缶詰は魔術ではない
グレゴール・ハインツは、椅子に座らなかった。
軍人らしく背筋を伸ばしたまま、机に並ぶ缶詰を見下ろしている。書記の青年だけが、持参した板と紙を抱え、室内の隅に立っていた。
『長期間とは、どの程度だ』
「商品によります。こちらの牛肉は製造から三年、豆は四年、桃は二年です。ただし、高温多湿を避け、缶が変形していないことが条件になります」
『三年』
「はい」
『塩漬け肉でも、管理を誤ればひと月で駄目になる』
「その課題に対する商品です」
山田は牛肉の大和煮缶を一つ取り、ラベルを指でなぞった。
「工場で加熱し、密閉しています。開封するまでは外気に触れません」
『魔術か』
「製造技術です」
『違いが分からん』
「私も魔術の定義を存じ上げませんので、そこは今後すり合わせさせてください」
グレゴールの後ろで、書記の青年が一瞬だけ口元を緩めた。
山田は缶切りを手に取った。
「試食していただけます」
『毒見は』
「私が先に食べます」
缶切りの刃を縁に掛ける。
異世界で、缶詰を開ける音がした。
蓋を持ち上げると、甘辛い醤油の匂いが広がった。箸で牛肉を一切れ取り、山田は口に入れた。
日本で何度も食べた味だった。
濃い。柔らかい。冷たいままだと脂が舌に残る。しかし、保存食として考えれば十分に食べられる。
「問題ありません」
『お前が毒に強い可能性もある』
「その可能性を完全に否定する資料は持ち合わせておりません」
『冗談だ』
「失礼しました」
『冗談が通じない男だな』
「商談中ですので」
グレゴールは初めて椅子に座った。
山田は新しい紙皿に牛肉を取り分け、木のフォークを渡した。グレゴールは匂いを嗅ぎ、慎重に口へ運んだ。
咀嚼する。
飲み込む。
もう一切れ取る。
『甘い』
「この世界では珍しい味でしょうか」
『肉に砂糖を使うのは、南方の貴族くらいだ。兵には贅沢すぎる』
「価格を抑えた別商品も用意できます。味付けの希望は、塩味が中心ですか」
『塩と香草だ。脂は多いほうがいい。冬の行軍では力になる』
「宗教上、食べられない動物はありますか」
『王国軍では馬を食わん。兵の半分は豚を嫌う。牛と羊なら問題は少ない』
「豆類は」
『豆だけでは兵が怒る』
「肉と組み合わせます」
『酒は入っているか』
「この商品には、調味料として微量に使われています」
グレゴールの目が細くなった。
『駄目だ。第三神殿区から集めた兵は、酒を口にできない』
高橋が近所のスーパーで選んだサンプルは、早くも条件から外れた。
「承知しました。酒類を使用していない商品を選定し直します」
『今、持ってきたものは売れないということか』
「少なくとも、全軍への一括導入には向きません。部隊ごとの条件を確認する必要があります」
『面倒だな』
「食べられないものを大量に納品するほうが、より面倒になります」
グレゴールは黙って山田を見た。
怒らせたかもしれない。
だが、ここで曖昧にして受注を優先すれば、納品後に必ず問題になる。
異世界であろうと、返品とクレームの構造は同じだった。




