第1話 訪ねてきたのは竜人族
トントン、と軽快なノック音を奏でた扉に、ルドウェンは視線をやった。重たい腰を上げ、扉を開ける。その視線の先、目の前には氷像のように美しい竜人族の青年がいた。
ルドウェンは理解が追い付かず、しばしの間、瞬きを繰り返す。――いつもと同じ一日の始まりだったはずだ。約束を交わした来客もいなければ、田舎町に身を寄せた自分をわざわざ訪ねてくる知人もいない。ノック音がした時点で異変だったのだ。
ようやく口にした言葉は戸惑いに満ちていた。
「ええ~と……、どちら様で?」
「私はあなたの『番』です」
ルドウェンは眉を寄せる。
――番、それは神が定めた運命の相手のことではなかったか。それがどうして、男である自分に告げられたのか。加えて、三十路半ばを過ぎた人間に。
いくら考えても、答えが分かるはずもなかった。
ルドウェンは扉を閉めようと、触れていた取っ手をわずかに引いた。さらに、警戒心を隠すことなく告げる。
「ええと……。とりあえず、変な勧誘はお断りってことで……」
「違いますよ。ようやく、あなたに会えた」
しかし、すぐさま否定されてしまった。それどころか、閉めようとしていた扉が動かない。視線を足元に落としてみれば、扉が動かないよう足で押さえられている。
ルドウェンは舌打ちし、視線を目の前の青年へ戻す。
背後から差し込む日の光に透けるような碧い髪。瞳は光の加減によって瞳孔の形を変えている。竜人と一目見て分かる特徴的な耳の形と美貌。身に纏っている衣服は彼が高貴な身分だと分かるものだった。
ルドウェンは心の内に悪態をついた。
(そもそも、竜人なんざ高位種族――どうして、こんな田舎町に……。それも従者付きでおでましとは……)
疑問は尽きない。視界に入らないだけで、家の周辺にある複数の気配をルドウェンは感じ取っていた。
彼の従者か、それとも護衛だろうか――。それは長年の勘が告げるもの。
こうして、引退した身でありながらも、騎士だった頃の勘は健在だった。
すると、ゼリオンはさも残念そうに眉を下げた。
「そうでした……。人は己の番を認識できないのでしたね。あなたに会えた嬉しさのあまり舞い上がって、失念していました……」
彼は目を伏せ、軽く首を左右に振った。それはどこか、呆れにも似た感情のようにも受け取れる。
そもそも人は、竜人や獣人のように本能で他種族と番ったりはしない。理性と愛情で互いの心を結ぶのだ。彼の告げた言葉が、ルドウェンにとっては侮蔑的に思えた。
(このトカゲ野郎……。人を持ち上げるのか、けなすのか。どっちなんだ)
――心の中であれば不敬と取られないだろう。そう考え、ルドウェンは小さく鼻を鳴らした。
すると、青年は胸に手を当て、律儀に礼をしてみせたのだ。そのとき、彼の瑞々しい若緑の色彩を放つ瞳が熱を帯びたように映った。
青年は姿勢を直すと、嬉しそうに告げる。
「私はゼリオンといいます。あなたを迎えに来たのです」
こちらの事情など、お構いなしとでも言うような言葉だ。これだから高位種族は――ルドウェンは辟易とし大きな溜め息をつくと、口を開く。
「人の話を聞かない奴だな……。とにかく、俺は違っ――」
その先を発することはなかった。言葉を遮るかのように、ゼリオンが一歩踏み出したのだ。それを警戒し、一歩後退る。それを隙と見たのか、ゼリオンはゆっくりと口を開く。
「竜殺しのルドウェン。あなたが私の番とは、なんて皮肉な運命なのでしょう」
たった一言で、体が凍りついた。ルドウェンは無意識に震えていた指先を誤魔化すように握り締めた。緊張からか、視界が揺れ、無性に喉が渇く。自身の過去を竜人に知られていた恐怖からなのだろうか。
ルドウェンは気付く。ゼリオンは朗らかに笑っている。同胞を討った仇とも呼べる人間を目の前にして、どうして彼は頬を染めてまで笑うのだろうか――。
戸惑いと混乱の中、ルドウェンはゼリオンから視線を逸らし、ようやく言葉を発する。
「俺は――」
「いいえ、あなたを責めたい訳ではないのです。ひとまず、この出会いに感謝して握手を――」
しかし、その言葉さえもゼリオンに遮られてしまった。彼が自分を気遣っている様子が窺えるが、それほどまでに酷い顔色をしていたのだろうか――と、ルドウェンは片手で顔を覆った。
一方のゼリオンは握手を交わそうと、手を差し伸べたままだ。混乱から、完全に彼のペースに呑まれたルドウェンは、おずおずと手を差し出そうとする。
けれど、思うように右腕が上がらない。ある一点を超えると、痙攣を起こしたように震え始めたのだ。ルドウェンは震える自身の腕を目にして、はっと弾かれたように手を下ろした。
一連の様子を見つめていたゼリオンは血相を変えて、声を掛ける。
「腕が……、痛むのですか?」
彼は心配する心情をあらわにし、ルドウェンの腕に触れようと手を伸ばした。しかし、その手は空を掴む。触れられまいと、ルドウェンが勢いよく腕を引いたのだ。
