異世界支部長は君だ
営業車は、古い五階建てのビルの前で止まった。
周囲には配送会社の営業所や小さな工場が並び、そのビルだけが数年前から使われていないように見えた。外壁は灰色にくすみ、一階のガラス扉には『株式会社ゲートレーディング 商品試験倉庫』と控えめなプレートが付いている。
「うちの物件だったんですね」
「正確には社長個人の資産管理会社が持っている。社内では試験倉庫という扱いだ」
「随分と複雑ですね」
「複雑にしている」
高橋は鍵を開けた。
中は照明が半分しか点かず、埃の匂いがした。一階には折り畳まれた段ボールと空のパレット、古い台車が数台置かれている。
高橋はエレベーターを使わず、奥の階段へ向かった。
「地下があるんですか」
「登記上はない」
階段の突き当たりに、金属製の扉があった。高橋は首から下げた鍵を差し込み、暗証番号を入力した。
扉の向こうは、細長い通路だった。
コンクリートの壁。天井を這う電気配線。一定間隔で並ぶ白い照明。その先に、不自然なほど古い黒鉄の扉が立っている。
壁に埋め込まれたわけではない。床から直接生えているように見えた。
「これが、ゲートだ」
高橋が言った。
「会社名と同じですね」
「偶然だ。うちは創業時からゲートレーディングだった。『市場への門になる』という意味で社長の父親が付けたらしい」
「実物の門まで所有するとは、先見の明がありますね」
「社長に言うと喜ぶ」
高橋は黒鉄の扉を押した。
蝶番の音はしなかった。
扉の向こうに見えたのは、コンクリートの通路ではなかった。
粗く積まれた石の壁。橙色に揺れるランプ。床には薄い砂が積もり、冷たい風が吹き込んでくる。
山田は扉の手前で足を止めた。
「映像ではないんですね」
「触ってみるか」
「いえ。結構です」
「気分が悪くなったら戻れ。最初は大抵そうなる」
高橋が先に扉をくぐった。
山田は深く息を吸った。
社内規程。労災。海外出張保険。危険地域への派遣。思いつく言葉はいくつもあったが、どれも目の前の状況には合わなかった。
結局、営業鞄を持ち直して、一歩を踏み出した。
空気が変わった。
湿気を帯びた冷たさが頬に触れ、革靴の下で砂が鳴った。振り返ると、黒鉄の扉の向こうに日本の白い照明が見えている。
「ようこそ、異世界へ」
「もう少し正式な説明があるものだと思っていました」
「正式な呼称が決まっていない。社長は『向こう側』と呼んでいる」
「社内で三人しか知らないなら、呼称を決める会議も開けませんね」
「理解が早くて助かる」
通路を抜けると、小さな部屋に出た。
木製の机が二つ。書類棚。簡易ベッド。日本製の小型冷蔵庫。壁際には発電機と蓄電池が置かれ、机の上には灰色の固定電話がある。
石造りの壁に、場違いな白い看板が掛けられていた。
『株式会社ゲートレーディング 異世界支部』
山田は看板を見上げた。
「本当に支部なんですね」
「社長が作らせた」
「支部長はどちらですか」
「君だ」
山田は高橋を見た。
「支部長というのは、役職でしょうか」
「便宜上はな」
「給与は上がりますか」
「今のところ予定はない」
「責任だけ増えていませんか」
「話が早くて助かる」
「褒められた気がしませんね」
「ほかの社員は」
「いない」
「現地採用は」
「必要なら検討してくれ」
「採用の決裁者は」
「俺と社長だが、一次面接は君だ」
「つまり、一人で頑張れと」
「端的に言えばそうなる」




