
その反応は、覚悟を決めた者というより、追い詰められた者のそれだった。
私はゆっくりと歩みを進め、机の前で立ち止まった。
「……続きを聞かせてください」
私の言葉に、アレクシスは短く息を吸った。
その瞳には、焦りと迷いが混じっていた。
彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「リリア……君の力が必要だ」
その一言で、空気がわずかに揺れた。
公爵は眉を寄せ、アレクシスの言葉の続きを待つ。
アレクシスは拳を握りしめ、言葉を絞り出した。
「魔法が暴走している。術式が崩れ、街では怪我人が出ている。王宮の魔導士たちも……もう制御できない」
その声は、王太子としての報告ではなく、自分の世界が崩れゆく恐怖に縋る者の声だった。
私は静かに彼を見つめた。
「術式を消せる君だけが……王国を救える」
アレクシスは私へ一歩近づいた。
その動きは、かつて婚約破棄を告げたときの余裕とはまるで違っていた。
彼は必死に何かを掴もうとしているようだった。
「君の力は……危険だと思っていた。魔法を消す力は、王都の価値観を壊すものだと……そう信じていた」
その言葉は、過去の彼を象徴していた。
魔法至上主義の価値観に縛られ、魔法を消す力を“異質”と呼んだ男。
私は静かに息を吸い、彼の言葉を待った。
「でも今は……その力が必要なんだ。魔法が暴れ、術式が崩れ……誰も止められない。君だけが……この混乱を抑えられる」
アレクシスの声は震えていた。
その震えは、王太子としての責務よりも、自分の世界が崩れゆく恐怖のほうが強いことを示していた。
公爵は静かに腕を組み、アレクシスへ視線を向けた。
「状況は理解しました。しかし、判断するのはリリア殿です」
その言葉は、私の背中を押すものではなく、私の選択を尊重する者の言葉だった。
私はアレクシスへ視線を向けた。
「……私に協力を求める理由は、王国のためだけですか」
アレクシスは言葉を失い、唇を震わせた。
その沈黙は、私の問いが彼の胸を深く刺したことを示していた。
彼は視線を落とし、短く息を吐いた。
「王国を守るために……力を貸してほしい」
その言葉は、王太子としての命令ではなく、ただの懇願だった。
私は静かに彼を見つめた。
魔法を消す力を“危険”と呼び、距離を置いた男が、今はその力に救いを求めている。
その事実は、皮肉という言葉では足りないほどの現実だった。
公爵は一歩前へ出て、アレクシスへ静かに告げた。
「リリア殿は、あなたの判断に振り回される存在ではありません」
その言葉は、アレクシスの胸をさらに深く刺した。
彼は顔を上げ、私を見つめた。
「……リリア。君の力が……必要なんだ」
その声は、かつての彼を知る私には信じられないほど弱かった。
私は胸の奥に広がる感情を静かに受け止めた。
屋敷の空気は張り詰め、研究院の一団も騎士たちも、リリアの答えを待つように沈黙している。
その沈黙は、嵐の前の静けさのようだった。
私はゆっくりと息を吸い、アレクシスへ向き直った。
胸の奥にある感情は、怒りでも悲しみでもなかった。
心に浮かんだ感情は、次に踏み出す一歩を定めるための指針になっていた。
私は静かに口を開いた。
「……あなたの言葉は、聞きました」
アレクシスは息を呑み、私の言葉の続きを待った。
その瞳には、焦りと期待が混じっていた。
私は視線を逸らさず、静かに彼を見つめた。
「でも、答えはまだ出していません」
その言葉で、空気がわずかに揺れた。
アレクシスは小さく肩を震わせ、唇を噛んだ。
私はゆっくりと息を吐き、言葉を続けた。
「あなたが何を求めているのか、それを確かめる必要があります」
アレクシスは言葉を失い、ただ私を見つめていた。
その姿は、かつての王太子ではなく、ただのひとりの男だった。
私は静かに視線を落とし、胸の奥に広がる感情を整えた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……続きは、これから聞きます」
