第3話 抉られる古傷
ルドウェンの一言によって師弟の再会はぎこちないものとなり、しばらく沈黙が続いた。
わずかな時間に、カーティスは師の皮肉屋な一面を思い出したようだ。軽く肩をすくませ、拗ねたように口を尖らせたのだ。青年らしい表情から一転し、顔にあどけなさが残る。
「先生、以前はカーティって呼んでくれてたじゃないですか」
「あのなぁ……。それはお前が子供の頃の話だろ?」
冗談めかした言葉に、すかさずルドウェンが反論する。彼の記憶にあるカーティスは弟子の鑑だった。
師を尊び、己を越えるため剣の研鑽に励む。ルドウェンは剣の師として、カーティスに教えられることを託し終える寸前――。竜を討つために、自ら姿を消した。そうせざるを得なかった。
竜殺しを成した後、他の弟子達はルドウェンのもとから離散。残ったのはカーティスだけだった。しかし、再会したとき、既にルドウェンは自らの剣を折っていた。
それから幾度か交流を重ねていたが、未来ある弟子のことを慮り、ルドウェンは再びカーティスから離れたのだ。
――束の間の追憶に、ルドウェンは目を細める。
カーティスは手綱を手繰り寄せ、ちらりと町の住人の視線を気にしつつ、世間話を始めた。
「以前のお住まいから移ったこと。どうして黙っていたんですか? それも、王都からこんな離れた場所に――」
「いやいや……。言う必要はないだろう」
呆れた態度を隠すこともせず、ルドウェンは首を左右に振った。
確かに、弟子であるため騎士見習いの時分はそれなりに面倒を見ていたが、カーティスは元弟子。それ以上でも、それ以下でもない。そこでふと、ルドウェンが引っかかったこと。
(どうやってここを探し当てたんだ……。まぁ、いいか……)
聡いカーティスのことだ。これ以上、追及しても不毛だろう、とルドウェンは一人納得した。
ルドウェンをじっと見つめていたカーティス。彼は一呼吸おくと、すっ……と表情を変えた。ルドウェンが知る彼のあどけなさは消え、あるのは騎士としての姿だ。
カーティスは胸を拳で叩く敬礼をすると、毅然とした態度で告げた言葉があった。
「この度、自分は王国騎士団・団長の任を拝命しました。先生には、そのご報告を」
弟子の成長と輝かしい功績。ルドウェンの瞳が大きく見開かれ、歓喜と喪失の狭間で揺れた。カーティスの齢から考えれば、団長の任を務めるのは彼が最年少ではないだろうか。
ルドウェンは小さな声で、噛み締めるように言葉を繰り返した。
「…………そうか。そうか」
カーティスから告げられた事実を反芻するため、または自身の気持ちを整理するため。そのどちらも、今のルドウェンには必要だった。一区切りつけるかのような溜め息。
ルドウェンはカーティスの顔を見つめながら、そっと口を開いた。
「――頑張ったな。誇らしいよ」
声の余韻が消えぬうちに、カーティスはぱっと顔を輝かせる。師への憧憬と屈託のない笑みをルドウェンに向けた。
ルドウェンは居たたまれなくなり、乱暴に首の後ろを掻く。そして、きびすを返し、ぎこちなく告げた。
「餞別も、何も……用意できちゃいないが――」
「あの、そのことでお話があって……、今日はここへ来ました」
「そ、うか……。少し待ってろ。中で話を聞こう」
カーティスの声音に、ルドウェンは何かを察した。背を向けたまま、カーティスを招き入れる。簡素な家だが、客人をもてなす程度の茶くらいは用意できるだろう、と棚を探した。
すると、背後からぼそりとカーティスの独り言が聞こえてきた。
「どうして、こんな簡素な家に……。先生は竜殺しを成し遂げた功績があるのに――」
「おい……最初の言葉は見逃してやる。それにお前、騎士団でそんなことを言ってないだろうな?」
ルドウェンは大袈裟に溜め息をつくと、呆れた視線を向けた。茶葉を探すのは止めだ。乱暴に椅子に座ると、何も言わずとも、カーティスも向かいの椅子に腰掛けた。
ルドウェンは諭すような口調で「竜殺し」を語る。――これ以上、弟子が師の幻想に囚われないように。
「この国は何より竜を崇めている。そんなお国からすれば、竜を討った俺は――『罪人』だ」
罪人、その言葉を耳にした途端、ぴくりとカーティスの眉が動く。彼はルドウェンをじっと見つめると、縋るような視線を向けた。
「違います、先生。人々からすれば、あなたは英雄なんですよ……? どうして、そんな……卑下するような」
「もう、この話はよせ」
「ですが――!」
カーティスの言葉を遮り、ルドウェンが見せたのは不自由な利き腕。右腕は一定の高さまでしか上がらず、目に見えて筋力が落ちている。捲れた服の下から覗く、大きな傷痕は今も痛々しい。
ルドウェンはカーティスを見据えながら、堅固に語る。
「俺の不自由な腕は、罰だ。いいか? 騎士は剣と誇りを何よりも重んじる。俺は――それを捨てた」
言葉を紡ぐだけでも、当時の苦しさが蘇る。
――「竜殺し」は罪だ。それが例え、荒れ狂う竜が見境なく人里を襲ったとしても、逃げ惑う人々を国が見捨てても、国に帰属する者は傍観するのみ。ルドウェンはそれを破った。己の大義のために。
しかし、ルドウェンを待ち受けていたのは罰だった。罰を象徴するものが、彼の不自由な右腕。剣を握るはずの利き腕だ。
