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第51話:疲労を吹き飛ばす琥珀色のビネガードリンク

焼き上がった百二十本もの特製ブラウニーバーが収まる二つの白木箱からは、冷めゆくにつれて凝縮されたビターカカオと発酵バター、そしてルミナスベリーの甘酸っぱい芳香が、静かな台所を温かく満たし続けていた。


だが、栞に一息つく暇はなかった。


壁掛け時計の針は、すでに午後三時を指そうとしている。


北の峡谷で防衛線を張るレオンハルトたち、そして補給路を断たれて飢えと疲労に喘ぐ若い兵士たちの猶予は、一刻一秒を争っていた。


「休んでいる暇はないわ。……次は、渇きと疲労を吹き飛ばす命の水ね」


栞は額に張り付いた髪の毛を手の甲で払うと、土間の涼しい冷暗所に置いてあった、もうひとつの麻袋を作業台の上へと引き上げた。


袋の口を解くと、中から現れたのは、瑞々しい鮮烈なライムグリーンの葉をつけた大量の乾燥ハーブだった。


――『ビタ草』。


先ほど山小屋で力尽きかけていたポムが、前哨基地から必死の思いで飛び立つ際、森の群生地から千切れるほどに抱え込んで持ち帰ってきてくれた、精霊樹の森の特別な薬草だった。


細長い葉の縁には細かなギザギザがあり、指先で葉を軽く擦り合わせるだけで、まるで完熟した柚子(ゆず)と搾りたてのレモン、そして清涼なハッカを同時に弾けさせたかのような、息を呑むほど強烈なシトラスのアロマが鼻腔を突き抜けていく。


アクスベル王国の伝承では、古くから行軍中の兵士がその生葉を噛んで喉の渇きを癒やし、筋肉の強張りを防ぐ万能の疲労回復草として知られていた。


これを、ただ水で煎じるだけではない。


現代の知恵と調味料を掛け合わせ、極限の脱水と疲労困憊に陥った肉体を、内側から強制的に再起動させる「高濃度エナジーシロップ」へと昇華させるのだ。


「まずは、ビタ草のエキスを限界まで濃く抽出する……!」


栞は大型のステンレス深型両手鍋に、古民家の井戸から汲み上げたばかりの清冽な水を六リットル注ぎ、強火にかけた。


湯が沸騰し、大きな泡がゴボゴボと底から湧き上がった瞬間、ザルいっぱいに山盛りにしたビタ草を一気に投入した。


――シュワァァッ……!


熱湯に触れた瞬間、青々としたハーブが鮮やかなエメラルドグリーンへと色を変え、台所一面に、まるで朝露に濡れた柑橘の果樹園に放り込まれたかのような、凄まじいまでの清涼感が爆発した。


立ち上る真っ白な蒸気が、長時間の調理で火照っていた栞の顔を優しく包み込み、鼻を通って肺の奥深くまで染み渡る。それだけで、目の前の霞が晴れ、重たくなりかけていた頭が冴え渡っていくのを感じる。


弱火に落とし、木べらで底から沈めるようにしてじっくりと十分間。


透明だった湯は、ハーブの薬効成分と葉緑素を余すところなく吸い込み、深みのある黄金がかった琥珀色の液体へと煮詰まっていった。


栞は目の細かいシノワ(漉し器)を使い、煮出したビタ草の葉をしっかりと絞りながら漉し分けた。


鍋の中に残ったのは、澄み渡る琥珀色の濃厚な薬草液。


そこへ、すかさず投入されたのが、業務スーパーで仕入れてきた二つの「命の酸」だった。


一本目は、伝統的な壺仕込みで三年以上熟成された『純玄米黒酢』。


一升瓶の栓を抜き、ドクドクと鍋の中へ注ぎ込んでいく。


黒酢の持つ、漆黒に近い深い色合いと、アミノ酸が凝縮された芳醇で重厚な酸の香りが立ち上る。


二本目は、爽快な酸味とフルーティーなキレを持つ『有機純リンゴ酢』。


こちらも惜しげもなく注ぎ入れ、黒酢の重厚さに軽やかな柑橘のようなトップノートを重ね合わせていく。


――ツゥゥン……ッ!


