第2話 上手い話には裏がある、はずだ
翌朝。昨日の喧騒が嘘のように平穏な時間が訪れる。
ルドウェンは今日も町の住人からの依頼を受け、今度は宿屋に足を運んでいた。もっぱら荷運びといった簡単な仕事だが、女将ひとりで宿屋を切り盛りしているため、有り難いと評判だった。
あらかた作業を終えた折、宿屋の女将が困った様子でルドウェンに声を掛ける。
「ルド。あんた、そろそろ身を固めるのはどう? 誰か、いい人を紹介しようか?」
「あのなぁ……女将。誰が、俺みたいな奴なんか――」
お節介に呆れたルドウェンはすぐさま否定し、そこまで言い掛けて止めた。窓ガラス越しに映った自分の姿を目にしたのだ。
――伸びた黒髪を後ろに一つで纏めているものの、流した襟足は癖毛で明後日の方向を向いている。片腕が不自由なこともあり、散髪もままならない。蓄えた無精髭はどうにか短さを保っている程度だ。
服の下には隠した古傷がいくつもある。
――これでは残りの生涯は孤独だろう。ルドウェンは自嘲し、肩をすくませた。
「自分のことは自分がよく分かってるよ」
「あんたぁ、またそんなこと言って。お節介は聞いておくもんだよ?」
まるで年の離れた息子を見守るような女将のお小言に、ルドウェンは苦笑する他なかった。
宿屋の手伝いを終えると、そのまま帰路につく。
ルドウェンの脳裏を巡っていたのは――孤独のこと。流れ者であっても、こうして町の人達には良くしてもらっている。
けれど、彼らの善意を心苦しいと感じているのも事実だ。このままの関係ではいられない。そんな思いがルドウェンの心で渦巻く。そこではたと止まった思考。
(ああ……、いたな。妙なのが)
それは昨日、出会った「番」と名乗る竜人の青年。無条件に自分を慕う、相容れない存在が脳裏に浮かんだ。
――ルドウェンが祈った平穏を望む願いは早々に裏切られることになる。ぴたりと足を止めた。家はすぐそこだと言うのに、足が進まない。
「噂をすれば、なんとやらだ……」
力なく呟いた言葉は風に流されて消えた。玄関前で家主の帰りを待っていたのは、見覚えのある碧い髪と美しい姿。――ゼリオンだ。
彼はルドウェンの帰宅に気付くと、ぱっと顔を輝かせた。それに今日は従者を連れておらず一人のようだ。風になびいて崩れた髪。
――もしかすると、朝からずっとそこで待っていたのだろうか。そう考えると、不覚にもルドウェンの良心が痛んだ。
ゼリオンはルドウェンのもとまで駆け寄ると、目を伏せながら口を開く。その表情はどこか申し訳なさそうだ。
「ルドウェン。あの……昨日は突然の訪問。申し訳ありませんでした」
「は、はぁ……」
到底、高貴な身分であろう彼が口にするような内容ではない。ルドウェンは戸惑う。それに加えて、ゼリオンはさも旧知の仲であるように会話をしている。
(おいおい、やけに親しげだな……)
という、心の呟きは口にしないでおこうと、唇をきつく閉じた。
対して、ゼリオンは恥ずかしそうに視線を逸らし、自身の手を握っている。ただ互いに沈黙が流れる。
そうして、決心したかのように、ゼリオンがようやく言葉を告げた。
「昨日はあなたに会うため心の準備をして臨んだのですが……。やはり実際に会うと、自分の気持ちを抑えられず――」
「そ、そうか……」
「一晩、考えたのです。もし良ければ、私と共に竜の国へ来ませんか……?」
「は……?」
間の抜けた声が上がった。ルドウェンが理解するよりも前に、ゼリオンはその先を続ける。
「竜人に、腕のいい医者がいるのです。治癒魔法に長けたその者なら、あなたの腕を治せるのではないかと――」
「……待ってくれ。勝手に話を進めるな。それに魔法だと……?」
「ええ、我々にとって魔法は身近な存在ですから」
ゼリオンの言葉に、ルドウェンは声を張り上げる。彼の言葉をきっかけに思い出した悔恨があった。
「お前らが持ち込んだんだ……! 魔法なんて、人智を超えたものを! 竜も、魔法も、おとぎ話だった……!」
――それは人の国とおとぎ話を隔てていた壁が壊された時代の話。ルドウェンは時代の変化を目の当たりにした。
おとぎ話だと思っていた魔法は存在し、竜も実在した。人の秩序は崩れ去り、生身の人間が剣一つで、竜の力と魔法の力の前に曝されたのだ。