「……二度と自由に剣を握れなくなる。代わりに、命だけは許された。俺は剣も誇りも捨てて、自分の命を選んだ。それだけだ」
吐き捨てた言葉。それはカーティスへの言葉でもある。誇りを捨て、剣を捨てた。彼が師として慕うルドウェンという男は、もうどこにも存在しないのだと知らしめるために。
「情けない話だ。十年経った今でも、雨の日はありもしない痛みに悩まされるんだからな……。隠居生活で精一杯だ」
そう告げたルドウェンは、一際大きな溜め息をつく。けれど、カーティスは全てを理解しているような、力強い眼差しを向けていた。彼は椅子から立ち上がり、ルドウェンのもとへ足を進める。
そうして、まるで騎士が忠誠を誓うように、片膝を床についてみせたのだ。カーティスはルドウェンを真っ直ぐ見上げ、告げた言葉があった。
「それは当然の選択です。あなたが生きていなければ、自分は国に刃を向けていた」
「まぁた、大袈裟な……。今や騎士団長様ともあろう方が、口にするような言葉じゃないぞ」
カーティスの愚直なまでに師を慕う言葉に、ルドウェンは頭を抱えた。――どうして、この弟子はこうなのだろうと、もう何度目か分からない溜め息をつく。
それから、カーティスはしれっと言い放つ。
「先生が前任を退かれてから、あなたのような強さを誇る騎士はいませんでしたから。何とでも言えます」
「理由になっていない」
ルドウェンがこうして諫めても、彼は態度も考えも改めるつもりは毛頭ないようだ。カーティスの未来を思えば、次に告げるべき言葉は決まっていた。
「――それに元弟子とは言え、こうして会いにくるのは止めた方がいい」
「っ、嫌です!」
「お前はほんとに……、人の話を聞かない奴だな」
「何のために……、僕がこの地位を得たとお思いですかっ……!」
ここで初めてカーティスが声を荒げた。突然のことで、ルドウェンが呆気にとられ、言葉を失っていると――。
カーティスは、ここを訪ねた目的を告げた。
「先生。あなたを騎士団の指南役として、迎え入れたい」
今日はそのために来ました、と続けたカーティス。けれど、ルドウェンが言葉を発することはなかった。
――しばらくの時間、沈黙が流れる。壁掛け時計の刻音だけが時の流れを知らせていた。カチ、と一際大きな音を立てたとき、ようやくルドウェンが口を開いた。
「…………お前も、俺を馬鹿にするのか?」
「先生……?」
ルドウェンの声は震えていた。そこから、感情をさらけ出す。
「剣もろくに握れない奴が指南役だと? それに、俺は国のお情けでこうして生きている! そんな奴が……どうして剣に、誇りに……何より、民に顔向けできる!? それに、それは――」
謀反を企てたと見なされてもおかしくはない、そう言いかけて口をつぐんだ。――カーティスは聡い。そんな彼が、自分の行動が国からどう見られているか、を念頭に置かないはずがない。
ルドウェンは冷静さを取り戻そうと、一際長い息を吐き出した。しかし、ルドウェンの激昂を目の当たりにしても尚、カーティスは自分の思いを告げる。
「先生。あなたは剣だけでなく、心までも折られてしまった! だから、僕は……あなたにもう一度、剣を握る理由を持って欲しくて……」
「カーティス、お前は盲目が過ぎる」
――この青年は純粋過ぎたのだ。ルドウェンは跪いたカーティスの肩を軽く叩いた。視線を交え、離別を決意させるために告げた言葉。
「帰れ。二度と、ここには来るな」
「先生……」
くしゃりと歪んだカーティスの表情。しかし、ルドウェンは諭すように首を横に振ったのだった。
そうして――ルドウェンは町を去るカーティスの背中が小さくなるまで、ずっと見送っていた。彼の中では、カーティスから告げられた言葉が堂々巡りになる。
(どうせ元々、生きる目的も、意味も失ってここへ流れついたんだ……何を今更。剣を握る理由なんて、そんなもの……)
視線を不自由な右腕へ向ける。そこにあるのは、ただの結果と事実だ。
「そんなもの、ないんだよ……」
力なく呟いた言葉は、風に流されて消え去った。けれど、カーティスとの再会はルドウェンに平穏だった頃を思い出させた。剣の研鑽に励む毎日。過ぎ去った平穏だ。
ルドウェンはもう一度「生きる目的……」と消え入るような声で呟いた。
(あの頃は……ただ、剣の腕を磨くことが楽しかった)
若かりし頃の記憶。使命感と正義感に溢れていた。魔法による激動の時代を生き抜き、弟子を得た。それは新たな発見と成長をルドウェン自身にもたらしてくれた。――けれど、それを全て捨て去った。
ルドウェンはさらに自問自答する。
(もし……もう一度、剣を握れたのなら――何か、意味を見出せるのか……?)
風が彼の体温を少しだけ奪う。その瞬間、思い出したことがあった。――冷たさを想起させるような碧、澄み渡った声音。けれど、その寒々とした色に反して、彼の微笑みは温かだった。
「あの竜人の話……」
――もう少しだけ足掻いてみるのも、いいかもしれない。ルドウェンの中に、仄かな明かりが灯った。
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