↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/60

第36話:具だくさんキッシュと、若い兵士たちの歓声

山小屋のキッチンスペースに立つと、テラスから吹き抜けてくる初夏の風が、リネンエプロンの裾を優しく揺らした。


テラスの欅(けやき)の一枚板のテーブルでは、ダミアンを筆頭に、怪我を負ったリュカとマークの三人が、まるで遠足の前夜の子供のようにソワソワと身を乗り出している。ポムはダミアンの赤毛の頭の上にちょこんと陣取り、兵士たちの落ち着かない様子を面白そうに眺めていた。


「よし……あの子たちの胃袋を、芯から満たしてあげなきゃね」


栞は小さく息を吸い込み、クーラーバッグの蓋を開けた。


今回のお昼ご飯の主役に選んだのは、フランスの伝統的な家庭料理であり、カフェの看板メニューとしても不動の人気を誇る――『キッシュ・ロレーヌ』。


卵と生クリームの濃厚なコク、香ばしいバターのパイ生地、そしてたっぷりの具材。


サクサクとしたパイの歯触りと、プリンのようにふるふると柔らかい卵の層は、固いものを噛む力すら落ちている療養中の兵士にとって、これ以上ないほど優しく、かつ圧倒的な滋養をもたらしてくれるはずだ。


まずは、土台となる生地の準備から取りかかる。


クーラーバッグから取り出したのは、古民家の冷凍庫から保冷剤とともに持ち込んできた、四角い冷凍パイシート。


常温の空気に触れさせ、指で押すとわずかに沈む程度の絶妙な半解凍状態に戻す。


木製ののし板の上に打ち粉を薄く振り、麺棒を滑らせていく。


――スッ、スッ、スッ……。


冷たい生地が心地よい抵抗感を伴いながら四方へと均一に伸び、厚さ三ミリほどの滑らかな円形へと広がっていく。幾重にも折り込まれたバターの層が、室温でダレてしまわないよう、手早く、迷いのないストロークで伸ばし切るのが最大のコツだ。


続いて取り出したのは、祖父の愛用品だった直径二十二センチの重厚な鋳鉄製スキレット。


長年使い込まれ、黒々とした艶を帯びた鉄肌の内側に、刷毛で薄くバターを塗り広げる。


その上へ、伸ばしたパイ生地をふわりと被せ、指の腹を使ってスキレットの角の隅々まで密着させていく。縁からはみ出た余分な生地をナイフの背で滑らかに断ち落とし、底面全体にフォークの先をリズミカルに突き刺してピケ(空気穴)を開けた。


――トントン、トントン……。


これで、焼成中に底が蒸気で浮き上がるのを防ぎ、下火をしっかりと吸い込ませることができる。


「土台はこれでよし。次は、具材ね」


まな板の上に並べたのは、彩り豊かな三つの食材たちだった。


ひとつめは、現代のスーパーで仕入れてきた、見事な厚切りブロックベーコン。


包丁を握り、大人の小指ほどの太さ――贅沢な拍子木切りに刻んでいく。赤身と純白の脂身が交互に美しく重なり、包丁の刃が通るたびに、スモークの芳醇な燻煙香がふわりと立ち上った。


ふたつめは、葉の縮れが強く、葉脈が浮き出るほど肉厚な冬越し縮みほうれん草。


寒さに耐えて糖度を極限まで蓄えた濃い深緑の葉を、熱湯でさっと三十秒だけ潜らせ、すぐに裏の清流の冷水に落として色止めをする。水気をぎゅっと絞り、四センチ幅のざく切りに揃えた。


そして――みっつめが、この森の特別な恵みだった。


「ポムが教えてくれた、あのキノコ……本当に立派ね」


朝のうちに、山小屋の裏手の倒木から採取しておいた、異世界の野生キノコ――『肉厚傘茸(かさたけ)』。


大人の手のひらほどもある大きな傘は、ベルベットのような深い褐色をしており、軸はエリンギのように太く引き締まっている。


下茹でをしてアクを抜き、縦にスライスすると、まるで上質なポルチーニ茸のような、森の湿り気とナッツの香ばしさを併せ持った芳醇な山の香りが、まな板一面に満ち満ちた。指で押すとプリプリと押し返してくるほどの凄まじい弾力がある。


カセットコンロに火を点け、鉄のフライパンを強火で予熱する。


油は引かない。


そこへ、拍子木切りの厚切りベーコンを一気に投入した。


――ジュワワワッッ!!


