第45話 光の者の記録
王都から届いた追加の伝令が途切れたあとも、公爵は机の上の巻紙を見つめ続けていた。
魔法障壁の消失、魔法塔の停止、魔法通信の途絶、どれも、王都の魔法体系が根本から揺らいでいることを示している。
しばらく沈黙が続いた。
公爵は指先で巻紙の端を押さえたまま、深く息を吐いた。
「……ここまで魔法が乱れるのは、記録にある“ある現象”が起きている可能性がある」
その言葉は、ただの推測ではなく、確信に近い響きを持っていた。
「ある現象……?」
私は思わず問い返した。
公爵はゆっくりと立ち上がり、部屋の奥へ歩いていく。
「古い時代に、一度だけ似た事例があった。魔法体系が揺らぎ、国が混乱した時代だ」
壁際の棚の一部を押すと、隠し扉のようにゆっくりと開き、薄暗い書庫が姿を現した。
古い紙の匂いがふわりと漂い、長い年月を経た記録が眠っていることを感じさせる。
「王都の者たちは、この記録をほとんど読まない。だが、今の状況は……あの時代とあまりにも似ている」
公爵は棚の奥から一冊の文献を取り出した。
表紙は色褪せているが、破れはなく、丁寧に扱われてきたことが分かる。
「リリア殿。今の王都の混乱を理解するには、これを見てもらう必要がある」
文献が机の上に置かれた瞬間、紙の匂いが広がった。
公爵は椅子に腰を下ろし、慎重にページをめくる。
「古代の魔法体系が生まれた頃の記録だ。魔法がまだ形を持たなかった時代の話が書かれている」
ページは薄く、触れれば破れそうなほど繊細だ。
それでも文字はしっかり残っている。
「ここを読んでみてくれ」
公爵が指先で示した箇所には、古代文字で書かれた一文があった。
今の文字とは少し違う形をしているが、意味は読み取れる。
私は息を呑んだ。
“光の者は、魔法の時代を終わらせる”
胸の奥が強く揺れた。
その言葉は、ただの伝承ではない。
古代の魔法体系が生まれた頃に記された、最初期の記録だ。
「……魔法の時代を終わらせる?」
「そう書かれている」
公爵はページを押さえたまま、静かに続けた。
「光の者は、魔法の流れを断ち切る存在として記されている。魔法体系が揺らぐ時代に現れる、とも書かれている」
胸の奥がざわつく。
魔法の流れを断ち切ることは、私の力の性質そのものだ。
「……私の力と、似ています」
「似ているどころではないだろう」
公爵は淡く目を細めた。
「魔法を消す力は、魔法の流れを掴める者にしか扱えない。君の力は、まさに“光の者”の特徴と一致している」
私は文献の文字を見つめた。
古代の記録は、まるで私の存在を予言していたかのようだ。
「光の者は、魔法の時代を終わらせる……」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が強く揺れた。
王都では“欠陥”と呼ばれた力。
研究院では“邪魔”と断じられた力。
けれど、この記録は、その力が“時代を変えるもの”である可能性を示している。
「リリア殿」
公爵が静かに声をかける。
「君は、自分の力をどう捉えている」
「……ずっと、怖い力だと思っていました。誰かを傷つけるかもしれないし、魔法を壊してしまうかもしれない。だから、王都で言われたことを受け入れるしかなくて……」
言葉が自然とこぼれた。
公爵は否定も肯定もせず、ただ聞いていた。
「でも、今は……違うかもしれないと思っています」
「違う?」
「魔法が乱れている今、私の力が役に立つかもしれない。魔法を消す力が、誰かを守ることにつながるなら……それは、怖い力じゃないのかもしれない」
公爵はゆっくりと頷いた。
「その考えは、光の者の記録とも一致している。魔法の時代が揺らぐとき、光の者は現れる。魔法の流れを整えるためにな」
胸の奥が熱くなる。
自分の力が、ただの“欠陥”ではないかもしれない。
古代の記録に記された存在と重なるかもしれない。
「……私が、光の者だと?」
「断言はできない。だが、状況はそれを示している」
公爵は文献を閉じ、机の上にそっと置いた。
「魔法体系が揺らぎ、王都が混乱し、研究院が君を求めている。その流れは、光の者の記録と一致している」
胸の奥が静かに揺れた。
そのとき、廊下の向こうから騎士の声がした。
「閣下!外の一団が動きました!」
公爵は窓へ向かい、外を見下ろした。
私もその後ろに立つ。
門の前に集まっていた研究院の一団が、紋章を掲げ直していた。
その角度が変わり、光が屋敷の方へ向けられている。
「……私のいる方向に向けています」
「君を探しているのだろう」
公爵の声は静かだが、奥に鋭さがあった。
「光の者の記録を知っている者が、研究院にいる可能性もある。魔法体系が揺らいだ今、君の力を必要としているのだ」
胸の奥が強く揺れた。
王都では、私の力は価値を認められなかった。
けれど今、古代の記録が示す存在と重なり始めている。
魔法の時代が揺らぐとき、光の者は現れる。