熱された酢の蒸気が、強烈な刺激となって鼻腔をくすぐる。


思わず栞は目を細めたが、咳き込むような不快感は微塵もなかった。ビタ草が持つ天然の柑橘香が、酢の持つツンとした角を完璧に包み込み、まるで上質なクラフトビネガーのような、食欲をダイレクトに刺激する香気へと昇華していたからだ。


「そして、エネルギーの塊……!」


火を極弱火に保ちながら、栞はマークがくれたあの素焼きの壺――『霊蜂(れいほう)の生ハチミツ』を大さじで三杯、そして現代の国産百花蜜を特大ポリ容器から、惜しげもなく丸ごと一本、一・二キロ分を流し込んだ。


黄金色のトロトロとした蜜が、琥珀色の液面へと吸い込まれていく。


さらに、種子島産の未精製きび砂糖を二キロ投入した。


木べらで底をゆっくりと混ぜ合わせる。


――サラサラ、トロリ……。


熱によって蜂蜜と砂糖が完全に溶け合い、鍋の中の液体は、とろりと濃度を帯びた、息を呑むほど美しい「濃密な琥珀色のシロップ」へと仕上がっていった。


クエン酸と酢酸が、激戦で乳酸まみれになった筋肉の疲労物質を急速に分解する。


アミノ酸が傷ついた細胞を修復し、蜂蜜のブドウ糖と果糖が、枯渇した血糖値を即座に、かつ持続的に押し上げる。


そしてビタ草の未知の薬効が、麻痺した自律神経を叩き起こし、戦士たちの心臓に力強い拍動を取り戻させる。


栞は小さなスプーンでシロップを一滴すくい、息を吹きかけて冷ましてから、舌先へと運んだ。


――ッ!!


舌の上に触れた瞬間、パチパチと神経が弾けるような衝撃が走った。


鮮烈な酸味。


けれど、蜂蜜の分厚く優しいコクがその酸味をまろやかに抱き留め、喉を通る瞬間には、ビタ草の涼やかなシトラスの余韻だけが清涼な風のように喉元を駆け抜けていく。


「……完璧。水で三倍から四倍に薄めるだけで、最高のスポーツビネガードリンクになるわ!」


栞は鍋を氷水の張ったタライに浸して急速冷却し、ホームセンターで買ってきた耐熱・耐酸性の広口ウォーターボトル(一リットル容器)十本へと、漏斗を使って手早く充填していった。


カチリ、と密閉キャップを締め上げると、十本の琥珀色のボトルが、まるで魔法のポーションのように美しく作業台の上に居並んだ。


だが、息をつく間もなく、栞の視線は台所の床へと向けられた。


そこには、今回の兵站作戦における「最大最強の重火器」――容量三十リットルの業務用大型ステンレス寸胴鍋が、銀色の巨躯を誇るように鎮座していた。


「さあ……一番のメインディッシュ。男たちの胃袋を芯から叩き起こす、特製ポトフよ!」


栞は腕まくりを二段階高く巻き直すと、ガス台の二口コンロにまたがるようにして、三十リットルの寸胴鍋を据え付けた。


まずは、香りと旨味の土台作りだ。


寸胴の底に、大さじ四杯の太白ごま油を敷き、強火で底面を熱する。


そこへ投入されたのは、業務スーパーで仕入れてきた青森県産の巨大なニンニク十株分――包丁の腹で力任せに叩き潰した大粒のニンニクの山と、高知県産生姜の分厚いスライスだった。


――ジュワワワワッッ!!


熱された油の中で、叩き潰されたニンニクがパチパチと激しい音を立てて爆ぜる。


そして――栞が棚から取り出したのは、二種類のスパイスだった。


ひとつは、ホール(原形)のままの『クミンシード』。


もうひとつは、粗挽きにしたばかりの『ブラックペッパー(黒胡椒)』。


香りを油に移すため、熱せられたニンニクの海の中へ、両手いっぱいのクミンシードを惜しげもなく投入した。


――パチパチパチパチッ!


