第46話 選択の時が迫る
公爵が文献を閉じたあと、執務室には紙の匂いが薄く残っていた。
古い文字が並ぶページには、魔法体系が揺らいだ時代に現れたとされる者についての記述があった。
魔法の流れが乱れたとき、中心に立つ存在の特徴が、私の力と重なっている。
胸の奥に広がる感覚は、恐れではなく、静かな重さだった。
自分が“時代の揺らぎに関わる存在”かもしれないという事実は、ゆっくりと心の中へ沈んでいく。
公爵は机の端に手を置き、私へ視線を向けた。
「リリア殿。記録を読んで、何か感じたことはあるか」
問いかけは穏やかだったが、奥に鋭さがあった。
私は少しだけ視線を落とし、胸の奥にある感覚を探った。
「……まだ整理できていません。ただ、記録の内容が……自分の力と近い気がして」
「近いというより、符合していると言ったほうが正しいだろう」
公爵は淡く目を細めた。
「魔法の流れを断ち切れる者は、研究院にもいない。君の力は、記録に記された特徴と一致している」
その言葉は、胸の奥に静かに響いた。
自分の力が、ただの“欠陥”ではない可能性がある。
その事実は、ゆっくりと心の中へ広がっていく。
そのとき、廊下の向こうから騎士の声が響いた。
「閣下!外の一団の……様子が変わりました!」
公爵は眉を寄せ、窓へ向かった。
私もその後ろに立つ。
屋敷の前では、研究院の一団が騎士へ詰め寄っていた。
先ほどまで整っていた隊列は乱れ、誰かが巻紙を広げ、別の者は紋章を握りしめ、声を荒げている。
焦りというより、落ち着きを失った動きが目立っていた。
足取りが揃わず、視線が定まらず、何かを探すように周囲を見回している。
「……あの人たち、どうしたんでしょう」
「王都から新たな報せが届いたのだろう」
公爵の声は低く、奥に鋭さがあった。
一団の中で、ひとりの男が騎士へ詰め寄り、別の者は紋章を掲げたまま周囲を見回している。
その動きは、ただの捜索ではない。
判断を急かされている者の動きだった。
「リリア様」
控えていた騎士が、少し声を落として言った。
「先ほどまでの落ち着いた態度とは違います。まるで、状況が変わったことを悟ったような……そんな動きです」
「状況が変わった……?」
「はい。王都で、何か新しい問題が起きた可能性があります」
胸の奥が強く揺れた。
研究院の一団が落ち着きを失った理由は、王都で起きている混乱が“仕組みの不調”という段階を越えたからだと分かった。
魔法を扱う者たちが、自分たちの術式が思い通りに動かない場面に直面し始めたらしい。
普段なら簡単に扱えるはずの魔法が、発動の途中で途切れたり、意図しない方向へ流れたりするという報告が届いたという。
魔法そのものが、“使う側の意思を受け取れなくなっている”。
そんな状態が広がり始めているらしい。
その変化は、王都の者たちにとって防御設備の崩れよりも深刻だった。
魔法を誇りとしてきた者たちが、自分の術式が制御できないという現実に直面したとき、価値観そのものが揺らぎ始める。
研究院の一団が騒ぎ始めたのは、その報告が届いた直後だった。
一団の落ち着きを失った動きは、王都の価値観が崩れつつあることを象徴していた。
そのとき、公爵が静かに口を開いた。
「リリア殿。王都から、もう一人向かっている者がいる」
その言葉は、外の騒ぎとは違う重さを持っていた。
「……誰ですか」
「君の元婚約者……王太子アレクシスだ……」
胸の奥が一瞬だけ固まった。
その名を聞いたわけではない。
けれど、誰のことかはすぐに分かった。
王都で私を捨て、別の令嬢を選んだ男。
魔法至上主義の価値観に従い、魔法を扱えない私を“欠陥”と呼んだ男。
公爵は淡々と続けた。
「王都の混乱の中で、彼は自分の判断が揺らぎ始めているらしい。魔法障壁が消え、魔法塔が止まり、魔法通信が乱れた今、君の力が必要だと理解し始めたのだろう」
胸の奥に、冷たい感覚が広がった。
王都で私を捨てた男が、今になって私を求めている。
その理由は、私の力が必要だから。
それは、かつての婚約者としての感情ではなく、ただの“都合”だ。
「……来るんですか」
「向かっているらしい。研究院の一団とは別に、王都を出たという報告がある」
公爵は窓の外を見つめたまま続ける。
「王都の者たちは、今まで自分たちが立っていた場所が揺らいでいることに気づいたはずだ。魔法を扱える者が上位に立つという価値観が崩れたとき、人は自分が何を信じていたのか分からなくなる」
その言葉は、元婚約者の心情を示しているようだった。
魔法を誇りにしていた者たちが、今は必死に“答え”を求めている。
その中に、元婚約者もいる。
窓の外では、一団が騎士へ詰め寄り続けていた。
