初級ダンジョンで本気の無双!
その日の午後、俺は地元・船橋の初級ダンジョン『習志野ゲート』の前に立っていた。数日前、ゴブリン一匹に追い回されて逃げ帰った場所だ。
けれど今は、あのときの恐怖がない。異世界でのレベルアップと同期した五体には、驚くほど淀みなく力が満ちていた。
「よし、始めるか」
スマートフォンを自撮り用の浮遊ドローンモードに設定し、配信アプリを起動する。配信タイトルはあらかじめ決めていた。
【給料ハロワ基準】今日から本気で初級ダンジョン無双する【底辺配信者】
すぐに、いつも俺を監視しては叩きにくる固定のアンチ兼視聴者、わずか3人が入室してくる。
だが、画面に俺の姿が映った瞬間、コメント欄が猛烈な勢いで流れ始めた。
『……は?』
『誰だよお前!?!?!?』
『配信アカウント間違えてますよイケメンさん。ここは底辺のモブおっさんのチャンネルです』
『え、マジで誰? 中の人変わった??』
「いや、本人だけど。ハロワ基準の中小企業に勤めてる、いつもの俺だよ。今日から本気出すってタイトルに書いただろ。行くぞ」
『声は確かに本人なんだがw』
『何があったらそんな顔になるんだよ』
『整形? それとも加工?』
「まあ、ちょっといろいろあってな」
苦笑しながら答え、俺はダンジョンの薄暗い通路へと足を踏み入れた。
◇
しばらく進むと、ゴブリンが二匹現れた。一匹は錆びた短剣、もう一匹は木の棒を握っている。こちらを見つけるなり、奇声を上げて突っ込んできた。
「はいはい」
最初の一匹の攻撃を横へかわし、そのまま剣を振るう。一撃で倒れた。木の棒を振り回す二匹目も、攻撃の届かない位置へ移動してから仕留める。
ゴブリンは力も速度も大したことはないが、油断すると集団で襲ってくる。そこだけ気をつければ、対処しやすい魔物だ。
『え、今の一撃で倒した?』
『いつもなら逃げ回ってた相手だよな?』
『動きまで別人みたいになってるぞ』
「以前とは違うんだよ」
魔石と使えそうな素材を拾い、身体の陰でこっそりインベントリへ収める。
『ん? 今、素材どこにしまった?』
『手品?』
『カメラの死角かな』
「収納ポーチだよ。ちょっといいやつを手に入れたんだ」
嘘は、これで一つ増えた。胸の奥が少しだけ痛んだが、今は考えないことにする。
そのまま別の通路へ向かおうとしたとき、奥の方から激しい金属音と人の声が聞こえてきた。
「くっ、まだ来るのか!」
「後ろにも回り込まれています!」
誰かが戦っている。
俺は足を止め、周囲を警戒しながら音のする方へ向かった。曲がり角の手前で様子をうかがうと、少し広い通路の奥に、四人の探索者が見えた。
四人は、通路が分かれる場所を利用して防御陣形を作っていた。盾を構えた大柄な男性が前で敵を受け止め、剣を持った女性が敵を倒し、後方では魔法使いらしき男性が魔法を放つ。もう一人の女性は、負傷者を支えながら仲間を助けている。連携は悪くない。
ただ、数が多すぎた。通路の奥にある小部屋から、ゴブリンが次々と湧き出している。巣になっているのかもしれない。倒しても倒しても数は減らず、盾役の腕は鈍り、魔法使いの魔力も底をつきかけていた。後ろ側の通路からも数匹が迫り、撤退さえ難しくなっている。
「ユイさん、魔力がもうほとんど残ってません!」
「分かった! 無理に魔法を使わなくていい! 盾役の交代はできそう?」
「まだいける! でも、そろそろ厳しい!」
「回復薬も使い切りました。負傷した腕も、これ以上は動かせないと思います!」
支援役の女性が悔しそうに答える。
彼らは無理に突っ込んでいるわけではない。負傷者を守りながら、少しずつ敵を減らそうとしている。苦戦しているのは、実力が足りないからではない。長く戦いすぎたせいだ。
『おい、あの数はまずいぞ』
『四人ともかなり消耗してるな』
『助けに行くのか?』
このままでは、いずれ防御が崩れる。
「加勢しよう」
俺は剣を抜き、後方の通路へ回った。
◇
後方から迫っていたゴブリンは三匹。前方の戦闘に気を取られて、こちらに気づいていない。
一番後ろの一匹との距離を詰め、振り返るより早く斬り伏せる。残りの二匹が奇声を上げて振り向いた。
「こっちにいるぞ!」
錆びた剣を振り上げた一匹の攻撃を、半歩だけ横へかわして剣を返す。横から飛びかかってきたもう一匹は、身体を低くして避け、足元を払った。転倒したところへ、最後の一撃を加える。
三匹を倒すのに、ほとんど時間はかからなかった。
『もう三匹倒したのかよ』
『さっきから動きがおかしいぞ』
『剣術経験者ってレベルじゃないだろ』
コメントを横目に、探索者たちの側面へ回り込んで声をかける。
「大丈夫ですか! 後ろのゴブリンは倒しました!」
剣を持った女性が、驚いたように振り返った。
「えっ?」
「後ろは俺が引き受けます。前の敵に集中してください!」
「危険です! 一人で無理をしないで!」
前衛の男性が叫んだ。
「大丈夫です。まずは陣形を立て直してください!」
目の前には、まだ十数匹のゴブリンがいる。けれど、全部を正面から相手にする必要はない。重要なのは、敵を一度に相手にしないことだ。
「通路を少しずつ下がってください! 敵を広い場所に誘い込まない方がいいです!」
「分かりました! みんな、一度に前へ出ないで! この人の指示に合わせて位置を変えて!」
女性は、迷いなく仲間に声をかけた。この人がリーダーなのだろう。
通路の形と、ゴブリンが出てくる小部屋の位置を確認する。ここなら、ゴブリンは横に広がれない。ただ、小部屋からは増援が続いている。目の前の群れと、奥から来る後続を分断できれば、戦いは格段に楽になる。
剣だけで戦い続けても、時間がかかる。なら、魔法で戦況を変えよう。
「少し下がってください。大きな魔法を使います!」
「魔法ですか?」
「はい。炎が広がるので、こちら側から離れてください!」
味方が十分に距離を取ったのを確かめてから、両手を前にかざした。魔力を集める。イメージするのは、小部屋の出入口を塞ぐ、巨大な炎の壁。味方を巻き込まないよう、出現させる位置と範囲を細かく調整する。
「ファイアウォール!」
地面から炎が立ち上がった。
ゴオオオオッ!
