第48話 崩れゆく王都の真実
別室へ移るために歩き出した私の背後で、アレクシスの足音が止まった。
公爵が扉を閉めると、屋敷の中は外の騒ぎが嘘のように静まり返った。
その静けさは、これから聞く話の重さを予感させるものだった。
公爵は私の隣に立ち、軽く息を吐いた。
「リリア殿。落ち着いたら、続きを聞きましょう」
その声は、私の心を整えるためのものだった。
私は頷き、深く息を吸った。
胸の奥に渦巻く感情は、まだ形になっていない。
ただ、アレクシスの言葉の続きを聞く必要があることだけは分かっていた。
執務室へ戻ると、アレクシスは机の前で立ち尽くしていた。
その姿は、王太子という肩書きの重さを背負いきれなくなった者のようだった。
公爵が静かに促す。
「続けてください。王都で何が起きているのか」
アレクシスはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、疲労と焦りが混じっていた。
彼は言葉を選ぶように、短く息を整えた。
「……王都は、もう正常ではない」
その一言で、空気がわずかに揺れた。
私は無意識に指先へ力を込めた。
アレクシスは続ける。
「魔法の乱れは……広がっている。王宮の魔導士たちでさえ、術式を安定させられない。街では、暴走した術式が建物を壊し、怪我人も出ている」
その声は、王太子としての報告ではなく、自分の世界が崩れた者の告白だった。
公爵は眉を寄せ、静かに問いかけた。
「暴走……具体的には?」
「火の術式が突然爆ぜたり、風の術が制御を失って吹き荒れたり……。普段なら初歩の術で済むはずのものが、まるで別物のように暴れ出す」
アレクシスは拳を握りしめた。
その指先は白くなり、必死に何かを抑え込んでいるようだった。
「王宮の防御術式も……途切れがちだ。魔法塔の機能が不安定で、王都全体の防御網が崩れ始めている」
私は息を呑んだ。
魔法塔は王都の中心であり、魔法社会の象徴だ。
その塔が不安定になるということは、王都の価値観そのものが揺らいでいるということだった。
「王国は……このままでは持たない」
アレクシスの声は震えていた。
その震えは、王太子としての責務よりも、“恐怖”が先に立っているように聞こえた。
私は静かに彼を見つめた。
かつて私を切り捨てた男が、今は自分の世界の崩壊を前に立ち尽くしている。
その姿は、皮肉という言葉では足りないほどの現実だった。
「……王都は、魔法に依存しすぎたんです」
私の言葉に、アレクシスはわずかに肩を震わせた。
公爵は腕を組み、冷静に状況を整理するように言った。
「王都が求めているのは、リリア殿の力そのものではない。“魔法を無効化できる存在”という象徴だ」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んだ。
私はただの“便利な力”として扱われている。
その事実は、王都を離れた理由を思い出させるには十分だった。
アレクシスは苦しげに視線を落とした。
「……君を捨てた時の私は、魔法がすべてだと思っていた。魔法を消してしまう君を……理解しようともしなかった」
その言葉は、かつての彼からは決して聞けなかった種類の言葉だった。
しかし、今の私にはその言葉が慰めになることはなかった。
「王都が混乱しているのは、あなたたちが選んだ価値観の結果です」
アレクシスは言葉を失い、唇を震わせた。
その沈黙は、言葉よりも重かった。
公爵は静かに言った。
「リリア殿。ここから先は、あなたの選択が流れを形作るでしょう」
私はゆっくりと息を吸った。
胸の奥にある感情は、怒りでも悲しみでもなかった。
ただ、自分がどこに立つのかを決めるための感情だった。
アレクシスは私を見つめたまま、何も言えずに立ち尽くしていた。
その姿は、かつての王太子ではなく、ただのひとりの男だった。
私は静かに口を開いた。
「……続きは、少し落ち着いてから聞きます」
アレクシスは小さく頷いた。
その表情には、安堵と不安が入り混じっていた。
公爵は私へ向き直り、穏やかな声で言った。
「リリア殿。別室を用意します」
私は頷き、執務室を後にした。
廊下の空気は冷たく、胸の奥に広がる感情を落ち着かせてくれるようだった。
私はゆっくりと歩きながら、アレクシスの言葉を反芻した。
王都の崩壊。
魔法の乱れ。
価値観の崩落。
そのすべてが、私の前へ集まり始めている。
私は静かに息を吐き、歩みを進めた。
自分がどこに立つのか、その答えを探すために。
廊下を歩きながら、私は胸の奥に沈んだ感情をひとつずつほどいていった。
