報酬は、奴隷一名
王国軍から試験結果が届いたのは、納品から二十四日後だった。
冬の砦では、予定した二百食がすべて消費された。
夜間警備の交代要員が温かい食事を取れない日に、缶を鍋で温めて提供したところ、体調を崩す兵が減ったという。
湿地の監視所では、百八十食が消費され、二十食が残った。
荷車がぬかるみに嵌まり、通常の補給が六日遅れた間、缶詰が予備食として使われた。
味については、概ね好評。
不満は三点あった。
量が少ない。
缶切りが壊れやすい。
空き缶の縁で指を切った兵が二名。
山田は報告を聞きながら、改善項目をノートへ書いた。
大型缶との併用。
缶切りの品質変更。
厚手の手袋、または空き缶の縁を潰す道具。
廃棄手順の追加。
『喜ばないのか』
グレゴールが言った。
「何をでしょうか」
『試験は成功だ。王国兵站局は、正式に三千食を発注する』
「ありがとうございます」
『顔が変わらんな』
「正式な発注書と、納期条件を確認するまでは見込み案件です」
『お前は祝いの席でも、見積書を確認していそうだ』
「契約条件が決まっていれば、酒を一杯くらいは飲みます」
『なら、今日は一杯飲め。兵站長がお前へ褒賞を用意している』
「褒賞ですか」
『王国軍への貢献を認めたものだ。断るな。面子に関わる』
山田は嫌な予感がした。
金貨や宝石なら、会社として受け取るべきか、個人への贈答品として扱うべきか、高橋へ確認する必要がある。
武器や爵位なら、なおさら困る。
「事前に、内容を伺えますか」
『見れば分かる』
「見てからでは、断りにくくなります」
『だから先に、断るなと言った』
グレゴールに案内され、兵站局の奥にある広間へ入った。
長い机には料理が並び、軍服姿の者が十数名集まっている。
中央に立つ太った男が、王国軍兵站長オルグレン・ダースだった。
『門の商人ヤマダ! よく来た!』
「お招きいただき、ありがとうございます」
『お前の鉄詰め肉のおかげで、湿地の監視所は飢えずに済んだ。兵站局を代表して礼を言う』
「商品がお役に立てたのであれば、何よりです」
『正式注文の代金とは別に、王国から褒賞を与える』
「恐れ入ります。ただし、弊社の規程上、高額な贈答品は受け取れない可能性があります」
『金ではない。安心しろ』
兵站長が手を叩いた。
広間の脇の扉から、一人の男が連れてこられた。
三十代半ばほど。
痩せているが、背は高い。茶色の髪は伸び、頬には疲労の影がある。
手首には鉄の輪がはめられ、細い鎖が衛兵の手へ続いていた。
男は、山田の前で膝をついた。
山田は、すぐには状況を理解できなかった。
『読み書きと算術ができる。元は商家の帳簿係だ』
兵站長は、得意げに言った。
『門の商館には人手が足りぬと聞いた。こいつを使え』
「……人を、ということでしょうか」
『奴隷だ。好きに使ってよい』
広間の空気が、急に遠くなった。
膝をついた男は、顔を上げない。
「申し訳ありませんが、お受けできません」
通訳石が、山田の言葉を淡々と変換した。
広間が静まった。
兵站長の笑顔が消える。
『褒賞が気に入らぬか』
「人を物品として受け取ることは、弊社の方針に反します」
『奴隷は人であると同時に、所有物だ』
「弊社では、その扱いを認めていません」
『門の向こうの決まりを、王国へ持ち込むのか』
「そういう意図ではありません。ただ、私には受け取れません」
グレゴールが山田の横へ来た。
『ヤマダ。少し話そう』
兵站長へ一礼し、広間の隅へ山田を連れていく。
『ここで断れば、兵站長の面子が潰れる』
「だからといって、人を受け取るわけにはいきません」
『分かっている。門の商人が奴隷を扱わないという話は、俺も聞いている』
「では、なぜ」
『褒賞を決めたのは上だ。お前の支部に人手がないと知り、気を利かせたつもりなのだ』
「気の利かせ方が違います」
『この国では違わん』
グレゴールは声を落とした。
『あの男は、レオル・バッケル。王都のバッケル商会で帳簿を付けていた』
『商会が軍への納入品を横流しし、当主は逃げた。残った使用人と家族が、賠償のため奴隷へ落とされた』
「本人も、横流しに関わったのですか」
『証拠はない。だが、商会の帳簿係だった。それだけで十分とされた』
「断った場合、彼はどうなります」
『別の褒賞へ回されるか、鉱山へ送られる』
「自由には」
『ならん。商会の負債が残っている』
山田は、広間の中央を見た。
レオルは膝をついたまま、動かない。
受け取らないことが正しいと思った。
人を商品として扱う制度に加わるべきではない。
だが、ここで拒否したところで、制度が消えるわけではない。
目の前の男が、別の場所へ送られるだけだ。
「所有権を得たあと、すぐに解放することはできますか」
『負債分の解放金を王国へ納めればできる』
「いくらです」
グレゴールが、指を三本立てた。
『金貨三十枚』
社内換算で、およそ三百万円。
異世界支部の現在の利益を、大きく超える。
「本人が働いて返すことは」
『主人が認めれば、賃金を与えてもよい。だが、奴隷へ賃金を払う者はほとんどいない』
「雇用契約を結ぶことは」
『奴隷に契約権はない。主人との私的な約束になる』
正しい答えはなかった。
日本へ戻り、高橋と社長へ相談すべきだった。
しかし、この場で時間を置けば、レオルの行き先は山田の知らない場所で決まる。
「条件があります」
『何だ』
「私は、彼を商品として扱いません。支部の職員として働いてもらいます」
「賃金を支払い、休みを設けます。暴力を加えず、売却もしません」
「解放金を支払える状態になれば、本人の希望を確認したうえで解放します」
『好きに使えと言われたのだ。受け取った後は、お前の自由だ』
「その条件を、褒賞の記録へ残してください」
『なぜだ』
「後から、扱いが不適切だと言われないためです」
グレゴールは、呆れた顔をした。
『奴隷を受け取る場で、奴隷を売らない条件を付ける男は初めてだ』
「前例になれば、次から説明が楽になります」
『本当に、逃げ道を作る男だな』
兵站長は、最初こそ不満を示した。
だが、グレゴールが「門の商人の奇妙な習慣として記録すれば、王国の面子は保たれる」と説明すると、最終的には認めた。
褒賞証書へ、追加の一文が書かれる。
『受領者は、レオル・バッケルを売却せず、門の商館において事務労働へ用いるものとする』
人権を守る文章には、ほど遠い。
それでも、何もないよりはよかった。
宴が終わると、衛兵がレオルの鎖を山田へ渡そうとした。
「これは、外してください」
『逃げるぞ』
「逃げた場合は、私の責任です」
衛兵は肩をすくめ、手首の輪を開けた。
鉄が外れたあとも、レオルは腕を下げたままだった。
「立ってください」
『命令ですか』
初めて聞く声だった。
低く、乾いている。
「お願いです」
レオルは、ゆっくりと立ち上がった。




