第5話 診察及び、治療方針(2)
ルドウェンは目を固く閉じる。
脳裏に浮かぶのは――処罰の日。雨だった。雨に打たれながら、自ら利き腕に突き立てた刃。激痛と焼ききれるような熱。鼻の奥にこびりついた濃い血の匂い。
まともな治療は受けられず、国の思惑通りこうして後遺症が残った。
自傷による処罰。
二度と剣を自由に握れなくなる代償に、命を奪われることだけは免れた。
それは己の誇りを自ら断つ行為だった。それ以来、ルドウェンは竜を討った己と剣を捨てた己を許していない――。
ルドウェンは心情こそ語らなかったが、不自由な腕の顛末を簡潔に伝えた。語り終えた後、腕にそっと触れたのだった。
不自由な右腕と後遺症の経緯を聞き終えたシルヴァートは、興味深いと言わんばかりに何度も頷いている。
「そう……。だから、自分の腕を傷付けたとき、一緒に魔力回路もズタズタに切り裂いたのね。全身にまで及ぶほどに」
「……そんな大事だったとは」
ルドウェンは力なく目を伏せた。
――あの日に迫られた決断が、十年経った今でも自分を苦しめているのか、とどこか諦めにも似た感情が湧き上がる。
シルヴァートは呆れたように溜め息をつくと、机に頬杖をついた。一仕事終えたと言わんばかりに、酒をくいっと一口あおる。そのとき、わずかに体が震えていた。
「竜を討つ程の力が人の体に向いたら、こうなる、か。……ねぇ、寒くないかしら?」
「確かに、そうだが――ん?」
ルドウェンは彼の最後の言葉に首を傾げた。途端、シルヴァートが慌てて声を張り上げた。彼の視線はルドウェンの背後に注がれている。
「ちょっと、ゼリオン! 魔力と殺気が漏れてる! 凍ってる、凍ってるってば!」
その言葉に、ルドウェンも弾かれたように振り返る。目にしたのは冷気を纏い、怒りをあらわにしているゼリオンだった。彼の足元の床は凍りつき、シルヴァートのグラスは氷漬けだ。
ゼリオンは額に手をやり、頭を抱えている。そして、怒気を含んだ声音でぼそりと告げた。
「あの国の経済支援を打ち切り、魔法教育機関も引き上げさせる――」
「こら! 私情と私怨を挟むな!」
「ですがっ――! 彼が傷付けられていい理由など、どこにもない!」
シルヴァートが叱責するも、ゼリオンは声を荒げる。一連の光景を眺めていたルドウェンは、吐き捨てるように言い放つ。
「同情はいらない」
「ま、アナタならそう言うわよね。ゼリオンのことは放っておいていいから」
シルヴァートの方が心情を汲み取ってくれているのではないか、と思うほどだ。けれど、ゼリオンは悲痛な表情をルドウェンへ向けた。
「……どうして、貴方が他人に対してここまで心を閉ざしているのか……。分かりました」
「いや……、俺は別に……。そんなことは……」
ルドウェンはたどたどしく反論するのが精一杯だった。すると、そのやり取りを眺めていたシルヴァートは冗談めかして語り始めた。
「ふぅ~ん……氷壁竜の外交官様がここまで感情的になるなんて、番って凄いわね」
「氷壁……?」
「そうよ。いかなる時も冷静沈着な外交官様。笑みを見せても、それは張り付いた氷のよう。竜の国の国交を守る壁と揶揄されて……って、ゼリオンに視線だけで殺されそうだから、無駄話は終わりにするわ」
意外な話を聞いたものだ、とルドウェンはちらりとゼリオンへ視線を向けた。ルドウェンからの眼差しだけで、彼は嬉しそうに目尻を下げる。
――氷壁、という言葉がここまで合致しないとは。出会ってから目にしてきたゼリオンと、語られた彼の人物像に、ルドウェンは首を傾げたのだった。
一方のゼリオンはシルヴァートに「そうして下さい」と、冷ややかな声で言い放つ。彼は椅子に座るルドウェンの隣に佇み、肩へ手を置いた。
シルヴァートは呆れたような視線を一度送った後、ルドウェンに向き直る。
「ま、という訳で――この腕はすぐに治らない。気長にゆっくり、やっていきましょう」
「やるって、何を……」
これで治療方針はまとまっただろう。しかし、ルドウェンには治療法が分からなかった。そんな疑問に答えるように、シルヴァートは言葉を続けた。
「具体的に言えば、治癒魔法で切れた神経を繋げていく。それがある程度進んだところで、魔力回路も同じ」
「…………俺には、さっぱり分からない」
「細かい事は分からなくていい。ただ――」
彼はそこで言葉を切った。そして、ゼリオンとルドウェンを交互に見やる。小さな溜め息をつくと、そっと口を開いた。
「これらの治療にはアタシ達、竜人の魔力をあなたへ流し込むことになる。全身にね」
「……っ!」
ルドウェンは言葉に詰まる。衝撃的な言葉だ。
魔法に懐疑的だったルドウェンからすれば、皮膚などの表面の一部分を治す体外的な魔法治療と、体内的な魔法治療は似て非なるものだ。目に見えない、体内に彼らの魔力を受け入れる。それは恐怖にも似た感情を抱く。
「それをアナタが受け入れるか、否かよ」
――竜殺しが、竜の力を借りるのか。
そんな都合のいい話があっていいのだろうか。それはルドウェンの中に迷いを生む。けれど、彼の言葉に不思議と厭悪の感情はなかった。それどころか、選択を問うて委ねる彼に感謝さえ抱いていた。
ルドウェンはゆっくり息を吐き、視線をシルヴァートへ向けた。逸らさず、そして、告げる。
「俺は……受け入れる」
途端、ゼリオンの瞳が燃えるように揺れた。




