第34話 二人だけの会話
公爵の言葉が静かに広場へ響いたあと、誰もがその場に立ち尽くした。
重臣たちも騎士団も街の人々も、ただ私と公爵の間に流れる空気を見守っていた。
魔法陣の残骸や崩れた魔物核が、今の静けさをさらに深くしていた。
騎士団長が私の横へ歩み寄り、深く息を吸った。
その瞳には驚きが残っていたが、それ以上に誇らしさが宿っていた。
「……リリア殿。あんた、よく立っていられるな。普通なら腰が抜けるところだぞ」
団長は冗談めかして言ったが、声には本気の安堵が混じっていた。
私は小さく笑い、肩の力を抜いた。
「緊張は……してました。でも、倒れたりはしませんよ」
「そう言えるのがすごいんだよ。俺なんか、見てるだけで胃が痛くなった」
団長はそう言って、少しだけ笑った。
その笑みは緊張を解くような、柔らかいものだった。
広場のあちこちで、人々が互いに顔を見合わせていた。
驚きと安堵が混じった表情で、誰もが口々に囁き合う。
「……リリア様、すごかった……」
「あんな光景、初めて見た……」
「魔法陣が……あんなふうに……」
その声は恐怖ではなく、純粋な驚きと感動だった。
私の存在が、この街の人々にとって“守り”になっていたのだと気づく。
子どもたちが私の近くまで駆け寄り、目を輝かせていた。
「リリア様!さっきの、見てました!光が、全部……ふわって消えて……!」
「ねえねえ、怖くなかったんですか?あれ、すごく強そうだったのに……!」
私は少し戸惑いながらも、笑って答えた。
「怖くはなかったよ。ただ……ちょっと、びっくりしただけ」
子どもたちは安心したように笑い、互いに顔を見合わせていた。
その笑顔が、胸の奥を温かく満たしていく。
重臣たちはようやく動き始め、崩れた装置の片付けに取りかかった。
魔力測定器を慎重に扱いながら、互いに短く言葉を交わしている。
「……記録は全部残っているな」
「水晶板の反応も保存できた。後で整理しよう」
「しかし……本当に、全部……」
その手はまだ震えていたが、もう混乱はしていなかった。
理解は追いつかなくても、現実を受け入れ始めていた。
公爵は広場の様子を静かに見渡し、ゆっくりと息を吐いた。
その表情は落ち着いていて、先ほどの厳しい空気とは違っていた。
まるで、次に進む準備が整ったことを確認しているようだった。
「……これで、ひとまず終わりだ」
公爵がそう言うと、重臣たちも騎士団も街の人々も、ほっとしたように肩を落とした。
検証は終わった。
そして、誰もがその結果を受け入れ始めていた。
公爵は私の前に立ち、静かに言葉を続けた。
「リリア殿。少し……話をしたい。ここではなく、落ち着ける場所で」
その声は、検証のときのような緊張を含んでいなかった。
ただ、私と向き合おうとする人の声だった。
私は息を整え、静かに頷いた。
「はい。お話しします」
公爵は満足そうに頷き、周囲へ指示を出した。
「広場の片付けを進めろ。魔力の残滓が残っている可能性がある。慎重に扱え」
重臣たちはすぐに動き出し、騎士団も手伝い始めた。
街の人々はまだ興奮冷めやらぬ様子で、互いに話しながら広場の外へ移動していく。
その中で、ひとりの女性が私の前に立った。
年配の、優しい目をした人だった。
「リリア様。今日は……本当にありがとうございました」
私は驚いて女性を見つめた。
女性は少しだけ頭を下げ、続けた。
「あなたがいてくださることが……どれほど心強いか。私たちは、今日それを知りました」
胸の奥が熱くなる。
私は言葉を探しながら、ゆっくりと答えた。
「……私、ただ……できることをしただけです」
「それで十分です。誰もできないことを、あなたはしてくださった」
女性はそう言って微笑み、広場の外へ歩いていった。
その背中を見つめながら、私は胸の奥の震えを押しとどめた。
公爵が私の横に立ち、静かに言った。
「リリア殿。歩けるか?」
「はい。大丈夫です」
「では……少し離れた場所へ行こう。人目が多いと、話しづらいからな」
公爵はそう言って歩き出した。
私はその後ろを静かについていく。
騎士団長が心配そうに声をかけた。
「リリア殿。何かあったら呼べよ。すぐ駆けつけるからな」
「ありがとうございます。でも……大丈夫です」
団長は安心したように頷き、広場の片付けへ戻っていった。
公爵と私は、ゆっくりと広場を離れていく。
夕方の光が街を照らし、影が長く伸びていた。
人々のざわめきが少しずつ遠ざかり、静けさが戻ってくる。
公爵は歩きながら、ふと口を開いた。
「リリア殿。あなたと話したいことは……多い」
その声は、検証のときのような重さではなかった。
ただ、私という人間を知ろうとする人の声だった。
私は少しだけ息を吸い、静かに答えた。