その言葉が、胸の奥で静かに響いた。
公爵は文献を閉じ、私へ向き直った。
「リリア殿。君がどう動くかは、君自身が決めることだ。だが、記録が示す流れは、確かに君へ向かっている」
私はゆっくりと息を吸った。
胸の奥に広がる感情は、恐れでも戸惑いでもない。
ただ、自分の力が、誰かの役に立つかもしれないという確かな感覚だった。
文献を閉じた公爵の指先が静かに止まった。
その仕草は、言葉よりも重い意味を持っているように見えた。
古代の記録が示す存在である、光の者。
その可能性が、私の胸の奥でゆっくりと形を持ち始めていた。
そのとき、廊下の向こうから騎士の声が響いた。
「閣下!外の一団が……様子が変わりました!」
公爵は眉を寄せ、窓へ向かった。
私もその後ろに立つ。
門の前に並んでいた研究院の一団は、先ほどまでの静けさを失っていた。
紋章を掲げる腕が揺れ、隊列が乱れ、誰かが声を荒げている。
焦りが、遠目にも分かるほど露骨に表れていた。
「……あれは、どうしたんでしょう」
「状況が悪化しているのだろう」
公爵の声は低く、奥に鋭さがあった。
一団の中で、誰かが巻紙を広げて騎士に詰め寄っている。
別の者は紋章を握りしめ、何度も角度を変えている。
その動きは、ただの捜索ではない。
焦りが、彼らの全身から滲み出ていた。
「リリア様」
控えていた騎士が、緊張した声で口を開いた。
「先ほどまでの落ち着いた様子とは違います。まるで、時間がないかのように動いています」
「時間がない……?」
「はい。何かが迫っているような態度です。王都で、さらに大きな問題が起きた可能性があります」
胸の奥が強く揺れた。
魔法塔の停止、魔法障壁の消失、魔法通信の途絶。
それだけでも十分深刻だった。
それ以上の何かが起きているとしたら、王都はもう立てないかもしれない。
一団の中で、ひとりの男が紋章を高く掲げた。
その光は、先ほどのように方向を示すためではなく、周囲へ“知らせるため”に強く揺れている。
「……あれは、合図ですか?」
「そうだな」
公爵は淡々と言った。
「研究院内部で、何かが決まったのだろう。あの光は、仲間へ向けた“急ぎの合図”だ」
一団の動きはさらに速くなった。
誰かが騎士へ詰め寄り、別の者は紋章を掲げたまま周囲を見回している。
焦りが、隊列全体を飲み込んでいた。
「……あの人たち、何をそんなに急いでいるんでしょう」
「王都で起きていることが、想定を超えたのだろう」
公爵は文献を閉じ、机の上に置いた。
「魔法塔が止まった時点で、王都は自力で立てない。その上でさらに問題が起きたなら、研究院は内部で対処できない」
胸の奥がざわつく。
王都の者たちは、魔法が揺らぐことを想定していなかった。
だから、今の混乱に対応できず、研究院は私を探している。
一団の焦りは、その事実を雄弁に語っていた。
「リリア殿」
公爵は静かに続けた。
「光の者の記録には、こう書かれている」
公爵はページを開き、古代文字の一文を示した。
「“光の者は、混乱の中心に立ち、揺らぎの理由を示す”」
私は息を呑んだ。
「……理由を示す?」
「そうだ。魔法体系が揺らいだとき、その原因を理解できる者が現れる。それが光の者だとも記されている」
胸の奥が強く揺れた。
一団の焦りは、ただの混乱ではない。
彼らは“理由”を探しているのだ。
魔法塔が止まり、魔法障壁が消え、魔法通信が途絶えた理由、その答えを、研究院は掴めていない。
だから、焦っている。
だから、私を探している。
「リリア様」
騎士が窓の外を見ながら言った。
「一団の中で、誰かがこちらを指差しました。騎士たちが止めていますが、前へ出ようとしています」
私は窓の外を見た。
一団の中で、ひとりの男がこちらを指差し、仲間へ何かを叫んでいる。
その声は聞こえないが、焦りが全身から滲み出ていた。
「……あの人、私を見つけたんでしょうか」
「可能性はある」
公爵は淡々と言った。
「光の者の記録を知っている者なら、君を探す理由がある。魔法体系が揺らいだ今、記録に記された存在を確かめたいのだろう」
一団の焦りは、王都の価値観が崩れた証だった。
魔法を誇りにしていた者たちが、今は必死に“答え”を求めている。
その対比が、胸の奥に静かに広がっていった。
「リリア殿」
公爵は文献を閉じ、私へ向き直った。
「光の者の記録は、ただの伝承ではない。今の状況が、それを証明している」
私はゆっくりと息を吸った。
胸の奥に広がる感情は、前とは違う。
王都の者たちが焦り、混乱し、答えを求めている。
その中心に、私がいる。
紋章を掲げる一団は、屋敷の前で騎士と対峙したまま動きを止めない。
その姿は、王都の価値観が崩れた証であり、古代の記録が示す存在を求める者たちの焦りでもあった。
胸の奥で、言葉にならない予感が静かに広がっていった。
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