第2話 勇者なしで、最初の護衛
「勇者一行の兵站責任者だった男が、荷車六台の護衛を受けるのか」
城塞都市の東門に近い荷捌き場で、ボルク・ダーンはガレスの長槍を見上げた。日に焼けた顔には驚きより興味が浮かんでいる。
「昨日辞めた。今日は護衛として来ている」
「仕事を選ばないのか、それとも選んだ結果がこれか」
「荷と車輪を見てから決めると言ったはずだ」
ガレスが答えている間にも、ボルクは荷役人へ指示を飛ばしていた。最後尾の荷車に積まれていたランプ油の樽を二台目へ移させ、代わりに軽い毛布と革製品を後ろへ回している。下り坂で揺れやすい液体を重い荷車へ集めず、車軸へ均等に重さがかかるよう積み直しているらしい。
四十六歳になるボルクは、御者として二十年以上街道を走ってきたという。馬と荷車に関しては、口を出す前に任せてもよさそうだった。
「ガレス・ヴァーンね」
声を掛けてきたのは、荷車の反対側に立っていた女だった。
年齢は三十に届かないほど。灰色の外套の下に革鎧を着込み、腰には細身の長剣を提げている。淡い金髪を首の後ろで束ねた姿や、背筋を崩さず立つ様子には、傭兵より騎士に近い雰囲気があった。
「エルナ・ヴァイス。今回の護衛をまとめる。あなたが勇者一行にいたという話は、東部の騎士なら一度くらい聞いているわ」
「悪い噂でなければいいが」
「後衛を任せられる人間だと聞いた。荷車の後ろを歩くことに不満は?」
「六年歩いて慣れている」
エルナは小さくうなずき、残る二人の護衛を紹介した。
一人はラズという三十代の傭兵で、街道護衛を十年以上経験している。もう一人のニコ・ロアンは十八歳。短期間だけ領軍の補助兵を務めたことがあり、槍と小盾を持っているが、隊商に雇われるのは二度目だった。
隊商全体では、ボルクを含めた御者六人、荷役人二人、護衛四人の十二人。六台の荷車に二頭ずつ繋ぎ、交換用の馬を二頭連れていく。
目的地は八十六キロ先のローデル辺境領。街道の状態が良ければ、三日で着く予定だった。
ガレスは荷台へ積まれた塩、乾燥豆、釘、農具、ランプ油、薬草を順番に確認した。積み方に大きな問題はなく、水樽も二つ用意されている。ただし、荷台の横へ括りつけてある予備輪は一本だけだった。
「三台目と六台目は、ほかの四台より車軸が太いんだな」
「ああ。重い荷を運ぶために、二年前に車体ごと補強した」
ボルクの返事を聞き、ガレスは予備輪の軸穴へ指を入れた。
「これは標準型だ。三台目と六台目には入らない」
ボルクもしゃがみ込み、三台目の車輪と予備輪を見比べた。番号札は六台すべてに対応できるものとして付けられているが、軸穴の幅は明らかに違っていた。
「倉庫番が札を付け間違えたか。標準型は残して、太軸用をもう一本借りてくる。予備輪が二本になる分の重さは、後ろの毛布を二束減らせば収まる」
「毛布は減らさない方がいい。ランプ油を一樽、ローデルの商人へ次便で送れるか確認してくれ。それで重量は足りる」
ボルクは少し考え、商会の帳場へ荷役人を走らせた。ランプ油は急ぎの品ではなく、次の隊商も四日後に出るという。樽一つを降ろし、代わりに太軸用の予備輪と追加の軸油を積むことになった。
「荷車を見てもらいたいという依頼だったが、積荷まで変えられるとは思わなかった」
「決めるのはあんただ。俺は、途中で止まる可能性を伝えただけだ」
「そのくらいの距離感なら、こっちも仕事がしやすい」
確認を終えたガレスは、護衛契約へ目を通した。掲示されていたとおり、賃金が支払われるのはローデルまで。帰路の護衛は保証されていない。
一方、ボルクたちはローデルで羊毛と木炭を積み、同じ街道を戻る予定になっている。
「帰りの護衛料は、まだ荷主と決めていないのか」
