剣で缶詰は開けないでください
『前の門の商人は、できると言った』
グレゴールの声は低かった。
「前の担当者は、詳細を確認する前の可能性をお伝えしたのだと思います」
『庇うのか』
「社内の者ですので」
『自分の首を絞めているぞ』
「引き継ぎとは、そういうものです」
グレゴールはしばらく山田を見つめたあと、低く笑った。
『いいだろう。質問を続けろ』
山田は手元の確認項目に目を落とした。
「利用されるのは、何名ほどでしょうか」
『試験は百名。期間は十日。結果が良ければ、次は三千名分だ』
「一名あたり、一日に何食を置き換えますか」
『夕食一食。朝は粥、昼は乾パンだ』
「現地で温める設備は」
『鍋はある。薪は場所による』
「水は」
『あるとは限らん』
「輸送は荷車ですか」
『国境までは荷車、その先は兵が背負う』
「一人が持てる重量に上限がありますね」
『当然だ』
「空になった缶は回収できますか」
『鉄として使えるなら回収する』
「開封器具は、部隊ごとに管理者を決めてください」
『缶切りという小さな刃物か』
「はい。紛失すると食べられません」
『剣で開ければいい』
「怪我をします」
『王国兵は、缶一つ開けられぬほど不器用ではない』
「商品を壊す可能性があります」
『試してみよう』
止める間もなかった。
グレゴールは腰の剣を抜き、机に残っていた豆の缶詰へ刃先を向けた。
「室内では危険です」
『一撃で済む』
剣先が缶に突き刺さった。
赤い豆の煮汁が勢いよく噴き出し、グレゴールの軍服と書記の紙に飛び散った。
沈黙が落ちた。
床に豆が一粒転がった。
山田は机の引き出しから布巾を取り出した。
「缶切りをお使いください」
『……何本付く』
「百名分の試験導入で、十本を無償提供します」
『二十本だ』
「十本です」
『十五』
「破損時の予備を含めて、十二本までです」
『十三』
「十二本でお願いします」
『頑固だな』
「原価がありますので」
グレゴールは汚れた軍服を拭きながら、満足そうにうなずいた。
商談は一時間半に及んだ。
試験導入は、牛肉と豆を一つの缶に詰めた煮込み料理を中心に、一食四百グラム。酒類不使用。常温で二年以上保存できること。
百名、十日分。
合計千食。
だが、山田はその場で受注しなかった。
日本側で条件に合う商品が見つかるか。仕入価格はいくらか。異世界へ運ぶ手間を含めて利益が出るか。
確認せずに約束すれば、困るのは未来の自分だった。
山田は昇進にも役職にも興味がなかったが、自分で結んだ契約に追い回される生活はもっと嫌だった。
『すぐに売るために来たのではないのか』
「売れるかどうかを確認するために参りました」
『同じことだろう』
「違います。できない約束をしてしまうと、次の取引がなくなります」
『次も売るつもりか』
「一度だけの取引でしたら、支部は必要ありません」
山田は通訳石では翻訳できない見積条件を、自分のノートへ書き込んだ。
支部長になった実感はまだなかった。
ただ、一人目の顧客を雑に扱うつもりもなかった。