静かなキッチンに、激しい焼き音が響き渡る。


ベーコンの断面がこんがりとした濃いキツネ色に染まり、自らの上質な脂がジュワジュワと透明な泡となってフライパンの底を濡らしていく。


香ばしい豚肉の脂の香りが立ち上ったベストなタイミングで、スライスした野生キノコとほうれん草を投入した。


――ジャァァァッ!


木べらをリズミカルに動かし、ベーコンから溶け出した極上のラードを、キノコとほうれん草の繊維の奥深くまで吸わせるように炒め合わせる。


キノコの表面に油がコーティングされてツヤツヤと輝き、ほうれん草の深緑が鮮やかに冴え渡る。


仕上げに、粗挽きの黒胡椒をガリガリと豪快に振りかけ、軽く塩を振って火を止めた。


そのままバットに広げ、粗熱を取る。


熱いまま生地に乗せてしまうとパイのバターが溶けてサクサク感が損なわれるため、ここでも丁寧に温度を管理する。


その間に、キッシュの命となる『アパレイユ(卵液)』の調合だ。


大きなホーローのボウルに、新鮮な平飼い卵を三個、割り入れる。


泡立て器を持ち、白身をすくい上げるようにして手早く、均一にほぐす。泡を立てすぎないよう、滑らかな液状に整えるのが口当たりを滑らかにする秘訣だ。


そこへ、乳脂肪分四十五パーセントの濃厚な生クリームを百ミリリットル、そして成分無調整の牛乳を百ミリリットル。


純白の乳脂肪が卵の黄色と混ざり合い、淡く美しいカスタードイエローの海が広がる。


さらに、小さじ半分の塩、白胡椒、そして焼き菓子の風味を決定づけるスパイス――ナツメグを、親指と人差し指でひとつまみ、パラパラと擦り落とした。


そして、決め手となるチーズの投入。


栞は小さなチーズグレーター(おろし器)を手に取り、手のひら大のパルミジャーノ・レッジャーノのハードチーズの塊を、ボウルの真上ですりおろし始めた。


――サリサリ、サリサリ……。


細かな雪のように、純白のチーズの粉がボウルの中へ降り注ぐ。


熟成されたアミノ酸の結晶が放つ、濃厚でナッティな香りが鼻腔をくすぐる。


泡立て器で全体を静かに底から混ぜ合わせると、とろりと重みのある、至高のアパレイユが完成した。


「よし……組み立てよう!」


パイ生地を敷き込んだ冷たいスキレットの底へ、まずは粗熱の取れた炒め具材を、惜しげもなくぎっしりと敷き詰めていく。


香ばしく焼き色がついた厚切りベーコン、森の香り豊かな肉厚キノコ、鮮やかな縮みほうれん草。


彩り豊かな具材の隙間を埋め尽くすように、黄金色のアパレイユを、レードルで静かに注ぎ入れていった。


――トトトトト……。


卵液が具材の波間を滑らかに満たし、スキレットの八分目までたっぷりと行き渡る。


最後に、表面全体へと、さらなる追いチーズ――シュレッド状のモッツァレラとゴーダのミックスチーズを、雪崩のように山盛りにトッピングした。


このチーズが焼成中に溶けて表面を覆い、香ばしいキツネ色の焼き色と、とろける蓋の役目を果たしてくれるのだ。


「あとは……じっくり焼き上げるだけね」


栞は両手に厚手の耐熱グローブをはめると、具材でずっしりと重くなったスキレットを持ち上げた。


テラスの脇に設えた安全な焚き火スペース。


そこには、先ほどから熾(おこ)しておいた樫の薪の熾火(おきび)が、真っ赤に静かに熱を蓄えていた。


五徳の上にスキレットを据え、その上から、ぴったりと重なる鋳鉄製の重い蓋を被せる。


さらに、火ばさみを使って、炉の底から真っ赤に発熱した炭をいくつか拾い上げ、蓋の上へと等間隔に配置していった。


上火と下火の挟み撃ち。


密閉された鋳鉄の空間の中で、遠赤外線が四方八方から均一に降り注ぎ、家庭用のオーブンを遥かに凌駕する力強い熱循環が生み出される。


――チリチリ、パチパチ……。


数分も経たないうちに、スキレットの隙間から、微細な熱の気泡が弾ける音が響き始めた。


そして――。


――フワァッ……!