そうして、いつの間にか魔法は存在するものとして常識となった。
随分と昔の話。時代の波に呑まれまいと、剣一本で抗った若かりし頃のルドウェンからすれば、ゼリオンの提案は強い拒絶感を抱くものだった。
けれど、竜人であるゼリオンからすれば、それは違ったようだ。彼はルドウェンの言葉を否定するように、首を左右に振った。
「それは違います。遠方にある人の国では魔法の研究が盛んに行われていましたし――。この国も、王都では既に魔法は身近なものです」
この田舎町に魔法を使える者は存在しない。けれど、ルドウェンの経験上、ゼリオンの言う通りだと知っていた。竜人である彼が何故、ここまで詳細に人の国の内情を知っているのだろうか。
ルドウェンは疑問をそのままぶつけた。
「どうして、そんなことを知って――」
「私は竜の国の外交を担っている者です。今まで、様々な国と種族を目にしてきましたから」
明かされたゼリオンの身元。ルドウェンは驚き、目を見開く。
外交官ともあろう立場の竜人が、このような田舎町で何をしているのだ、と困惑する。しかし、一方のゼリオンはルドウェンを見つめながら、愛おしそうに告げたのだ。
「そのお陰で、番であるあなたを見つけられたのです」
彼は「話を戻しますね」と前置きし、再び口を開いた。
「番が苦しんでいるのに放っておくなど、竜人にはできないのです。それに、番と離れる選択肢はありません」
「俺は、お前の行動が理解できない。心情もだ」
ルドウェンはさっと視線を逸らした。――今更、不自由な腕を治療して何になると言うのだろう。
「どうして俺に構う? 俺はお前の同胞を討ったんだぞ?」
「ええ、承知していますよ」
「だったら――」
「それでも、あなたは私の番なのです。私はあなたを幸せにしたい」
ゼリオンは揺るぎない思いを告げた。しかし、人であるルドウェンには到底、理解出来るものではなかった。
「だったら、俺に関わるな……!」
「それはできません」
ゼリオンは彼の悲痛な叫びをすぐさま否定した。そして、告げる。ゼリオンのそれは感情ではなく、竜人の本能なのだと。
「私以外の誰かが、番であるあなたを幸せにするなんて――怒りで我を忘れてしまいそうになる」
「お前っ――」
竜人の思考は理解不能だ。そうルドウェンが結論付けるのは当然だった。片手を額に当てて項垂れる。――ゼリオンが告げる言葉の真意を考えるのも、怒りをあらわにするのも疲れてしまった。
ルドウェンが告げる声は徐々に小さくなっていった。
「俺を馬鹿にするのなら、もう帰ってくれ……」
「考えておいて下さいね、ルドウェン」
それでも尚、ゼリオンはルドウェンを慈しむように言葉を残したのだった。彼が去った後、その場に残されたルドウェンは人知れず肩を落とした。
◇
一度できた綻びは直ることなく、絡まり続ける。いつもの日常に訪れた変化。それはルドウェンを翻弄する。
馬が駆ける音に、町の人々は何事かと顔を上げる。馬に跨るのは若い騎士だった。立派な鎧を身に纏い、精悍な顔を惜しみなく晒している。
彼は視線をあちこちに向け、誰かを探しているようだ。けたたましい馬のいななき。駆けていた足音が止まった。
玄関先で作業をしていたルドウェンは何事かと、手を止めた。怪訝な顔をしたまま立ち上がる。そこにいたのは、一際目を引く金髪をした青年だった。
青年はルドウェンを目にするや否や、感極まった様子で声を上げた。
「先生……! やっと見つけました!」
その呼び名、髪色。顔立ちを見たルドウェンは思い当たる人物に顔を輝かせた。
「お前……カーティスか? ははっ、随分と立派になったもんだな!」
「恐れ入ります」
カーティスと呼ばれた青年は颯爽と下馬すると、ルドウェンに一礼した。それだけで、師弟関係の良さが窺えるというもの。ルドウェンは律儀なカーティスに、肩をすくませた。そして、カーティスは凛とした表情で告げる。
「弟子として、先生にお話がありまして――」
「元、弟子な」
すかさず訂正を入れた。カーティスはルドウェンの弟子だった。しかし、それも彼の中では今や古傷を抉る過去の話――。