「向こうの荷主は安く済ませたがっている。俺たちの運賃は決まっているが、護衛まで雇うかは到着後に相談することになっている」
「護衛なしで羊毛を運ぶつもりは?」
「ない。荷を奪われれば、俺の信用も一緒に消える。向こうが払わなければ、俺の運賃から通常相場分は出す。それでどうだ」
ボルクには復路の雇い主を決める権限こそないが、自分の取り分から最低額を保証することはできる。ガレスが条件を受け入れると、ボルクはその内容を契約書へ書き加え、エルナとガレスが確認の署名をした。
太軸用の予備輪が届き、六台の荷車が東門を出たのは、予定より半時間ほど遅い時刻だった。
先頭をボルクの荷車が進み、その近くにエルナがつく。ラズとニコは三台目と四台目の間を歩き、ガレスは最後尾を受け持った。
進む速度はボルクが決めた。街道のぬかるみと馬の状態を見て、初日の行程を二十七キロに抑えている。途中、四台目の左馬が後脚をかばい始めると、ボルクは悪化する前に交換用の馬と入れ替えた。外した馬に腫れや傷はなく、無理をさせなければ翌日には戻せる程度だった。
夕刻、隊商は街道沿いの野営地へ入った。ボルクが荷車を緩い弧状に並べ、荷役人が車輪止めと馬の世話をする間、エルナは周囲を一巡して見張りの位置を決めた。
ガレスは水と食料の残量を確認し、四人の護衛が二人一組で休めるよう夜番を組んだ。全員が自分の仕事を理解しているため、声を張り上げて命令する必要はなかった。
二日目の昼前、雨上がりの街道は赤松の林へ入った。
左右の斜面が次第に高くなり、荷車一台分ほどの幅しかない切通しが近づいてくる。先頭を歩いていたエルナが右拳を上げると、ボルクはすぐに手綱を引いた。
「前方の枝が、道へ向けて折られている。風や獣の仕業ではないわ」
エルナは馬から降り、湿った地面に残された靴跡を調べた。右の斜面に四人、左に五人ほどが登った跡があり、切通しの奥にも二人分の足跡が続いている。
「待ち伏せね。こちらに気づかれたと分かれば、すぐ動くはずよ」
「荷車はここで止めるか?」
ボルクが周囲を確認しながら尋ねた。
「ええ。まだ後ろに開けた場所が残っている。先頭と最後尾の荷車を斜めに置いて、左右から馬へ近づけないようにして」
「御者は俺が動かす。二分あれば形になる」
ボルクが声を掛けると、六人の御者は余計な問いを挟まず動き始めた。先頭と最後尾の荷車を外側へ振り、中央の四台を囲うように並べる。荷役人は馬を車列の内側へ寄せ、手綱を短く持った。
エルナは配置が整うまで斜面から目を離さず、護衛三人へ役割を振った。
「ラズとニコは車列から離れず、馬と御者を守って。左の斜面はガレス、右は私が抑える。追撃はしない」
指示が終わるより先に、林の奥で弦の鳴る音がした。
放たれた三本の矢は、先頭の馬と御者を狙っている。ニコが小盾を上げて御者の前へ入り、一矢を受け止めた。残る二本はガレスが起こした横風にあおられ、荷車の側板と路面へ突き刺さった。
斜面に潜んでいた男たちが、一斉に姿を現した。
革鎧や毛皮を身につけた野盗だが、剣や弓の手入れは行き届いている。空腹に任せて旅人を襲う流民ではなく、隊商を選んで待ち伏せている連中だった。
左の斜面から五人が駆け下りてくる。
ガレスは車列から十歩ほど前へ出ると、長槍を両手で構えた。先頭の男が剣を振り上げるより早く間合いを詰め、胸元への突きを寸前で止めて穂先を跳ね上げる。男の剣が大きく弾かれ、返した石突きが顎を打った。
二人目の短槍が横から伸びてきた。
ガレスは柄の中央で受け流し、相手の踏み込んだ脚へ穂先を突き入れた。悲鳴を上げて倒れた男の背後から、斧を持った大柄な男が迫ってくる。
「邪魔だ、どけ!」