蓋のわずかな蒸気口から、熱い白い湯気がシュウシュウと勢いよく噴き出した。


その蒸気に乗ってテラス一面へと広がったのは、まさに暴力的としか言いようのない、濃厚で甘やかな芳香だった。


パイ生地から溶け出した上質な発酵バターが、熱せられて放つ甘く香ばしいナッツのアロマ。


厚切りベーコンのスモークの塩気と、豚脂が焼ける野性的な匂い。


森の野生キノコが熱を帯びて放つ、深く芳醇な土と木々の気品ある香り。


そして何より――表面のチーズと卵液が一体となって焼き固められていく、焦がしチーズ特有の、濃厚極まりない多幸感あふれる匂い。


「…………っ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


テラス席から、ダミアンの悶絶するような叫び声が上がった。


両手でテーブルの端を力任せに掴み、椅子から立ち上がって鼻の穴を限界まで広げている。


「な、なんですかこの匂い……! バター!? 肉!? チーズ!? 全部が混ざって……俺の鼻から脳みそへ直接殴り込みをかけてくるっすよ!!」


怪我をしていたはずのリュカとマークも、先ほどまでの痛々しい遠慮など完全に消し飛んでいた。


「す、すげえ……! こんな良い匂い、嗅いだことない……!」


「腹が……腹が鳴りすぎて、胃袋が破裂しそうっす……!」


リュカは吊られた右腕を庇うのも忘れ、マークは副木を当てた足をガタガタと震わせながら、スキレットから立ち上る白い蒸気を血走った瞳で見つめていた。


二人のお腹から、雷鳴のような盛大な虫の音が交互に鳴り響く。


ポムもダミアンの頭の上でピョンピョンと跳ね回り、「早く食わせろ!」とばかりに羽をパタパタと激しく羽ばたかせていた。


時計の針を見つめながら、栞は火加減を微調整し、待つこと二十分。


熾火の熱がパイの底をカリカリに焼き締め、上火の炭が表面のチーズを完璧にキャラメリゼしたことを、鼻孔をくすぐる微かな香ばしさの変化が教えてくれた。


「……よし、焼けた!」


栞は火ばさみで蓋の上の炭を払い落とすと、厚手の耐熱ミトンで重たい鋳鉄の蓋の取っ手を掴んだ。


テラスの三人が、息を呑んで静まり返る。


栞はゆっくりと、真上に向かって蓋を持ち上げた。


――ボワッッッッ!!


テラス全体を覆い尽くすほどの、真っ白で濃密な熱気が解き放たれた。


立ち込める湯気が風に撫でられて晴れゆく中、スキレットの内部が白日の元に晒される。


「………………ッッッ!!」


若い兵士たちの口から、言葉にならない息を呑む音が重なった。


そこに鎮座していたのは――息を呑むほど美しく、黄金色に焼き上がった、巨大な円形のキッシュだった。


表面を覆い尽くすチーズは、完璧なまだら状のキツネ色の焦げ目をまとい、縁のパイ生地は幾重もの層を花びらのように広げて、サクサクと黄金色に立ち上がっている。


中心部はオーブンの熱を含んでふっくらとドーム状に盛り上がり、表面の割れ目からは、熱々とろとろのアパレイユが、まるで溶岩のようにポコポコと小さな気泡を弾かせながら、湯気を立ち上らせていた。


赤身のベーコンの鮮やかな赤、縮みほうれん草の濃い緑、そして大振りのキノコの褐色が、黄金のチーズの海の中から顔を覗かせ、息を呑むようなコントラストを描き出している。


「うわぁ……すごく綺麗に焼けた……!」


栞自身も思わず声を弾ませた。


まな板の上にスキレットを移し、長刃のブレッドナイフを取り出す。


放射状に八等分すべく、ナイフの刃先を、黄金色のキッシュの真ん中へと静かに当てた。


そして――体重をかけて、刃を押し下げる。


――ザクッッッッ!!


テラスの静寂を切り裂く、凄まじいまでの破断音。


幾百重にも折り重なったパイ生地が、まるで極上のパイ菓子のように、心地よい乾いた音を立てて砕け散った。


刃が底へと達した瞬間、切り口から――。


――フワァァァァッッ!!