その落ち着きを失った動きは、王都の価値観が崩れた証であり、私の存在が必要とされている証でもあった。
胸の奥で、別の感情が静かに広がっていった。
屋敷の前に集まった研究院の一団は、もはや“調査隊”というより、自分たちの足場を探して右往左往する集団に見えた。
誰かが騎士へ詰め寄り、別の者は巻紙を広げたまま何度も同じ行を読み返している。
その視線は文字を追っているのではなく、“自分の理解が正しいのか”を確かめようとする者の迷いだった。
公爵は窓の外を見ながら、低く言葉を落とした。
「外の者たちは、状況の変化に追いつけていないようだ。自分たちが拠り所にしてきた知識が通用しないと分かった時、人は判断を誤る」
その言葉は、外の混乱を正確に言い当てていた。
騎士が新たな報告を携えて部屋へ入ってきた。
肩で息をするほど急いでいるわけではないのに、どこか落ち着かない気配が漂っていた。
「閣下。外の者たちの間で、こちらを気にする者が増えています。名前を呼んだような声もありましたが、騎士たちが抑えています」
私は窓の外へ視線を向けた。
距離があるにもかかわらず、こちらへ向けられた視線の気配が胸の奥に届いた。
その視線は敵意ではなく、“何かを求める者の切実さ”を帯びていた。
「やっぱり……私を探しているんですね」
「そう見えるな」
公爵は机の端に手を置き、静かに続けた。
「外の者たちは、王都で起きている変化を前に、自分たちの知識では対処できないと悟ったのだろう。その結果、古い記録に記された存在へ頼ろうとしている」
胸の奥がゆっくりと揺れた。
王都では、私の力は“扱いづらいもの”として距離を置かれた。
魔法社会の中で、私は常に端へ追いやられていた。
けれど今、古い記録に記された存在と、自分の力が重なり始めている。
その変化は、私自身よりも王都の者たちのほうが強く感じているのかもしれない。
公爵は文献を閉じ、私へ向き直った。
「リリア殿。王都から向かっている者について、話しておくべきことがある」
その声は、外の騒ぎとは違う重さを持っていた。
「……王太子アレクシスのことですね」
「そうだ」
公爵は短く頷いた。
「王宮からの伝令によれば、王太子は王都を離れたらしい。研究院の一団とは別に動いているようだ」
胸の奥に冷たい感覚が広がった。
王都で私を捨て、別の令嬢を選んだ男。
魔法至上主義の価値観に従い、魔法を扱えない私を“欠陥”と呼んだ男。
その男が、今になって私のもとへ向かっている。
「……理由は分かっているんですか」
「王太子の周囲で、術式の乱れが続いているらしい。王宮の魔導士たちが対処を試みているが、改善していない。王太子は、自分の判断が揺らいだのだろう」
公爵は淡々と続けた。
「今まで信じてきた価値が崩れた時、人は新しい拠り所を探す。王太子にとって、それが君の力なのだろう」
胸の奥が静かに揺れた。
王都で私を捨てた男が、今になって私を求めている。
その理由は、私の力が必要だから。
それは、かつての婚約者としての感情ではなく、ただの“都合”だ。
公爵は続けた。
「リリア殿。王太子が何を考えているかは分からない。だが、君と向き合う時が近い」
その言葉は、胸の奥に重く沈んだ。
外では、研究院の一団が騎士へ詰め寄り続けていた。
誰かが紋章を掲げ、別の者は巻紙を握りしめ、まるで“答えを求める者”のように声を荒げている。
その声は、王都の価値観が崩れた証だった。
公爵は窓の外を見つめたまま言った。
「王都の者たちは、今まで自分たちが立っていた場所が揺らいでいることに気づいたはずだ。魔法を扱える者が上位に立つという価値観が崩れたとき、人は自分が何を信じていたのか分からなくなる」
その言葉は、王太子アレクシスの心情を示しているようだった。
魔法を誇りにしていた者たちが、今は必死に“答え”を求めている。
その中に、王太子アレクシスもいる。
私は静かに息を吸った。
王都の崩壊、研究院の混乱、古代の記録。
そして、王太子アレクシスの接近。
すべてが、私の前へ集まり始めている。
その流れは、もう止まらない。
公爵はゆっくりと私へ向き直った。
「リリア殿。君がどう向き合うか。それを選択する時が迫っている」
胸の奥で、別の感情が静かに広がっていった。
それは、かつての婚約者に対する感情ではない。
王都で受けた扱いでもない。
研究院の態度でもない。
ただ、自分がどこに立つのかを決めるための感情だった。
屋敷の前で騒ぎ続ける一団の声が、遠くで波のように揺れている。
その音を聞きながら、私は静かに息を吸った。
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