「私も……お話ししたいです。今日のことだけじゃなくて……いろいろ」
公爵はわずかに目を細め、柔らかく頷いた。
「そうか。それなら……よかった」
その言葉は、検証の結果よりもずっと温かかった。
私の胸の奥が、静かに熱を帯びていく。
二人の歩みはゆっくりで、急ぐ必要はなかった。
検証は終わった。
そして、ここから始まるのは、力ではなく、心の話だった。
公爵と私は広場を離れ、街の外れにある小さな庭園へ向かった。
夕方の光が木々の葉を照らし、影が長く伸びていた。
人々のざわめきが遠ざかり、静けさが戻ってくる。
公爵は歩きながら、ふと口を開いた。
「リリア殿。疲れてはいないか」
「少しだけ……でも、歩けます」
「そうか。なら、よかった」
その声は柔らかく、検証のときのような緊張はなかった。
ただ、私という人間を気遣う声だった。
庭園に着くと、公爵は足を止めた。
小さな池があり、風が水面を揺らしていた。
人の気配はなく、静かな場所だった。
「ここなら……話しやすいだろう」
公爵はそう言って、池のそばの石のベンチに腰を下ろした。
私はその隣に座り、深く息を吸った。
しばらく沈黙が続いた。
けれど、その沈黙は重くなかった。
ただ、次の言葉を選ぶための静けさだった。
公爵がゆっくりと口を開いた。
「リリア殿。今日のこと……怖くはなかったか」
私は少し考えてから答えた。
「怖いというより……不思議でした。触れたら消えるのは、昔からそうだったので」
「昔から……か」
公爵は目を細め、私の横顔を見つめた。
「誰かに……言われたことはあるだろう。その力のせいで、嫌な思いをしたことも」
胸の奥が少しだけ痛んだ。
私は視線を落とし、静かに答えた。
「……あります。触れたら壊れるから、近づくなって言われたり。魔法が使えないから、役に立たないって言われたり」
公爵は短く息を吐いた。
その表情は怒りではなく、深い悲しみだった。
「そうか……そんなことを言われてきたのか」
「でも……今日、少し変わった気がします。街の人たちが……私を見て、笑ってくれました」
公爵はゆっくりと頷いた。
「リリア殿。あの広場で、あなたを見ていた者たちは……あなたを恐れてはいなかった。ただ、驚き、そして……感謝していた」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
私は小さく息を吸い、言葉を探した。
「……私、誰かの役に立てたんでしょうか」
公爵は迷いなく答えた。
「立てたとも。今日のあなたを見て、そう思わぬ者はいない」
その言葉は、検証の結果よりもずっと温かかった。
公爵は少しだけ姿勢を正し、私へ向き直った。
「リリア殿。私は……あなたと話がしたかった。力のことではなく、あなた自身のことだ」
私は驚いて公爵を見つめた。
「私自身……ですか」
「そうだ。あなたが何を思い、何を望み、何を恐れているのか。それを知らずに、力だけを見ても意味がない」
その言葉は、胸の奥に深く響いた。
誰かが私の“心”を知ろうとしてくれている。
その事実が、力以上に私を支えていた。
公爵は続けた。
「リリア殿。あなたは……これからどうしたい」
私は少しだけ考えた。
そして、ゆっくりと答えた。
「……私、誰かの役に立ちたいです。今日みたいに……誰かが困っていたら、助けたい」
公爵は静かに頷いた。
「それが……あなたの望みか」
「はい。力のことは、まだよく分からないけれど……誰かを助けられるなら、使いたいです」
公爵は目を細め、優しく言った。
「リリア殿。その気持ちがあれば十分だ。力の使い方は……これから一緒に考えればいい」
胸の奥が強く震えた。
私は思わず、公爵の横顔を見つめた。
「……一緒に、ですか」
「そうだ。あなた一人に背負わせるつもりはない。今日のようなことがあっても……あなたは一人ではない」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。
温かくて、優しくて、涙が出そうになるほどだった。
公爵は立ち上がり、私へ手を差し出した。
「リリア殿。戻ろう。皆、心配している」
私はその手を見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。
公爵の手は温かかった。
「……はい。戻りましょう」
二人はゆっくりと庭園を後にした。
庭園を出ると、夕暮れの風が二人の間を静かに通り抜けた。
さっきまでの喧騒が嘘のように遠く、世界が少しだけ柔らかく見えた。
歩き出した公爵の背中を追いながら、私は初めて“自分の未来”というものを考えていた。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援お願いします!