閉じ込められていた熱い蒸気とともに、パルミジャーノと生クリームの濃厚極まりない芳香が、爆風のように四方へと溢れ出した。


断面が露わになる。


外側のサクサクとしたパイの殻の内側に抱かれていたのは、信じられないほどきめ細かく、ふるふると柔らかそうに揺らめく、淡い黄色の卵とチーズの層だった。


熱で溶け崩れたゴーダとモッツァレラが、切り口からトローリと糸を引いて溢れ出し、大振りのベーコンとキノコが断面から今にも転がり落ちそうになっている。


栞はケーキサーバーを滑り込ませ、先ほどマークたちがくれた、あの削り出しの特製木皿の上へと、大振りのキッシュを二切れずつ盛り付けていった。


滑らかな木肌の上に、湯気を立てる黄金色のキッシュ。


木皿の温もりと手作りの料理が、まるで最初からそうあるべきだったかのように、完璧な調和を見せていた。


仕上げに、彩りのパセリを散らし、黒胡椒をひと挽き。


さらに、昨夜の残りのセレス草のドライハーブをさっと煮出した、爽やかな清流の温茶を、人数分のマグカップへと注ぎ分けた。


「お待たせしました!」


栞は両手に皿を持ち、テラスのテーブルへと運んだ。


「森の恵みと厚切りベーコンの具だくさんキッシュです。焼き立てで熱々ですから、気をつけて召し上がってくださいね」


木皿がテーブルの上に置かれた瞬間、三人の視線は完全にその皿へと釘付けになった。


目の前で揺らめく湯気。


サクサクと音を立てそうなパイの層、ふるふると震える卵液、そして糸を引いてとろけるチーズ。


「こ、これを……俺たちが食っていいんすか……?」


リュカが震える声で呟いた。


「砦の塩水スープじゃなくて……こんな……王都の高級レストランの貴族様が食べるような、眩しい料理を……?」


「ふふ、皆さんがくれたクルミやハチミツや木皿の、正式なお代ですからね。遠慮なくどうぞ!」


栞が微笑むと、ダミアンが待ちきれないとばかりにフォークを握りしめた。


「よし! シオリさんの真心、一粒残さずいただくぞ! いただきますッッ!!」


「「いただきますッッ!!」」


若き兵士たちの声が揃った。


リュカは怪我をしていない左手で不器用ながらフォークを構え、マークは太い指でフォークを握りしめ、皿の上のキッシュの先端へと突き入れた。


――スッ……。


一切の抵抗なく、フォークがふるふるとした卵の層へと沈み込んでいく。


そして、底のパイ生地に達した瞬間、――サクリ、と小気味よい音が鳴った。


一切れを大きく切り取り、息をフーフーと吹きかけながら、大口を開けて口の中へと放り込む。


その瞬間だった。


「………………ッッッッッッ!?!?」


三人の身体が、まるで同時に雷撃でも撃ち込まれたかのように、ビキビキと硬直した。


咀嚼。


まず口蓋を打ったのは、外側のパイ生地の、信じがたいほどの軽快な食感だった。


ハラハラと幾重にもほどけていく繊細な層。噛むたびに、発酵バターの芳醇なミルクの香りと香ばしさがジュワッと染み出してくる。


そして――そのパイの殻を突き破った瞬間に押し寄せてきたのは、奇跡のような柔らかさだった。


「な……な、なにこれぇぇぇぇっ!?」


リュカが目を見開き、信じられないとばかりに叫び声を上げた。


「柔らかい……! なにこれ、すっごく柔らかいっすよ! 歯で噛む必要すらない! 舌の上で……プリンみたいに、とろとろに溶けていく……!」


生クリームと平飼い卵、そして奇跡の湧水が織りなすアパレイユは、熱を通されてなお限界ギリギリの水分をたたえ、極上の茶碗蒸しやカスタードクリームのように、ふるふると滑らかに崩れ去っていく。


そこへ、怒涛の勢いで押し寄せてくるのが、具材たちの力強い旨味の奔流だった。


「うわっ……! チーズが……チーズがめちゃくちゃ溶けてる!」


マークが口の端から伸びるチーズを手で慌てて受け止めながら、涙目でハフハフと熱い息を吐き出した。


「パルミジャーノの濃いコクと、ビヨーンって伸びるチーズの塩気が……たまんねえ! それにこの肉、ベーコンが分厚くて、噛むと脂がジュワッと溢れてくる……! キノコもプリップリで、噛むたびに森のいい匂いが口いっぱいに広がるっすよ!」