アレクシスの言葉は重く、王都の崩壊は現実として迫っている。
しかし、その混乱の根底には、彼ら自身が選んできた価値観がある。
別室へ入ると、窓から差し込む光が床に淡く広がっていた。
その静けさは、屋敷の外で起きている混乱とは対照的だった。
私は椅子へ腰を下ろし、深く息を吸った。
「……王都が、あんな状態になっているなんて」
思わず漏れた言葉は、驚きというより、呆れに近かった。
公爵が静かに扉を閉め、私の向かいへ座った。
その表情は落ち着いていたが、奥にある緊張は隠せていなかった。
「リリア殿。王都の混乱は、想像以上に深刻です」
「魔法塔まで不安定だなんて……」
「ええ。魔法塔は王都の中心であり、魔法社会の象徴です。そこが揺らぐということは、王都の価値観そのものが崩れているということです」
公爵の言葉は、アレクシスの告白を裏付けるものだった。
私は指先を組み、静かに視線を落とした。
「……私を捨てた理由も、そこにあるんですよね」
公爵は短く息を吐き、私へ視線を向けた。
「魔法を消す者は価値がない。王都は長くその価値観に縛られてきました。あなたが切り捨てられたのも、その延長線上です」
その言葉は、胸の奥に沈んでいた痛みを静かに刺激した。
しかし、今の私はその痛みに飲まれるほど弱くはなかった。
「でも今は、魔法が乱れて……私の力が必要になった」
「そうです。ただし、王都が求めているのは“あなたの力そのもの”ではありません」
公爵は少し間を置き、言葉を続けた。
「王都が欲しているのは、あなたが象徴するものです。魔法に頼らない力。魔法至上主義を否定する存在。そして、自分たちの価値観が間違っていたと示す証拠」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んだ。
私はただの“便利な力”として扱われている。
その事実は、王都を離れた理由を思い出させるには十分だった。
「……私を利用したいだけなんですね」
「そうでしょう。王都は今、自分たちの価値観が崩れたことを認めたくない。だから、あなたの存在を“救い”として扱おうとしている」
公爵の声は淡々としていたが、その奥には怒りが潜んでいた。
王都の者たちが私をどう扱ってきたか、公爵は誰よりも知っている。
「アレクシスも……そうなんでしょうか」
その問いに、公爵は少しだけ視線を逸らした。
そして、静かに答えた。
「彼が何を考えているかは、まだ分かりません。ただ、王都の混乱を前に、彼の価値観も揺らいでいるのは確かです」
私は窓の外へ視線を向けた。
庭の木々が風に揺れ、葉が淡く光を反射していた。
その穏やかな景色は、王都の混乱とはまるで別世界だった。
「……王都は、自分たちが選んだ道の結果を受け止めるべきです」
その言葉は、自分でも驚くほど静かだった。
公爵はわずかに目を細め、私の言葉を受け止めた。
「リリア殿。あなたは強くなりましたね」
「強くならざるを得なかっただけです」
公爵は短く笑い、椅子の背にもたれた。
「それでも、あなたは自分の足で立っている。王都の者たちが崩れた価値観に縋っている中で、あなたは揺らいでいない」
その言葉は、胸の奥に静かに響いた。
私は自分の力を誇ったことはない。
ただ、魔法が使えないという事実を受け入れ、前へ進んできただけだ。
「……アレクシスは、私に何を求めているんでしょう」
「それを確かめる必要があります。彼があなたを“力として”見ているのか、“象徴として”見ているのか、それによって、あなたの選択は変わるでしょう」
公爵の言葉は、私の胸の奥に静かに沈んだ。
私はゆっくりと息を吸い、視線を落とした。
「……話を聞きに戻ります」
公爵は頷き、立ち上がった。
「あなたが望むなら、私も同席します」
「お願いします。ひとりでは……判断しきれないかもしれません」
公爵は穏やかに微笑み、扉へ向かった。
私はその後ろを歩き、執務室へ戻る準備を整えた。
廊下を歩くたびに、胸の奥にある感情が少しずつ形を成していく。
怒りでも悲しみでもない。
ただ、自分がどこに立つのかを決めるための感情だった。
執務室の扉が見えてきた。
その向こうには、王都の崩壊を語る男がいる。
かつて私を捨てた男が、今は自分の世界の崩壊を前に立ち尽くしている。
私は静かに息を吸い、扉へ手を伸ばした。
これから聞く言葉が、私の選択を左右する。
そのことを理解しながら、私は扉を開いた。
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