売れない見積書
王国軍と魔王軍から届いた要望書は、よく似ていた。
夜間警備。
倉庫内の確認。
負傷者の搬送。
災害時の救助。
そして、最後に小さく書かれた一文まで同じだった。
『その他、現場指揮官が必要と認める用途』
山田は、その一文へ赤い線を引いた。
「これでは、用途制限になりません」
『現場では、何が起きるか分からん』
グレゴールは腕を組んだ。
『必要なときに使えぬ道具は、軍用品として価値がない』
「軍用品として販売するつもりがありません」
『軍へ売るのに、軍用品ではないと』
「治療所、救助隊、兵站倉庫へ用途を限定します」
隣の椅子では、バルガスが懐中電灯を何度も点けたり消したりしていた。
『ヤマダ。これは便利だ。便利すぎるから、軍が欲しがる』
「分かっています」
『王国へだけ売らないなら、俺たちも我慢するぞ!』
『勝手に同意するな』
『では、王国だけ買うのか!』
『必要だから要求している』
「お二人とも、同じ条件です」
山田は修正した取引条件を机へ置いた。
一組織につき、最初は二十個まで。
配備先は治療所、救助隊、兵站倉庫に限る。
番号ごとに管理責任者を登録する。
前線の戦闘部隊、偵察、合図、夜間攻撃への利用は禁止。
第三者への売却と譲渡も禁止。
違反した場合は、交換用電池を含めて販売を停止する。
書面を作る前、レオルは山田へ確認していた。
『軍へ売らなければ、問題は起きないのではありませんか』
「その方法もあります」
『では、なぜ二十個だけ売るのです』
「夜の治療所で、灯りが必要なのも事実だからです」
鉱山で見せられた、焦げた兜。
救助の途中で灯りを失った二人。
戦争に使える道具は、同時に、人を救う道具でもある。
売るか、売らないか。
どちらか一つで済ませられれば、仕事は簡単だった。
『厳しすぎる』
グレゴールが言った。
「この条件を守れない場合は、販売しません」
『王国軍を信用していないのか』
「信用の有無ではありません。商品が何に使われるかを、弊社が説明できる状態にしたいのです」
『商人が、客の使い方を決めるのか』
「弊社の商品については」
『剣を売る鍛冶屋が、切る相手まで決めるか』
「弊社は剣を売りません」
『これは剣ではない』
「だから、限定した用途で販売を検討しています」
グレゴールの目が鋭くなった。
山田は、自分の心拍が少し早くなるのを感じた。
戦場を知らない人間が、軍人へ道具の使い方を制限している。
独善的に見えても不思議ではない。
しかも、両軍が希望する数量をそのまま受ければ、缶詰より利益率の高い取引になる。
乾電池は消耗品だ。
本体を売った後も、継続して注文が入る。
営業として考えれば、断る理由を探すより、売る方法を考えるべき案件だった。
それでも、夜間攻撃に使われると分かっている商品を、売上のために渡すことはできなかった。
「私は、王国軍と魔王軍のどちらが正しいかを判断しているわけではありません」
『なら、何を判断している』
「弊社が責任を持って販売できる用途かどうかです」
『戦場で使われた後まで、責任を負うつもりか』
「すべては負えません。だから、負えない範囲へは売りません」
グレゴールは、山田の書面を指で叩いた。
『綺麗に線を引けると思うな。治療所の灯りが、夜襲の地図を見るために使われることもある』
「その通りです。完全には防げません」
『なら、無意味だ』
「完全に防げないことと、何もしないことは同じではありません」
室内が静かになった。
『ヤマダ』
バルガスが、懐中電灯を机へ戻した。
いつもの笑い声はなかった。
『友人としては売ってほしい。調達官としても売ってほしい。これを持たせれば、救える兵がいる』
「はい」
『同時に、夜の戦いで使えることも分かる』
「はい」
『だから、条件を飲む』
グレゴールがバルガスを見る。
『魔王軍が従う保証は』
『お前たちにもない!』
バルガスは、いつもの調子で笑いかけてから、山田へ向き直った。
『だがな。簡単に何でも売る商人なら、俺はここまで何度も来ていない』
「ありがとうございます」
『その代わり、治療所用は二十五個にしろ!』
「二十個です」
『良い話をした直後だぞ!』
「数量の交渉とは別です」
『せめて交換用の電池を多く付けろ!』
「使用計画を確認して、必要数を見積もります」
『絶対に即答せんな!』
「在庫と原価がありますので」
グレゴールは長く黙ったあと、取引条件を手に取った。
一頁目から最後まで、もう一度読み直す。
『王国軍も、同じ二十個でよい。治療所十、救助隊六、倉庫四だ』
「配備責任者のお名前を提出してください」
『どこまでも細かいな』
「必要な条件です」
『違反があった場合、魔王軍も同じように止めるのだな』
「同じ基準で判断します」
『なら、署名する』
*
日本へ戻った山田は、高橋へ報告した。
『合計四十個なら、小さな売上だな』
「通常の販売であれば、両軍合わせて数百個は見込めます」
『惜しいか』
「売上としては」
『判断としては』
「後悔していません」
『社長に説明する数字は減ったぞ』
「申し訳ありません」
『謝るな。確認しただけだ』
電話の向こうで、高橋が少し笑った。
『社長には、俺から説明する。あの人は数字を見るが、売ってはいけない線も分かっている』
「本当にですか」
『異世界への門を、四年間隠していた人だぞ。臆病なくらい慎重だ』
「それは、褒めているんでしょうか」
『経営者には必要な性格だ』
「私には向いていませんね」
『昇進する気がないからな』
「はい」
『即答だけは早いな』
仕事を終えて、山田は駅前のうどん店へ入った。
一人用のカウンター席。
注文したのは、カレーうどんと小さな白ご飯だった。
熱い汁をすすり、眼鏡が少し曇る。
家に帰っても、待っている者はいない。
寂しいと思うことは、ほとんどなかった。
誰にも予定を合わせず、食べたいものを食べ、静かな部屋へ帰る。
その生活を、山田は気に入っていた。
ただ最近は、一人で夕食を取りながらも、異世界支部の二つ目の机を思い出すことが増えた。
レオルは、もう食事を済ませただろうか。
明日は鉱山向けの講習がある。
乾電池の向きを、絵だけで分かるようにする必要がある。
山田は白ご飯をカレーの残りへ入れ、手帳を開いた。
『軍用照明。番号管理。禁止用途を図で表示』
その下へ、もう一行加える。
『売れない理由も、説明書にする』
売らないと決めた後にも、仕事は残る。
むしろ、売るときより増えていた。




