条件に合う缶詰
五日目の午前、グレゴールは見積書を読んで顔をしかめた。
『高い』
「品質と保存期間を考慮した価格です」
『塩漬け肉なら、この半分以下だ』
「塩漬け肉は、輸送中の廃棄や水戻しの手間が発生します。この商品は一缶で一食分。調理の失敗が少なく、食べられる量を計算できます」
『鉄の容器まで運ばねばならん』
「その点は不利です」
『認めるのか』
「事実です。重量だけを見れば、乾燥肉のほうが優れています」
『では、なぜこれを売る』
「水が少なく、調理設備のない場所でも、一定の食事を提供できるからです」
山田は、ボルツに翻訳してもらった説明書を机へ広げた。
「すべての兵糧を缶詰へ置き換えるべきではありません。補給が途切れる可能性の高い部隊、傷病者、夜間警備の交代要員。用途を絞って使用する商品です」
グレゴールは見積書から顔を上げた。
『売る量を減らす提案をする商人は、初めてだ』
「不要なものを大量に売れば、次回から呼ばれません」
『呼ばれなくても、金は残る』
「一度分だけです」
グレゴールは、書記の青年と短く相談した。
『試験は千食から五百食へ減らす。その代わり、冬の砦と湿地の監視所、二か所で試す』
「よい判断だと思います」
『値段は下がるか』
「数量が減りますので、単価は少し上がります」
『なぜだ』
「仕入条件が変わるためです」
『五百でも千でも、門を通すだけだろう』
「門の向こうでも、商品は作られ、運ばれています」
『向こうの国では、すべての品が勝手に生まれるのではないのか』
「少なくとも、弊社の倉庫では勝手に増えません」
交渉の結果、六百食で合意した。
缶切りは十二本。
開封方法と、廃棄すべき缶の見分け方を描いた説明書が六十枚。
納品時には、山田が兵站担当者へ開け方と温め方を実演する。
支払いは半額前金、残額は納品後七日以内。
グレゴールは、小さな革袋を机へ置いた。中には銀貨が詰まっている。
『数えろ』
「後ほど確認します」
『信用するのか』
「目の前で数えると、商談が長くなりますので」
『足りなければどうする』
「ご連絡します」
『俺が誤魔化したとは考えないのか』
「その場合は、次回から前金を全額にします」
グレゴールは笑い、山田の肩を強く叩いた。
『ヤマダ。お前は剣を持っていないが、逃げ道を作るのが上手い』
「営業は、問題が起きる前に出口を確認します」
受注書へ署名し、山田はゲートレーディングの社判を押した。
朱色の四角い印は、羊皮紙の上で異様に目立った。
王国軍から、最初の注文を受けた。
*
納品準備は、地味で重かった。
六百缶は、二十四缶入りの箱で二十五箱。一箱約十一キロ。総重量は二百七十五キロを超える。
通常なら、パレットへ積み、フォークリフトで移動する量だった。
だが、ゲートへ続く地下通路に大型機械は入れない。
山田と高橋は、夜八時から二人で箱を台車に載せ、エレベーターから地下へ運んだ。
「課長」
「何だ」
「異世界支部の拡大前に、搬入経路の改善が必要です」
「分かっている」
「腰が痛いです」
「俺もだ」
「四十九歳の課長と四十二歳の主任が、秘密保持のため夜中に缶詰を運ぶ会社は、組織設計に問題があります」
「売上が立てば、設備投資できる」
「設備投資の前に、労災が立ちそうです」
二十五箱を異世界側へ運び終えたのは、午後十時半だった。
石造りの支部に積み上がった段ボールを見て、高橋が腰を伸ばす。
「これで、王国との取引が始まるな」
「まだ納品し、使用結果を確認し、残代金を回収するまでが取引です」
「夢がないな」
「回収できない売上は、夢に近いです」
高橋は先に日本へ戻った。
山田は翌朝の納品に備え、箱数を確認した。
二十五箱。
説明書六十枚。
缶切り十二本。
そのとき、支部の木の扉が三度叩かれた。
時計は、午後十一時に近い。
山田は机の下の非常ボタンへ手を伸ばした。
高橋から渡された危険対応マニュアルには、『夜間は原則として扉を開けない』と書かれている。
再び三度、扉が叩かれた。
『門の商人! まだ起きているか!』
低く大きな声だった。
「どちら様でしょうか」
『客だ!』
「本日の営業時間は終了しております」
扉の向こうが静かになった。
『そうか! それは悪かった!』
あまりにも素直な返事だった。
『では、明日の鐘が九つ鳴る頃に出直す! 一つだけ聞いておきたい!』
「何でしょうか」
『王国へ売った鉄詰め肉を、俺たちにも売ってくれ! できれば、もっと辛いやつだ!』
「数量と用途を確認してから、見積もりいたします」
『よし! 話が早いな! 朝飯は食わずに待っていろ。詫びに俺が持っていく!』
「商談に朝食は必要でしょうか」
『腹の減った相手と、良い商談はできん!』
「お名前と、ご所属を伺えますか」
『魔王領軍需府、南方調達官バルガス・ローデン! バルガスでいい!』
足音が遠ざかっていく。
山田は、非常ボタンから手を離した。
魔王軍との最初の商談は、朝食付きで始まるらしい。




