第6話 竜の番ということ
「…………シルヴァート、貴様」
地を這うような低音が、ルドウェンの耳に届く。冷え切ったその声音がゼリオンのものだと理解するまで、時間を要した。
ルドウェンは隣に佇むゼリオンを見上げる。
――彼の緑色の瞳は怒りに燃え、瞳孔が縦に裂けるように細くなっている。視線を落とせば、漏れ出す魔力を抑えようと震える拳が目に入った。
ルドウェンは息を呑んだ。これまで接してきた、優しさにあふれたゼリオンと全く異なる印象に戸惑いを隠せない。その心情を表すかのように、ギィと椅子が軋んだ。
しかし、ゼリオンの怒りを受けてもシルヴァートは態度を変えることはなかった。それどころか、彼をからかい始めたのだ。
「やだ~、怖い~。番の前なのに、本性出てるわよ~」
「それに……! あなたが今、提案した治療法は――」
シルヴァートの茶々をものともせず、ゼリオンは血相を変えて異議を唱え始めた。それには流石のシルヴァートも肩をすくませた。彼は再びルドウェンの右腕を手に取ると医者の顔つきを見せる。
「ま、冗談はさておき。竜人同士なら魔力の親和性が高いから、比較的治療しやすい。でも、人の体だとそうはいかない。――魔力回路は血液と同じ。体を循環し、魔力が巡る」
その言葉を表すかのように、シルヴァートの指がルドウェンの腕をなぞる。
「よって、魔力を体内に流すとき、少なからず苦痛を伴うはず。治療が進めば、苦痛も少なくなると思うけれど――」
シルヴァートは「だって、切れた神経と回路を修復していくんだもの」と、軽い口調で言い放った。
「構わない、やってくれ」
ルドウェンはすぐさま快諾した。しかし、その言葉に驚き、声を荒げたのはゼリオンだった。
「ルドウェン!? 時間はあります! ゆっくり考えましょう……?」
「あなた、思い切りがいいわね。嫌いじゃないわよ」
正反対な反応を示した竜人達に、ルドウェンは大きな溜め息をつく。そして、言い聞かせるようにゼリオンに語りかける。
「そもそも俺は……ここへ治療を受けに来たんだ。早いに越したことはない」
「それは、そうですが……。私の知識不足で……こんな、ことに」
ぐうの音も出ない主張に、ゼリオンは項垂れた。ルドウェンの意向を尊重するのならば致し方ない。けれど、心情は別物であるように気落ちした肩が物語る。
そんなゼリオンを気の毒に思ったのか、今度はシルヴァートがルドウェンに語り掛ける。
「いい? 治療はアタシが行うことになる。つまりそれは、番以外の竜人から魔力を流し込まれるってことよ? いいの?」
「はぁ……? そんなこと、どうでも――」
どうでもいい、そう告げようとしたルドウェンの言葉を遮ったのはゼリオンだった。
「いいわけないでしょう!?」
悲痛な叫びにも似た声音。くしゃりと顔を歪ませ、縋るような視線を送っている。
「お前……、どうして……そんな顔して」
その表情を目にした途端、ルドウェンは喉奥がつかえるような感覚に陥る。彼にこのような表情をさせたのは自分なのだと、自責の念に駆られた。
するとそこで、シルヴァートが助け舟と言わんばかりに声を上げる。
「ま、人と竜人の価値観の相違ってやつよ。魔力の流入自体、治療行為としては一般的。でも、番からすれば、とっても複雑なはず」
「そう、なのか……」
「アタシ達竜人は嫉妬深いし、独占欲も強いから。他種族と比べると、それはもう……このゼリオンを見れば分かるでしょ?」
言葉通り、シルヴァートは見せつけるようにルドウェンの腕をなぞる。こそばゆい感覚にルドウェンが身をたじろがせ、眉を寄せる。
すると、彼の思惑通り、ゼリオンは大きな舌打ちをかましたのだった。
シルヴァートは呆れたように首を横に振ると、ルドウェンの腕を解放した。これでは治療どころではない、と言わんばかりに腕組みをして、ゼリオンに向けて言い放つ。
「あぁ、もう……妥協案を提示するわ。神経を繋ぐ治療はアタシが行う。魔力回路の開通治療はゼリオン――アナタがしなさい。多少の治癒魔法は使えるでしょ」
「……それは」
「させない、なんて言わないでよ? 魔力回路を繋げるならまだしも――人の体の、それも神経なんて繊細な部分はアタシじゃないとできない。だから、真っ先にアタシの所へ相談に来たのでしょう?」
言いよどんだゼリオンに対して、シルヴァートは医者として至極当然な言葉を投げ掛ける。さらに、「アナタの番のための治療なんだから」と続けたのだ。それには流石のゼリオンも、首を縦に振るしかなかった。
「――分かりました」
意気消沈したゼリオンを目にしたルドウェン。
(おいおい、何だか話がえらいことに……)
竜人達の会話に巻き込まれないよう、沈黙を貫いていた。
◇
シルヴァートは気合い補充と言わんばかりに、酒を一杯あおった。冷えたグラスが丁度よかったらしい。彼は上機嫌でルドウェンに向き直ると、開口一番に告げた。
