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株式会社ゲートレーディング異世界支部 ~王国も魔王軍も、弊社のお客様です~  作者: 門倉コウ
二部 日用品は国境を越える

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15/24

最初の給料は石鹸の匂い

マルタ・セルドが持参した石鹸は、山田が想像していたものより上等だった。


 淡い黄色で、表面には花の模様が押されている。


 水をつけると、香草の強い香りが支部の中へ広がった。


「よく泡立ちますね」


『王都の宿にも卸している。貴族の屋敷からも注文が来る』


「品質に問題はありません」


『では、門の石鹸を売る必要はない』


「今回の用途には、価格と香りが合いません」


 マルタの眉が上がった。


『香りが悪いと言うのか』


「反対です。良すぎます」


『良すぎる』


「軍の調理場で、一日に何度も手を洗うために使います。香料は不要です。落としても惜しくない価格で、同じ大きさと品質のものを大量に用意する必要があります」


『安物を作れと』


「用途の違う商品を作れないか、相談しています」


 マルタは腕を組んだまま、黙った。


 山田は、日本から持ち込んだ無香料の業務用石鹸を机へ置いた。


 白く、模様もなく、包装は簡素だった。


「試験導入には、これを百二十個使います。ただし、継続分まで日本から運ぶつもりはありません」


『なぜだ。門の向こうでは、これをもっと安く作れるのだろう』


「輸送の手間があります。現地で作れる商品を、わざわざ異世界から運び続ける必要はありません」


『作り方を売るのか』


「作り方そのものは、こちらにもあると見ています。必要なのは、軍の用途に合わせた規格です」


 山田は、同じ大きさに切るための木型と、重さを量る小型の秤を見せた。


「一個の重さを揃える。香料を入れない。水に濡れた状態でも崩れにくくする。洗い場ごとに交換日を記録する。マルタさんの工房で、作れませんか」


『門の商人が、地元の職人へ仕事を回すのか』


「弊社は、必要な商品を必要な方法で提供する会社です。すべてを日本から持ってくる会社ではありません」


『ニホン』


「門の向こうにある、弊社の国です」


 マルタは秤を手に取り、何度か皿を動かした。


『この秤と型を、私へ売れ』


「石鹸の試作と、魔王軍への継続供給を条件に、卸価格でお出しします」


『石鹸一個ごとに、門の会社へ金を払えと言うのか』


「いただきません。弊社は秤と型、最初の包装資材を販売します。魔王軍との石鹸契約は、組合と直接結んでください」


『それでは、あんたの利益が少ない』


「継続的に取引できる職人が増えるほうが、長期的には利益になります」


『また、売る量を減らしているのか』


 レオルが小さく笑った。


「最近、よく言われます」


 *


 試験は十日間行われた。


 サーヴァ医官の記録では、手洗いと器具分けを徹底した調理場で、新たに腹痛を訴えた者は大きく減った。


 それだけで原因を断定することはできない。


 井戸の清掃と食材の保管方法も、同時に見直していたからだ。


 それでも、魔王軍は手洗いを継続することを決めた。


 マルタの工房では、無香料の試作品が完成した。


 少し硬く、泡立ちは控えめだったが、調理場で使うには十分だった。


『ヤマダ! 石鹸で腹が満たせるとは思わなかったぞ!』


「石鹸は食べないでください」


『そういう意味ではない!』


 バルガスは笑いながら、マルタとの長期契約書へ署名した。


 ゲートレーディングの売上は、秤十二台、木型六個、業務用石鹸百二十個。


 大口契約とは言えない。


 ただし、地元の職人組合と魔王軍の間に、新しい取引が生まれた。


 *


 その日の夕方、山田は王国銀貨を八枚、レオルの机へ並べた。


「最初の一週間分です」


『本当に支払うのですね』


「雇用条件に書きましたので」


 レオルは四枚を積立用の小箱へ入れた。


 残り四枚を手の中で転がし、長い間見つめている。


「何か買うものは決まりましたか」


『昼休みに、ボルツ商店へ行ってもよいでしょうか』


「もちろんです」


 二人は店じまいの前に、赤い鳥の看板を訪ねた。


 レオルが選んだのは、赤い革表紙の小さな帳面と、黒いインクだった。


『帳面なら、支部で支給します』


「仕事用ではありません」


『では、何を書くのです』


「まだ決めていません」


 レオルは銀貨一枚を自分で払い、帳面を胸元へ入れた。


 帰り道、屋台から焼いた平たいパンの匂いがした。


 レオルが足を止める。


「食べますか」


『今日は、私が払います』


「二人分ですか」


『一枚目の給金で、何を買ったか覚えておきたいので』


 肉と玉葱を挟んだ熱いパンを、二人で受け取った。


 石畳の端に立ち、山田は一口かじる。


 香辛料が強く、少し塩辛い。


 隣で、レオルも黙って食べている。


 やがて、赤い帳面を軽く叩いた。


『最初の頁に、今日のことを書きます』


「何と」


『初めて給金を受け取り、自分で帳面と夕食を買った日、と』


 山田は返事をせず、もう一口パンを食べた。


 自分の給料日より、ずっと記憶に残る日になりそうだった。

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