赤と橙の炎が一気に伸び、小部屋の出入口を塞ぐように広がる。天井近くまで届く炎の壁が、ゴブリンの群れの後方にそびえ立った。
「なっ……!」
背後から、驚いた声が聞こえる。
炎の向こうでは、後続のゴブリンたちが足を止めていた。前方に出てきた集団とは、これで完全に分断された。
「これなら、まとめて相手をしなくて済みますね……」
ユイと呼ばれた女性が、炎の壁を見つめてつぶやいた。
「はい。後続はしばらく足止めできると思います」
『うわああああ!?』
『何だ今の!?』
『ファイアウォールだよな!?』
『通路いっぱいに炎が広がったぞ!』
『こんな範囲で制御できるのかよ!』
最初は俺の姿を疑っていた3人も、今度は魔法に驚いているようだ。
「さて、もう少し減らしておこうか」
片手を前へ伸ばし、密集したゴブリンたちの中央に魔力を集める。火の魔力が一点に集まり、赤く輝く炎の塊になっていく。やがて人の頭よりも大きくなり、周囲の空気を揺らし始めた。
「ファイアボール!」
火球が飛び出し、群れの中央へ飛んでいく。
ドオオオオオオン!
轟音とともに炎が広がった。一瞬、ダンジョンの通路が昼間のように明るくなる。爆発の衝撃が駆け抜け、ゴブリンたちの悲鳴が響いた。炎が収まると、群れの大半は倒れていた。残ったゴブリンも、混乱している。
「初級魔法なのに、なんて威力だ……!?」
魔法使いの牧野が、息を呑んで叫んだ。
「初級魔法の威力を、極大まで引き上げただけだ」
つい口をついて出た台詞に、自分でも少し気恥ずかしくなった。
『ファイアボールってあんな大きさだったか!?』
『威力がおかしいだろ!!』
『爆発の位置まで狙ってたぞ!』
『初級ダンジョンで見せていい魔法じゃない!』
『お前、本当にあの底辺配信者なのか!?』
「……すごい」
誰かがつぶやいた。
「前方に残ったゴブリンをお願いします! 俺はこのまま炎の壁を維持して、奥からの増援を押さえます!」
「分かりました!」
ユイは、すぐに切り替えた。
「大地さん、前へ! 牧野さんは魔法を温存して、小春さんは負傷者を確認してください!」
「了解!」
「まだ動けます!」
大地と呼ばれた盾役の男性が立ち上がり、ユイも剣を構え直す。さっきまで防戦一方だった彼らが、一気に陣形を立て直していく。ユイの配信カメラも、こちらを捉えていた。そちらのコメント欄にも、驚きの反応が流れているらしい。
『今の魔法を使った人は誰?』
『探索者ランクはいくつなんだ?』
『あの規模の魔法を連続で使えるのか』
『助けに来てくれた人、すごすぎる』
俺は炎の壁を少しずつ縮めながら、小部屋側から抜け出そうとするゴブリンを警戒した。壁の切れ目を探す数匹を剣で倒し、仲間の側面へ回り込もうとする敵も片付けていく。後続が押し寄せることはない。先ほどまでの消耗戦が嘘のように、戦闘は短時間で終わった。
最後のゴブリンが倒れる。うなり声が消えた。
「……終わった」
大地が盾を下ろし、その場に腰を下ろした。
俺も魔法を解除する。炎の壁が消え、通路には静けさが戻った。
スマートフォンの画面には、いつもの3人からのコメントが続いていた。
『……ちょっと待て。何があったんだよ』
『今までの配信と別人すぎる』
『次回も絶対見るからな』
思わず笑みがこぼれた。
「おう。次も見に来てくれよ」
今日の配信は、今までとは違うものになりそうだった。
そのとき、ふと視線を巡らせて、足が止まった。
大地が、座り込んだまま左腕を押さえてうつむいている。回復薬も尽きたと言っていた、あの腕だ。顔色が悪い。
――インベントリの中に、あの葉がある。
俺は、彼のほうへ一歩踏み出した。