「それじゃ、一発目ね」
「よろしく頼む」
ルドウェンは決意に満ちた表情で頷くと、自ら右腕を差し出した。処置台に腕を乗せ、治療開始を待つ。――ゼリオンだけが、顔を曇らせていた。
シルヴァートは差し出された腕の袖を捲り、刻まれた大きな傷痕を目視した。確信したかのように頷くと、ルドウェンに言い聞かせる。
「ちょっと痛いかもだけど、頑張って」
歌うような詠唱が始まる。右腕は温かな光に包まれ、シルヴァートが魔力の収束と思しき糸をそれぞれの指先から放つ。
不思議な光景だと、ルドウェンは頭の片隅で考えていた矢先――。
「うっ……」
突然、刺すような激痛がルドウェンを襲った。――耐えられない程の痛みではない。そう確信し、小さく呻き声を上げるだけ。
次第に、肩から先、血管が大きく脈打つような熱さがルドウェンを襲う。じりじりと焼き切れるような痛み。感じるはずもない血の匂いが鼻先を掠めたと思った――途端、ルドウェンは短く呼吸を繰り返し始めた。
「はっ、は……う、くっ……!?」
自身の状態を把握するよりも早く、急激に視界が狭まっていく。呼吸は徐々に間隔を狭め、肩を揺らす。――痛みがトラウマを想起させ、激しい発作に見舞われたのだ。
それは他者から見ても、異変が起こっているのは明白だった。ルドウェンの異変を察知したゼリオンは、大きく声を上げる。
「ルドウェン……!? 一体、どうし――」
「過換気症候群よ……! でもっ……今、中断すると――!」
見通しが甘かったと、シルヴァートは悔恨の念に駆られる。その間にも、ルドウェンは荒い呼吸を繰り返す。
「ルドウェン! ルドっ――」
ゼリオンの呼びかけにも、反応はない。それどころか、ルドウェンの過呼吸は悪化、姿勢が崩れる。意識が朦朧とし始めているのだ。
ゼリオンが焦り、シルヴァートを見やるが、彼は神経を繋ぐ治療で手が外せないと、激しく首を横に振った。
そうなれば――、できることは一つ。
ゼリオンはルドウェンの体を支え、姿勢を整える。その次には、ルドウェンの頬を片手で鷲掴みにし、唇を強く押し付けた。口付けを交わしたのだ。噛み付くような荒々しいものだったが、それは次第に熱を帯びる。
一定のリズムで繰り返されるうちに、ルドウェンの頬を鷲掴みにしていたゼリオンの手は離れ、優しく彼の頬を撫でた。
ルドウェンは朦朧とした意識の中で、耳が優しい声音を拾う。ゼリオンが口付けのわずかな隙に語りかけていたのだ。
「そうです、息を吐いて――。ゆっくり、そうです。私に集中して……」
「ふっ、う……」
「そう、上手。吐いて――」
繰り返される口付けは、冷たく感じられるゼリオンの息でさえ、熱を帯びたように肺へ流れ込む。頬に添えられた手と何度も重なる唇、触れ合った体温。ルドウェンは縋るように、震える指先で彼の服を握ったのだった。
その光景を目の当たりにしたシルヴァートは――。
「……アタシは何も見ていないわよ」
と、自分に言い聞かせていた。
◇
「はい、お疲れ様。よく頑張ったわね」
ルドウェンが落ち着きを取り戻し、最初に耳にしたのは健闘を称えるシルヴァートの言葉だった。
けれど、ルドウェンは申し訳ないと、首を横に振った。意識が朦朧としていたにもかかわらず、錯乱した記憶はある。まず告げたのは謝罪の言葉だった。
「すまない……。君には、過大な迷惑をかけた」
「いいの、いいの。初めてで、あそこまで耐えたんだもの。立派よ」
そうして、シルヴァートと二度目の治療の約束を取り付けて、二人は別れを告げた。
再び馬車に乗り込むと、ルドウェンはおずおずと言葉を口にした。
「その……お前にも、迷惑をかけたな。俺を助けるために、あんな……ことをさせてしまった」
向かいに座るゼリオンから視線を逸らし、じっと手元を見つめる。気まずさから顔も見られない、と目を伏せた。
すると、ゼリオンはくすりと笑みをこぼし、ルドウェンの手に触れたのだ。
「半分は医療行為でしたが、もう半分は下心もありましたから」
平然と言い放たれた言葉に、ルドウェンは目を丸くして呆然とする。――下心? 誰が、誰に? と、廻る思考はルドウェンを混乱の渦へと突き落とす。
そんな中、思い出した唇の熱さは本物だった。
はっとして、意識をゼリオンへ向けた。彼から向けられた感情と言葉の意図を理解し、じっとりとした目で睨みつける。
「は…………? 俺は男だぞ……」
「それは、ほんの些細なことです」
しかし、ゼリオンは微笑み、自身の胸に手を添えてみせたのだった。わずかな沈黙の後、彼はほっと一息ついたように、口を開いた。
「今日のところは帰りましょう」
「帰る、ってどこへ――」
「私の邸宅です」
ルドウェンの問いに、意外な言葉が返ってきた。理解するよりも前に、馬車が動き始めたのだった。