その言葉で、場の空気が静かに揺れた。
アレクシスは息を呑み、わずかに頷いた。
私は胸の奥に広がる感情を抱えたまま、次の言葉を待つために、静かに立ち尽くした。
執務室の空気は、誰もが息を潜めているような静けさに包まれていた。
アレクシスは机の前に立ち、肩の力を抜いたまま私を見つめていた。
その瞳には、王太子としての強さよりも、迷いの色が濃く滲んでいた。
公爵は私の横で静かに立ち、場の流れを見守っている。
私は一歩前へ進み、アレクシスと向き合った。
「……話の続きを」
促すと、アレクシスは短く息を吸い、視線を落とした。
その表情は、言葉を選びきれない者の迷いそのものだった。
「リリア。君の力が……必要だ」
その声は弱く、かつての彼を知る私には信じられないほどだった。
アレクシスは続けた。
「君がいれば……人々を守れる。それだけは、確かなんだ」
私は静かに彼を見つめた。
魔法を消す力を“危険”と呼び、距離を置いた男が、今はその力に救いを求めている。
その事実は胸の奥に冷たく沈んだ。
「……あなたは、私を拒みました」
アレクシスは息を呑み、視線を落とした。
私は続けた。
「私の力が邪魔だと言って。あなたの世界を壊すと、そう言って」
アレクシスは唇を震わせ、言葉を探した。
しかし、声は出なかった。
公爵が静かに口を開いた。
「アレクシス殿。あなたがリリア殿を遠ざけた理由は、あなた自身が一番よく分かっているはずです」
アレクシスは苦しげに目を閉じた。
その沈黙は、過去の自分を直視する者の痛みだった。
「……あの時の私は、狭い価値観に縛られていた。君を傷つけたことも……理解している」
その声はかすかに震えていた。
私は静かに息を吸い、彼の言葉を受け止めた。
「今、あなたが求めているのは……私の力ですか。それとも、あなた自身の過ちを正すための“象徴”ですか」
アレクシスは顔を上げた。
その瞳には、迷いと焦りが混じっていた。
「……どちらでもない。私は……人々を守りたい。それだけだ」
その言葉は、王太子としての責務ではなく、ひとりの人間としての願いだった。
公爵は静かに言った。
「アレクシス殿。あなたの願いは理解しました。しかし、リリア殿がどう判断するかは、あなたの望みとは別のところにあります」
アレクシスは頷き、私へ視線を戻した。
その瞳には、期待も焦りも混じっていたが、強制はなかった。
私はゆっくりと息を吸い、胸の奥に広がる思いを整えた。
その思いは、これから進む道を選ぶためのものだった。
「……話は、ここまでで十分です」
アレクシスはわずかに目を見開き、息を止めた。
公爵は静かに頷き、場の緊張がゆっくりとほどけていく。
私は続けた。
「あなたの願いは理解しました。けれど、すぐに答えを出すことはできません」
アレクシスは唇を噛み、視線を落とした。
その肩はわずかに震えていた。
「私がどう動くかは……私自身が決めます。誰の都合でもなく、私の意思で」
その言葉は、静かに執務室へ落ちた。
重くもなく、強くもなく、ただ揺るぎない響きを持っていた。
アレクシスはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、諦めではなく、受け入れようとする気配があった。
「……分かった。君の答えを、待つ」
その声は弱く、しかし確かだった。
公爵は軽く頭を下げ、場の緊張がゆっくりとほどけていく。
私は一歩下がり、深く息を吐いた。
胸の奥に広がる思いは、まだ形になっていない。
けれど、進むべき方向を探すための静かな灯のように揺れていた。
執務室の窓から差し込む光が、床に淡く広がっていた。
その光の中で、アレクシスはただ立ち尽くしていた。
王太子としてではなく、過ちを抱えたひとりの青年として。
私は公爵とともに扉へ向かい、静かに執務室を後にした。
こうして、ひとつの話が終わりを迎えた。
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