最初の給料日
異世界支部に二人目の職員が加わって、最初に起きた問題は仕事ではなかった。
給料である。
翌朝、山田は机の上へ王国銀貨を八枚並べた。
向かいに座るレオルは、硬貨ではなく、その横に置かれた羊皮紙を見ている。
『勤務時間。朝の鐘が八つ鳴ってから、夕方の鐘が六つ鳴るまで』
「休憩は昼に一時間。残業が必要な場合は、事前に相談します」
『奴隷に残業というものがあるのですか』
「職員に、です」
『はい、支部長』
昨日までなら、主人と言い直していた。
山田は羊皮紙の次の行を指した。
「七日に一日、休みです。体調不良の場合も休んでください。賃金は一週間につき、王国銀貨八枚を基本とします」
『多すぎます』
「相場を確認しました」
『帳簿係の見習いなら、五枚で十分です』
「あなたは見習いではありません。昨日だけで、金貨四枚分の帳簿上の損失を見つけています」
『だからといって、奴隷へ八枚も払えば、周囲から笑われます』
「笑う方には、弊社の給与台帳を見せません」
レオルは、羊皮紙の末尾へ目を移した。
『解放金積立。金額は本人が決める』
「賃金のうち、いくらを解放金へ回すかは、レオルさんが決めてください。積立は会社の金庫で別に管理し、毎週、残高を二人で確認します」
『すべて積み立てます』
「認められません」
『私の賃金では』
「食事と衣服、身の回りの物に使うお金が必要です。最低でも半分は手元へ残してください」
『支部の奥で眠り、食事もいただいています』
異世界支部には、以前の担当者が使っていた小さな寝台があった。今はレオルがそこで眠っている。
本来、職場と住居を同じにするのはよくない。
だが、身分証を持たない奴隷へ部屋を貸す大家は、まだ見つかっていなかった。
「それは、部屋が見つかるまでの一時的な対応です。それに、自分で使えるお金がない状態は、雇用とは呼べません」
『では、四枚を積み立てます』
「承知しました」
『残り四枚は、何に使えばよいのですか』
「自由です」
『自由が、一番分かりません』
山田は答えを考えた。
自分なら、仕事帰りの定食と、休日に読む本に使う。
家族はいない。広くない部屋で、一人で静かに過ごせれば十分だった。
だが、その説明をしても、レオルの参考にはならない気がした。
「急いで使わなくても構いません。貯めてもいいですし、欲しいものができてから使ってください」
『使わずに持っていることも、自由なのですね』
「そうなります」
山田が雇用条件の読み合わせを終えたところで、扉が三度、大きく叩かれた。
『ヤマダ! 新しい職員の初出勤祝いを持ってきたぞ!』
「勤務開始から二日目です」
『祝いは遅れても、ないよりいい!』
声だけで、誰か分かった。
扉を開けると、バルガスが大きな鍋を抱えて立っていた。護衛の二人は黒パンと焼いた肉を積んだ籠を持っている。
『レオルだったな! 俺はバルガスだ! 魔王領軍需府で、兵の飯と靴下と、足りない物を全部集めている!』
『レオル・バッケルです。昨日から、こちらで帳簿を担当しています』
『よし! 帳簿が分かる者は大事だ! 俺は数字を見ると腹が減る!』
「普段から減っているように見えますが」
『ヤマダ。お前、少しずつ俺への遠慮がなくなってきたな!』
バルガスはうれしそうに笑い、鍋を机へ置いた。
『今日は祝いだけではない。相談がある』
「食べる前に伺ってもよろしいですか」
『妻から、商談相手を空腹にするなと言われている!』
「では、食べながら伺います」
鍋の中身は、鶏肉と根菜を香辛料で煮込んだものだった。
レオルが三人分の皿を並べる。
バルガスは大きな黒パンをちぎりながら、急に声を落とした。
『南方の補給所で、腹を壊す兵が増えている』
「缶詰を食べた部隊ですか」
『いや。缶詰を食った者も、食っていない者もだ。医官は水か食事を疑っているが、原因が分からん』
「私は医師ではありません」
『分かっている。だが、お前は食料を売る前に、食べ方まで聞いた。何か気づくかもしれんと思った』
山田は、鍋をよそうレオルの手を見た。
「現場を確認させてください。商品を売る話になるかどうかも、まだ分かりません」
『それでいい! 明日、連れていく!』
バルガスは安心したように肉を頬張った。
缶詰の次に何を売るのか。
山田は、まだ考えていなかった。
まさか翌日、石鹸の見積もりを作ることになるとは、この時点では思ってもいなかった。