怒声とともに斧が振り下ろされた。
ガレスは半歩だけ退いて刃をかわし、長槍の柄で斧を地面へ押さえ込む。そのまま身体を入れ替え、男の脇腹を石突きで打った。革鎧越しにも骨の折れる音が響き、大柄な身体が斜面を転がり落ちていく。
残る二人が同時に左右へ回ったが、足元の土が突風で巻き上がった。視界を奪われた片方の肩を穂先が貫き、もう一人は斜面を駆け上がって林へ逃げ込んだ。
右側では、エルナが三人の野盗を一人で引き受けていた。
長剣を大きく振り回さず、斜面の狭さを利用して相手の剣を外側へ流している。一人の手首を斬り、二人目の膝を蹴って崩すと、最後の一人へ切っ先を向けたまま車列へ近づかせない。
切通しの奥から現れた二人は、車列の反対側へ回り込もうとした。ラズが一人を食い止め、もう一人が馬の手綱へ剣を伸ばす。
ニコは小盾で刃を受けたものの、力負けして膝をついた。それでも持っていた槍を放さず、穂先を相手の腹へ向ける。
「そこで止めろ! 追う必要はない!」
エルナの指示が飛ぶ。
ニコは無理に立ち上がらず、片膝をついたまま槍を突き出した。野盗は手綱へ近づけず、ラズが加勢に入ると林へ逃げていった。
左の斜面から口笛が鳴った。
襲撃者たちは倒れた仲間を置き、木々の奥へ散っていく。ガレスとエルナは追わず、すぐに車列へ戻った。
隊商側に負傷者はいなかった。ニコの盾に矢傷が一つ、先頭の荷車に二本の矢が刺さっていたが、六台の荷車と十四頭の馬はすべて動かせる。
「人十二人、馬十四頭。積荷の封も全部残っている」
人数と馬を確かめたボルクは、御者に車輪と馬具を点検させた。ガレスが手を出す前に、緩んだ荷縄と車体に刺さった矢まで処理されていく。
斜面に倒れていた野盗のうち、一人は死亡していた。三人は生きており、傷口を縛って武器を取り上げれば、荷車へ乗せて運べる状態だった。
ガレスが捕虜の一人へ水を飲ませていると、エルナが隣へ立った。
「後衛を任せられるとは聞いていたけれど、五人を相手にできるとは聞いていなかったわ」
「勇者一行の後衛は、敵が前から来るとは限らない」
ガレスはそれだけ答え、野盗から回収した弓を確かめた。弦の張り方と矢筒の結び目に、王国軍で用いられる手順が残っている。
元兵士が混じっている可能性は高いが、捕虜から話を聞くのはローデルの警備隊に任せればいい。ガレスたちの仕事は、荷を届けることだった。
隊商は周囲を警戒しながら街道へ戻り、三日目の夕刻にはローデル辺境領の宿場へ到着した。
六台分の積荷は一つも失われず、負傷者も出ていない。捕らえた野盗三人を警備隊へ引き渡すと、ボルクは往路分の護衛料を四人へ支払った。
復路の荷主も、襲撃の報告を聞いて護衛の必要性を認めた。ボルクが保証していた通常相場よりわずかに高い条件で、正式な契約が結ばれる。
「羊毛と木炭が揃うまで、五日はかかる。その間に別の仕事をするなら止めないが、戻れない距離へ行くなら早めに知らせてくれ」
ボルクの言葉に、ガレスは了承した。
荷捌き場を出ようとしたところで、エルナが宿場の掲示板から一枚の依頼書を外した。灰鷹砦へ続く旧街道の途中にある村まで、小荷車と十人の村人を護衛する仕事だった。
距離は四十二キロ。出発は二日後。必要な護衛は五人と書かれている。
「私はこれを受けるつもりよ。あなたはどうする?」
ガレスは依頼書を受け取り、荷物の内訳と村人の年齢を確認した。食料や薬の量は書かれているが、水袋や野営道具については記載がない。
「依頼主と、同行する十人に会ってから決める」
「では、先に会いに行きましょう。道のことは私が聞くわ」
エルナはガレスから依頼書を返してもらい、宿場の事務所へ歩き出した。
ガレスも長槍を担ぎ、その後を追った。




