第8話「百年前の写真」
実家で曾祖母の手紙を見つけてから、数日が経った。
あの手紙に書かれていた名前が、ずっと気になっていた。
『相馬圭介』
曾祖母と研究成果の利用について、意見が一致していなかった人物。
私は研究所での仕事を終えると、古い資料が保管されている部屋へ向かった。
以前、資料整理を任されたときに、百年以上前の研究記録が残されていることを知っていた。
もしかしたら、相馬圭介について何か分かるかもしれない。
棚には、年代ごとに整理された資料が並んでいた。
私は1910年代の箱を取り出した。
中には研究報告書や手書きの記録、古い封筒などが入っている。
一つずつ確認していると、茶色く変色した封筒が目に留まった。
表には『研究関係者写真』と書かれている。
「……写真?」
私は封筒を慎重に開いた。
中から、一枚の白黒写真が出てきた。
建物の前に、十人ほどの男女が並んでいる。
男性は背広姿で、女性は長いスカートを身につけていた。
写真の下には、小さな文字で撮影年と名前が記されている。
私は一人ずつ顔を確認していった。
そのときだった。
「……え?」
思わず手が止まった。
後列に立っている一人の男性。
どこかで見たことがある。
私は写真を手元に引き寄せ、その顔をじっと見つめた。
整った眉と、少し細い目。
口元の形まで、よく似ている。
「……水野さん?」
研究所で一緒に働いている、水野さんにそっくりだった。
もちろん、そんなはずはない。
写真が撮影されたのは、百年以上前だ。
私は写真の下に記された名前を確認した。
『相馬圭介』
「……この名前」
曾祖母の手紙に書かれていた名前だった。
私はもう一度、写真の男性を見た。
曾祖母が研究成果の利用について、意見を異にしていた人物。
その顔が、水野さんによく似ている。
親戚なのだろうか。
それとも、ただの他人の空似なのだろうか。
私は写真を封筒に戻し、棚から別の資料を取り出した。
そこには、当時の研究に関わった人物の名前がいくつも記されていた。
黒田理沙。
その名前を見つけたとき、胸が小さく高鳴った。
曾祖母と相馬圭介。
二人は、どのような研究をしていたのだろう。
しかし、資料には研究内容についての詳しい記述がなかった。
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翌日。
私は研究所のパソコンで、水野さんの経歴を調べてみることにした。
研究員の紹介資料には、これまで勤務していた研究施設や専門分野が記載されている。
水野さんの名前を見つけ、画面を開いた。
専門は細胞生物学。
前職は別の研究施設だったが、それ以前の経歴は載っていなかった。
ほかの研究員にも、経歴が簡略化されている人はいる。
それでも、昨日の写真が頭から離れなかった。
「斉藤さん、何を見てるんですか?」
突然声をかけられ、私は顔を上げた。
同僚の研究員だった。
「あ、研究員の紹介資料です」
「何か調べ物ですか?」
「ちょっと気になることがあって」
「そうなんですね。あ、午後の測定、よろしくお願いします」
「はい。分かりました」
同僚が去ってから、私は画面を閉じた。
仕事中に考えていても仕方がない。
午後の作業を終えた頃、水野さんが研究室に戻ってきた。
「斉藤さん、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
水野さんは机に資料を置き、椅子に腰を下ろした。
私は少し迷ってから、声をかけた。
「あの、水野さん」
「はい?」
「水野さんって、以前は別の研究所にいらしたんですよね?」
「ええ、そうですよ」
「長く勤めていたんですか?」
「そうですね。何年かお世話になりました」
「そうなんですね。ほかにも研究所で働いていたことってあります?」
水野さんは少し考えるように視線を上げた。
「ありますよ。研究の仕事をしていると、環境が変わることもありますからね」
「なるほど」
「斉藤さんは、ここが初めての勤務先でしたよね?」
「はい。大学院を出て、そのままこちらに」
「最初は覚えることが多くて大変でしょう」
「そうですね。でも、少しずつ慣れてきました」
水野さんは穏やかに笑った。
「それならよかったです」
会話は、それで終わった。
ごく普通の受け答えだった。
けれど、私は昨日の写真を思い出していた。
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帰宅すると、直人が台所に立っていた。
「おかえり」
「ただいま」
「今日も遅かったね」
「ちょっと資料を調べてたの」
私は鞄を置き、直人の隣に立った。
「ねえ、直人。百年以上前の人と、今の人がそっくりってこと、あると思う?」
「え?」
直人が振り向いた。
「どういうこと?」
「研究所で古い写真を見つけたんだけど、そこに写ってた人が、知ってる人にすごく似てたの」
「親戚なんじゃない?」
「私もそう思ったんだけど」
「名前は?」
「写真の人は相馬圭介っていう人。今の人は水野さん」
「相馬圭介って、あの手紙に書いてあった?」
「そう。その人」
「名字が違うんだ」
「うん」
直人は少し考えた。
「名字が違っても、親戚ってことはあるだろうし」
「そうだよね」
「それか、たまたま似てるだけとか」
「やっぱりそう思う?」
「写真だけじゃ判断できないよ」
私は頷いた。
百年以上前の写真に、今の人と似た顔が写っていた。
それだけで、何かがおかしいと考えるほうが無理がある。
「その写真の人、何してた人なの?」
「研究者だと思う。曾祖母と同じ時代の資料に入ってたから」
「じゃあ、曾祖母のことも知ってたかもしれないね」
「……うん」
私はその言葉に顔を上げた。
そうだ。
写真の男性が水野さんに似ていることばかり気にしていた。
けれど、本当に調べたいのは、曾祖母が何を研究していたのかということだった。
「相馬圭介って人のこと、もう少し調べてみようかな」
「そうだね。紙切れにも名前があったんだし」
私は頷いた。
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翌日。
研究所の資料室で、もう一度あの写真を取り出した。
相馬圭介。
写真の下に記された名前を、手帳に書き写す。
そして、隣に小さく書き加えた。
『水野さんによく似ている』
私は二つの名前を見比べた。
百年以上前の研究者と、今の研究所に勤める男性。
私はノートに書き込んだ二つの名前を、しばらく見つめていた。