微細な茶色の種子が、油の中で一斉に弾け飛ぶ。


その瞬間、台所を埋め尽くしたのは、息を呑むほどエキゾチックで、脳の空腹中枢を直接万力で締め上げるような、凶悪なまでのスパイシーアロマだった。


カレーのような、けれどどこか野性味あふれる大地の香り。


そこへ粗挽き黒胡椒のピリッとした刺激的な辛みが混ざり合い、油の煙とともに立ち上る。


「焦げる前に、お肉を投入……!」


巨大な木のまな板の上で、栞は二キロ超の豚バラベーコンの原木ブロック三本を、包丁で豪快に切り分けていた。


薄切りなどではない。


大人の拳(こぶし)の半分ほどもある、四角い巨大な角切り。


赤身の深い紅色と、純白の脂身の層が幾重にも重なった、まさに「肉の塊」。


計六キロを超える角切りベーコンが、寸胴鍋の中へと雪崩を打って落とされた。


――ドサッ! ジュワァァァァァァッッ!!


凄まじい焼き音が寸胴の底から反響する。


強火のまま、長い木べらで底から肉の塊を煽っていく。


ベーコンの表面が香ばしい濃いキツネ色に焼き固められ、自らの上質な豚脂(ラード)がジュワジュワと透明な泡となって底を濡らしていく。ニンニクとクミンの香りを纏った豚肉の脂の匂いは、それ単体で白米が三杯食べられそうなほどの破壊力を持っていた。


肉の表面全体に焼き色がついた絶妙な刹那、栞は野菜の山を投入し始めた。


泥を落とし、皮ごと大きく乱切りにした北海道産人参が五キロ。


芯をつけたまま大きく四つ割りにした玉ねぎが十キロ。


さらに、山小屋の貯蔵庫からポムの案内で持ち帰っておいた、あの異世界の冬越し根菜――カブに似た肉厚で甘みの強い『白玉根(はくぎょくこん)』の巨大な塊。


それらを寸胴鍋の中へ、次から次へと放り込んでいく。


――ドサリ、ドサリッ!


巨大な寸胴鍋の七分目までが、肉と色鮮やかな野菜の塊でぎっしりと埋め尽くされた。


栞は全身の体重を木べらにかけ、底の脂を野菜全体にコーティングするように、力強く炒め合わせた。


野菜の表面に油の膜が張り、玉ねぎの甘い匂いと人参の瑞々しい香りが、スパイスの芳香と混ざり合っていく。


「裏の湧水を……満たす!」


事前に汲んでおいた、あの山小屋の裏手の奇跡の清流水。


ポリタンクから、寸胴の縁ギリギリまで、二十リットル以上の超軟水を惜しげもなく注ぎ入れた。


――ゴボゴボゴボッ……!


澄み切った水が具材の隙間を満たし、表面に黄金色の油の玉がキラキラと無数に浮き上がる。


そこへ、乾燥ローリエの葉を十枚、ブイヨンの塊、そして天然の粗塩をガバッと一掴み投入した。


蓋をして、強火で沸騰を待つ。


十分後。


寸胴の重たいステンレスの蓋が、ガタガタと蒸気圧で激しく暴れ始めた。


栞は耐熱ミトンで蓋を取り、長柄のレードルを構えた。


――ボワッッッッ!!