ルドウェンは焦りを隠すこともなく、声を荒げる。
「これは、違う……!」
「しかし――」
「お前、一体何なんだ! もう、帰ってくれ!」
悲痛な叫びにも似た声が響いた。
ルドウェンはゼリオンと視線を交えることなく、強引に扉を閉めようとする。ルドウェンの豹変ぶりに、ゼリオンは困惑し、わずかに後退った。それを好機と見たルドウェンは、そのまま彼を追い出したのだった。
徐々に小さくなっていく扉の隙間。ゼリオンは必死に語りかける。
「あの、私はしばらくこの町に滞在していますからっ! ですから、また会いに――」
バタン、と大きな音を立てて扉が閉まった。その次には乱暴に施錠する音。ゼリオンの言葉は最後まで告げられることなく、虚空に消えた。
喧騒から一転。ルドウェンは荒く呼吸を繰り返し、沈黙する。外の気配が消えるのをじっと待った。――竜人ともなれば扉一枚、難なく吹き飛ばすことも可能だろう。それが魔法であれ、何であれ。お付きの従者に扉を破らせることだって考えられる。しかし、しばらく待っても一向にその気配はない。
ルドウェンが息を殺していると、次第に周辺の気配は消えいった。そこでようやく安堵の溜め息をつく。
(とんだ一日の始まりだ……)
心の中で呟き、天を仰いだ。窓から差し込む太陽の光はいつもと変わらないというのに――。そこで、はたと思い出し、壁掛け時計を見る。
「約束の時間に遅れちまうな……これは」
異変など何もなかったかのように、時計は時間を知らせていた。
* * *
ルドウェンが向かったのは町の外れにある民家。そこで約束を取り付けていたのだ。足を進めていると、こちらに向かって手を振る初老の男に気が付く。足早で男のもとまで駆け寄ると、彼は快活に声を上げた。
「おーい、ルド! 待ってたぞ! 早速で悪いが、この手伝いを頼むよ」
「はいはい。相変わらず、人使いが荒いな」
「その分、報酬はバッチリだ!」
町の住民からの依頼。ルドウェンはこうして生計を立てていた。幸いにも、町の住民は気のいい人達が多かった。ルドウェンが依頼をこなす最中でも――。
「こら! 無理しなさんな! 片腕が思うように動かないのは知っているから」
「いや……その、問題ない。細かい作業ができないだけで――」
「馬鹿ねぇ! 強がるんじゃないよ!」
男の妻が心配して食べ物を差し入れてくれた。彼らの厚意に感謝し、有り難く受け取る。またある時は、少年の話し相手になることもしばしば。ルドウェンはどうにも子供に好かれやすい。
少年は羨望の眼差しを向ける。屈託のない笑顔で、語り始めた。
「ねぇ、ルド! 僕に剣の稽古をつけてよ! ここに来る前はとっても強い騎士だったんでしょ?」
「あのなぁ、坊主……。俺は違う。もっとマシな奴に頼むことだな」
悪態と共に呟いた。くいっ、と服の裾が引っ張られ、何事だと身を屈めた。すると、少年はきょろきょろと周囲に人がいないか確認した後――こっそり打ち明けた言葉があった。
「悪い竜をやっつけたって、爺ちゃんが――」
ぴくり、とルドウェンは眉を動かす。そこで辿る記憶があった。
――「竜殺し」を成した後、追われるように身を寄せた田舎町。
この町には荒れ狂う竜によって、住処を追われた者や家族を失った人々が多く暮らしていた。互いに支え合い、悲しみを慰め合っていた。流れ者としてやってきたルドウェンを町の住人達は必然として歓迎したのだ。
けれど、彼は質素な生活を好み、必要以上に人と関係を築こうとはしなかった。そんなルドウェンを放っておけないのもまた、この町の住人達だった。
ルドウェンは呆れた態度を隠すことなく、少年に語りかける。
「坊主。大人には秘密の一つや、二つあるもんだ。ほら、子供は帰った帰った」
「ちぇー」
口を尖らせ、拗ねた態度をとる少年。そんな少年を迎えに来たのは彼の父親だった。無邪気にじゃれる親子の微笑ましい光景に、ルドウェンは目を細める。
すると、少年の父親は神妙な面持ちで、ルドウェンを見つめる。何事かと尋ねれば、彼は小さな声でその内容を語り始めた。
「あのな、ルド。お前を探している騎士を見かけたんだ。随分と若いようだが――」
「…………面倒事は勘弁だな」
「何かあれば相談するといい」
「……いや、ここに置いてもらえるだけで、俺は恵まれてるよ」
沈んだ空気を払拭するように、ルドウェンは感謝の言葉を口にしたのだった。それから――町での用事を終え、自宅に帰り着いたルドウェン。簡単に身なりを楽にして、寝台に寝転がる。
「はぁ……。変に疲れた……」
誰もいない部屋に、疲労に満ちた声が広がった。眠りにつこうと目を閉じる。そこで脳裏に浮かんできたのは、今朝の出来事だった。
(番、か……。もう会うことのないよう、願うばかりだな……)
祈るように心の中で呟いた言葉。――こうして、ルドウェンは一日を終えた。




