台車は石畳に負ける
異世界支部の売上が増えるほど、山田と高橋の腰は悪くなった。
王国軍の缶詰三千食。
魔王軍の大型缶五百個。
石鹸、秤、木型。
商品は日本側の倉庫から地下へ運び、ゲートを越え、異世界支部から現地の荷車へ積み替える。
大型のフォークリフトは地下通路へ入らない。
異世界側の荷車は、支部の扉を通れない。
支部の入口には、人が気にしない程度の石の段差がある。だが、二十キロ近い缶詰箱を抱えて何度も往復すると、その数センチが次第に憎くなってきた。
結果として、最後の数十メートルはすべて人力だった。
午前中だけで二十四往復した高橋が、箱の上へ腰を下ろす。
『山田。四十九歳の課長に、これは長く続けられん』
「四十二歳の主任にも難しいです」
『支部長だろ』
「給与上は主任です」
『そういうところだけ現実的だな』
山田は腰へ手を当てた。
「課長。人を増やすか、通路を広げるか、どちらかが必要です」
『売上がもう少し安定してからだ』
「私の腰が安定しません」
『折り畳み台車を送っただろ』
日本側から、業務用の折り畳み台車が四台届いていた。
耐荷重百五十キロ。使わないときは薄く畳める。倉庫や事務所では珍しくもない道具だが、手作業を続けるよりはるかにましだった。
山田は一台を異世界側へ運び、レオルの前で組み立てた。
『小さな荷車ですね』
「押す力が少なくて済みます。段ボールを八箱ほど載せられます」
『持ち手が倒れるのは、保管するためですか』
「そうです。支部の中でも場所を取りません」
レオルは車輪を指で回し、軸の動きを確かめた。
『音が小さいですね』
「日本の倉庫では、床が平らですから」
その時点で、山田は自分の言葉にもう少し注意を払うべきだった。
そこへ、追加注文の確認に来ていたバルガスが近づいた。
『これが新商品か!』
「支部の搬送用です」
バルガスは台車の横へ回り、片手で持ち上げた。
『軽いな!』
「持ち上げる商品ではありません」
『分かっている!』
床へ戻すと、今度は自分が荷台へ座ろうとした。
「人を運ぶための商品でもありません」
『まだ何もしていないぞ!』
「座ろうとしていました」
『耐荷重というものを確かめようとしただけだ!』
「その確認は、製造元が済ませています」
『門の向こうの職人は、俺ほど重いのか』
「少なくとも、試験方法はもう少し安全です」
山田は缶詰の箱を六つ積み、固定用の紐を掛けた。
支部の石床では、台車は驚くほど軽く動いた。
レオルが指先で押しただけでも、荷物が滑るように進む。
『これは便利です』
『兵站庫にも売れ!』
バルガスが即座に言った。
「屋外で使えるか確認してからです」
その判断は正しかった。
支部を出て、石畳へ前輪が乗った瞬間、小さな車輪が溝へ嵌まった。
山田の体だけが前へ進む。
持ち手が腹へ食い込み、台車が斜めに傾いた。
一番上の箱が滑り落ちる。
レオルが両腕で受け止めなければ、缶詰が通りへ散らばっていた。
『止まりましたね』
「止まりました」
『便利な道具では』
「平らな床では便利です」
車輪を溝から持ち上げ、もう一度押す。
今度は前輪が石の段差へ乗り上げず、台車全体が激しく跳ねた。
中の缶が箱の内側で鳴る。
支部前を通っていた商人が振り返り、子どもたちが面白そうに立ち止まった。
バルガスだけは、腹を抱えて笑っている。
『門の道具も、石畳には勝てんか!』
「商品の選定を誤りました」
『正直だな!』
「笑っていないで、箱を押さえてください」
『任せろ!』
バルガスが片手で箱を支えると、今度は台車ごと持ち上がりかけた。
「押さえるだけで結構です」
『注文が多いな!』
山田は、落ちかけた箱を積み直した。
日本の倉庫で使えるものが、そのまま異世界でも使えるとは限らない。
当然のことだった。
だが、現物を見るまで気づかなかった。
舗装の精度。坂道。雨。車輪を修理できる職人。交換部品の入手性。
商品そのものだけでなく、使われる環境まで含めて提案しなければならない。
通りの向かいから、その様子を見ていた小柄な男が近づいてきた。
背はレオルの肩ほどしかない。赤茶色の髭を三つ編みにし、革の前掛けを着けている。前掛けには、黒い鉄粉が染みついていた。
『その車輪では、ラゼルの道は走れん』
「見れば分かります」
『分かる前に、持ってきたようだが』
男は台車をひっくり返し、車輪の軸を覗き込んだ。
『車輪が小さすぎる。幅も狭い。しかも前の二つが好き勝手に向きを変える。石の隙間へ入りたがる作りだ』
「日本では、そのほうが小回りが利きます」
『ここでは、小回りを利かせる前に転ぶ』
男は軸を回し、金属部分を爪で弾いた。
『だが、軸は悪くない。荷台も軽い。車輪を倍の大きさにして、前輪を少し固定する。外側へ鉄の輪を被せれば、石畳でも使える』
「重量は増えますか」
『増える。曲がりにくくもなる。便利な点だけ残すのは無理だ』
「坂道では」
『止め具が要るな。今のままでは、荷物を乗せたまま勝手に走る』
山田は手帳を開いた。
「加工できますか」
『俺を誰だと思っている』
「存じ上げません」
『鍛冶工房トルドの親方、トルド・ガランだ』
レオルが小声で説明した。
『ラゼルでは、荷車の車輪と倉庫の金具を多く作っています。市場の荷車は、ほとんどトルド工房の物です』
トルドは台車を何度か動かし、荷台を叩いた。
『門の向こうの金属は軽い。面白い品だ。四台とも持ってこい』
「費用の見積もりを先にお願いします」
『商人らしいな』
「商人ですので」
『完成するまで金は取らん。ただし、失敗しても元には戻らんぞ』
「その条件も書面にしてください」
『面倒な商人だ』
その日の午後、改造の相談をしていると、支部の前に十数人の荷運び人が集まってきた。
台車の噂は、数時間で市場まで広がったらしい。
先頭に立つのは、片目に黒い布を巻いた大柄な男だった。肩には古い革帯を巻き、両手の指は太く変形している。
『門の商人』
「はい」
『その道具を、この町で広めるつもりか』
「まだ試験中です」
『試験が終われば、俺たちの仕事を奪うのか』
男の背後で、荷運び人たちが黙って山田を見ていた。
怒鳴る者はいない。
その静けさのほうが、山田には重く感じられた。
彼らにとって、台車は便利な新商品ではない。
明日から自分が不要になるかもしれない道具だった。
便利なものを売れば、喜ばれる。
そう単純ではないらしい。