解き放たれたのは、肉と野菜の旨味が凝縮された、目も眩むような濃密な白い蒸気だった。


表面には、肉から出た灰汁(あく)の泡が盛り上がっている。


栞は迷いのない手つきで、レードルの縁を使ってその灰汁だけを丁寧に、丹念にすくい取っていった。


雑味を徹底的に排除し、純粋な旨味の結晶だけをスープに残すための、料理人の魂の作業。


灰汁を取り終えると、スープは信じられないほど透き通った、黄金色と白濁の絶妙なグラデーションを見せていた。


火を中火の弱火に落とす。


ここから、コトコトと煮込むこと一時間。


ベーコンの繊維はスプーンの腹で押すだけでホロリと崩れるほど柔らかくなり、玉ねぎはスープの中に溶け込んで天然のとろみを作り出し、人参と異世界の根菜は芯まで肉の旨味とスパイスを吸い込んで、黄金色に透き通っていた。


仕上げに、追いスパイスとして粗挽き黒胡椒をさらに大さじ三杯、寸胴全体へパラパラと振り落とす。


ピリリとした辛みが、豚脂の甘みを引き締め、冷え切った内臓を芯から温めるための、計算し尽くされたメシテロの結晶。


味見のためにすくい取ったスープを一口、喉へ流し込む。


「…………っ、あぁ……!」


思わず、栞の口から感嘆の吐息が零れ落ちた。


五臓六腑が、歓喜の悲鳴を上げている。


塩分は、通常の家庭料理よりも意図的に二割ほど強くしてある。


汗を流し、血を流し、泥水をすすって戦う兵士たちの失われた塩分を急速に補うための、力強い塩気。


そこへ、豚肉の重厚なコクと、野菜の優しい甘みが怒涛の勢いで押し寄せ、クミンの爽快な刺激が胃袋をカーッと熱く燃え上がらせる。


これなら、何日も凍える泥の中で乾パンを齧っていた兵士たちでも、一口啜るだけで全身に熱い血が巡り、生きる実感を噛み締めることができるはずだ。


「よし……! パッキングよ!」


栞は作業台の上に、あのホームセンターで買ってきた業務用ポータブル真空パック機を設置した。


耐熱・耐冷凍の頑丈なナイロンポリ袋(大サイズ)を次々と広げる。


寸胴から、巨大な角切りベーコンが二個、ゴロゴロとした根菜がたっぷり入るように具材をすくい取り、そこへ熱々の濃厚スープを並々と注ぎ入れる。


一袋あたり、優に七百ミリリットル。


一人がこれ一袋を平らげれば、一食分として十二分すぎる熱量と栄養を摂取できるボリュームだ。


袋の開口部を真空パック機のノズルに挟み込み、レバーを押し下げる。


――ヴィィィィィン……ジュゥゥッ!


強力なポンプが袋の中の空気を一瞬で吸い出し、スープの表面がピチピチと密着する。


次の瞬間、電熱線が赤い光を放ち、分厚いフィルムを完璧に熱溶着(シーリング)した。


――パチン。


完成したのは、市販の高級レトルトパックを遥かに凌駕する、頑丈で漏れのない「特製ポトフの真空パック」。


百度の沸騰湯煎にも耐え、泥の中に落としても中身は一切汚れない。


栞は休む間もなく、袋詰めとシーリングを繰り返した。


一袋、五袋、十袋、二十袋……三十袋。


三十リットルの寸胴鍋が空になる頃、作業台の上には、熱気を放つ特製ポトフの真空パックが、整然と山を築いていた。


栞は用意していた大型高断熱クーラーボックスの蓋を開け、底に断熱シートを敷き詰めると、熱々のポトフパックを隙間なく詰め込んでいった。


密閉蓋を閉め、バックルをガチンとロックする。


これならば、何時間経とうと、氷点下の吹雪の中に置かれようと、中身は熱々のまま保たれる。


時計を見ると、時刻は午後五時を回っていた。


外の秋の日はすでに沈みかけ、山あいの集落には夕暮れの帳が下り始めている。


「……できたわ」


作業台の上に並んだ、すべての成果物。


百二十本の特製ブラウニーバーが詰まった白木箱が二箱。


十本の特製ビネガードリンクが詰まったボトルケース。


三十袋の熱々ポトフが詰まった、巨大な高断熱クーラーボックス。


総重量は、優に八十キロを超えていた。


とても、小柄な女性一人が抱えて森の獣道を歩ける重量ではない。


けれど――栞の瞳に、迷いはなかった。


「ポムが……待っているものね」


栞は土間の引き戸を閉め、愛車の鍵を置くと、母屋の土間の奥――あの欅の板戸の前へと戻った。


真鍮の鍵を差し込み、回す。


――カチャリ。


扉を開けると、そこには、数時間前と同じ、薄暗い山小屋のリビングが広がっていた。


栞は古民家と山小屋を何往復もして、重たい木箱、ボトルケース、そして巨大なクーラーボックスを、山小屋のテラスの手前へと運び込んだ。


最後のクーラーボックスを運び終え、膝をついて息を切らしていた栞の耳に――。


――ピィッ! ピキャッ!!


