レオル・バッケルの初商談
説明会の朝、レオルはいつもより早く支部へ来た。
服装は変わらない。
灰色の上着に、焦げ茶色のズボン。
ただし胸には、新しい名札が付いていた。
『現地取引担当 レオル・バッケル』
支部の外では、トルドが改造した台車を並べている。
車輪は日本から持ち込んだものの倍近く大きく、外側に細い鉄輪が付けられていた。荷台の四隅には、荷物を固定するための金具も増えている。
『見た目は不格好になったが、ラゼルの道ならこちらが勝つ』
トルドは胸を張った。
「日本側のメーカーが見たら、保証対象外と言うでしょうね」
『門の向こうの保証は、こちらまで来るのか』
「来ません」
『なら、気にするな』
説明会には、ガドと組合員三十名、協力倉庫の主人二名が集まった。
バルガスも、なぜか見学に来ていた。
『新しい商談担当の初仕事だと聞いた!』
「どこで聞いたんですか」
『町でだ!』
「本当に、この町に秘密はありませんね」
レオルは台車の前へ立った。
最初の声は、少し硬かった。
『この道具は、一人で多くの荷物を運べます』
組合員の表情が曇る。
『だから、人を減らすために使うこともできます』
ざわめきが広がった。
山田は口を挟まなかった。
『ですが、それを決めるのは道具ではありません。契約する人間です』
レオルは、前日に整理した表を掲げた。
『昨年、組合では四百七十二日分の仕事が、怪我によって失われました。十三人が腰を傷め、二人が戻れませんでした』
ガドが黙って聞いている。
『台車を使えば、すべての怪我がなくなるとは言いません。石畳の段差で倒れる可能性もあります。荷物を積みすぎれば、もっと危険です』
トルドが、満足そうに髭を撫でた。
『だから、試験します。二十日間。仕事の人数と日当は減らさない。台車を使って運べた荷物と、起きた問題を記録する。使うかどうかは、その後で組合が決めます』
『商店ではなく、俺たちが決めるのか』
若い荷運び人が尋ねた。
『台車は組合へ貸し出されます。商店が勝手に持ち出すことはできません』
『壊したら』
『通常の使用で壊れた場合は、ゲートレーディングとトルド工房が確認します。故意に壊した場合は、組合の負担です』
ガドが山田を見た。
『そこまで言わせるのか』
「会社の商品ですので」
レオルの説明が終わると、実演が始まった。
最初に台車を押したのは、六十歳を越えた荷運び人だった。
缶詰の箱を六つ載せ、固定する。
改造前には止まった石畳の溝を、大きな車輪が越えた。
『軽いな』
男は何度か往復し、驚いた顔で自分の腰を叩いた。
次に若い組合員が八箱を積もうとしたところで、レオルが止めた。
『試験の上限は六箱です』
『まだ載る』
『載る量と、安全に運べる量は違います』
山田は、その言葉を聞いて少し笑った。
自分が言いそうな言葉だった。
試験は順調に始まった。
ただし、契約書の最後で問題が起きた。
レオルが、台車の貸出料金を三パーセント下げていた。
「理由を聞いてもいいですか」
『ガドさんが、記録係を一名追加する条件を出しました。その人件費分として値下げしました』
「考え方は分かります。ただし、次回から値引き前に相談してください」
『申し訳ありません』
「怒っているわけではありません。三パーセントは大きいので」
バルガスが横から口を出した。
『ヤマダなら、二パーセントまで粘ったな!』
「バルガス殿。弊社の値引き基準を予想しないでください」
『当たっていたか!』
「答えません」
*
二十日後、組合は改造台車十台を正式に注文した。
試験期間中に人員削減はなく、運べた荷物は以前の一・六倍。
腰痛を訴えた者は減ったが、坂道で台車が止まらず、壁へ衝突する事故が一件あった。
トルドは、すべての台車へ簡易の足踏み式留め具を追加することになった。
『門の道具だけでは、完成しなかったな』
ガドが言った。
「その通りです。異世界支部の商品になったのは、トルドさんと組合の方々が直した後です」
契約書の署名欄には、山田だけでなく、レオルの名も並んだ。
『現地取引担当として、署名してください』
レオルは羽根ペンを握り、ゆっくりと自分の名を書いた。
仕事を終えた帰り道、二人は市場の屋台で肉入りの焼き菓子を買った。
レオルが二人分を支払う。
「前回も払っていただきました」
『今日は、初めて商談をまとめた日です』
「経費にできますよ」
『私が払いたいのです』
「では、ごちそうになります」
山田は熱い焼き菓子を受け取った。
皮は固く、中の肉汁が多い。
食べ方を誤ると、袖へ垂れそうだった。
隣でレオルが、赤い帳面へ何かを書いている。
「今日は、何と書くんですか」
『初めて、自分の名で契約書へ署名した日です』
レオルは帳面を閉じた。
『それから、三パーセントの値引きで支部長に注意された日、と』
「後半は書かなくてもいいのでは」
『忘れないために必要です』
山田は、何も言い返せなかった。