「うめぇぇぇぇっ! やっぱりシオリさんのメシは世界一だぁぁぁっ!!」


ダミアンはもはやフォークを動かすスピードすら追いつかず、最後は一切れを手掴みで持ち上げると、大きな口でバクリと豪快にかぶりついた。


サクサクのパイの破片を口の周りに飛ばしながら、熱々の卵とチーズの層を無我夢中で咀嚼し、喉をゴクゴクと鳴らして胃袋へと送り込んでいく。


怪我の痛みなど、彼らの意識から完全に消え去っていた。


何日間も、冷たく硬い乾パンを水でふやかして喉に詰まらせ、味のない塩水スープに耐え忍んできた彼らにとって、この熱々で、柔らかく、濃厚な脂質とタンパク質とビタミンに満ちたキッシュは――五臓六腑の細胞のひとつひとつに直接染み渡る、本物の命の雫そのものだった。


「うまい……うまいっす……!」


リュカの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ち、木皿の上にポトリと落ちた。


「俺……右腕を魔獣に噛まれた時、もう剣を握れなくなるんじゃないかって、ずっと怖くて……砦の暗いベッドの中で、毎晩震えてたんです……。でも……こんなに温かくて美味しいものを食べたら……なんだか、身体の底から力が湧いてきて……俺、絶対に治せるって……また剣を振れるようになるって、思えてきました……!」


「リュカ……」


マークもまた、鼻を赤くしながら、フォークの動きを止めずに力強く頷いた。


「俺もだ……! この足の骨、絶対に早くくっつけてやる……! こんな美味い飯を作ってくれるシオリさんのいるこの森を……俺たちの手で、命がけで守らなきゃいけないんだからな……!」


ふたりの若い兵士の言葉に、ダミアンも目頭を押さえながら、力強く二人の肩を抱いた。


「おうよ! お前ら、しっかり食え! 残さず食って、さっさと完治して現場に戻ってこい! 隊長も俺も、お前らの帰りを待ってんだからな!」


「「はいっっ!!」」


三人は競い合うように、奪い合うようにして皿へと向かった。


二切れあった大振りのキッシュは、あっという間に彼らの胃袋へと消え去った。


さらに、皿の上に落ちた細かなパイの破片すら惜しいとばかりに、指先を舐め、木皿の底を指の腹で丁寧に拭って、最後の一粒まで余すところなく口へと運んでいく。


あっという間に、三つの木皿の上には、チリひとつ残っていなかった。


新品の木皿は、まるで丁寧に磨き上げられたかのように、ピカピカに輝いていた。


「…………ぷはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


ダミアンがセレス草の温茶を一気に飲み干し、テラスの丸太ベンチの背もたれへと深々と身体を預けた。


リュカもマークも、満腹になったお腹を両手でさすりながら、椅子の上でだらりと脱力している。


その顔には、先ほどまでの青白さや憔悴は微塵も残っていなかった。


血色が鮮やかによみがえり、頬はリンゴのように赤く染まり、瞳には生命の力強い輝きが爛々と宿っていた。


木漏れ日が、満ち足りた三人の笑顔を優しく照らし出している。


ポムが空中で嬉しそうにくるくると舞い、三人の頭の上へキラキラと淡い光の粉を降らせていた。


空になった三つのピカピカの木皿をトレイにまとめながら、栞は胸元に手を当てた。


トクン、トクンと、心臓の奥底から温かな熱が湧き上がってくる。


――嬉しい。


涙が出そうになるほど、純粋で、温かな喜び。


かつてオフィスにいた頃、栞が身を粉にして働いても、返ってくるのは「やって当たり前」という無関心か、さらなる理不尽な押し付けばかりだった。自分の時間が誰の役に立っているのかも分からず、ただ命をすり減らしているだけの虚無感。


けれど今、目の前で起きていることは違った。


自分の手で選び、自分の手で火にかけ、心を込めて焼き上げた料理が。


傷つき、挫けかけていた若い兵士たちの身体を温め、その瞳に「生きる力」と「明日への希望」を灯したのだ。


美味しいものを食べることで、人は前を向くことができる。


笑顔を取り戻し、優しく、強くなることができる。


祖父の遺品整理ノートの片隅にあったあの言葉の真実が、今、確かな温もりとなって栞の全身を満たしていた。


初夏の風が吹き抜け、軒下のセレス草のブーケが心地よい香りを散らす。


山桜の看板が木漏れ日を浴びて誇らしげに揺れる中、栞の心は、この森のカフェの店主として、そして誰かの止まり木となる人間として、どこまでも澄み切った充実感に満たされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。