テラスのカーテンの隙間から、弾けるような歓喜の声が響いた。


「ポム……!」


振り返ると、そこには、ソファの上で丸くなっていたはずの小さなピクシーが、元気に宙を舞っていた。


栞が与えた砂糖水と、毛布の温もりが効いたのだろう。


焼け焦げていた薄羽の先端からは、淡い緑色の柔らかな燐光が立ち上り、欠損していた羽の縁を優しく修復し始めている。


ポムは山小屋の中に満ち満ちた、香ばしいカカオの匂い、爽快なシトラスビネガーの香り、そして何より、クーラーボックスから漏れ出る濃厚なポトフの肉とスパイスの湯気に、琥珀色の瞳をこれ以上ないほど見開いていた。


小さな鼻をヒクヒクと動かし、両手を胸の前で合わせて、信じられないものを見るように栞の顔を見つめている。


「ポム、約束通り……全部、作ってきたわよ」


栞が息を整えながら微笑みかけると、ポムは空中で激しく二連宙返りを決め、感涙にむせぶように栞の頬へ飛びついてきた。


小さな両手で栞の首筋をぎゅっと抱きしめ、頬ずりをしてくる。


けれど、ポムの視線が、床に置かれた巨大なクーラーボックスと木箱の山へと落ちた瞬間、その小さな眉がキュッと引き締まった。


どう見ても、人間一人が運べる重さではない。


ポムは空中で静止すると、小さな両腕を胸の前で交差させ、真剣そのものの表情で精神を集中させ始めた。


――ファァァァッ……。


ポムの四枚の薄羽から、目も眩むようなエメラルドグリーンの光の粒子が、吹雪のように溢れ出した。


ポムが小さな手を掲げ、床の木箱とクーラーボックスへと向けて、ふわりと一回転する。


光の粒子が、荷物全体を包み込むように渦を巻いた。


――フワリ……。


その瞬間、床にめり込むように置かれていた八十キロを超える荷物たちが、まるで重力から切り離されたかのように、床板から数ミリだけ微かに浮き上がったのだ。


「……えっ!?」


栞が驚いてクーラーボックスの取っ手を持ち上げてみる。


――軽い。


信じられないほど軽い。


三十リットルのスープが入っているはずの巨大な箱が、まるで発泡スチロールの空箱を持ち上げているかのように、指先ひとつで軽々と持ち上がったのだ。


風の精霊魔法による、極限の重量軽減。


ポムは得意げに胸をポンと叩き、「ピピィッ!」と誇らしげに羽を打ち鳴らしてみせた。


「ありがとう、ポム……! これなら、走ってでも運べるわ!」


栞は勝負エプロンの紐をもう一度強く結び直した。


黒髪のサイドには、レオンハルトの星屑のヘアピンが、夕暮れの光の中で青白く凛と瞬いている。


軽くなった木箱を両脇に抱え、背負い紐をかけたクーラーボックスを背中に背負う。


ポムが先頭に立ち、テラスの掃き出し窓のカーテンを押し開けた。


外は、黒煙のたなびく、薄暗い夕闇の原生林。


遠くの北の空からは、依然として地鳴りのような魔獣の咆哮が響き続けている。


けれど、栞の瞳に、恐れは微塵もなかった。


「行きましょう、ポム。……みんなのところへ!」


夕風を切り裂き、栞は小さなメッセンジャーに導かれながら、愛する人たちが待つ前哨基地へと向かって、力強く大地を蹴り出した。

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