↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『undying ―食卓から消えたもの』  作者: 季波


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/7

第3話「消えた食文化」

研究所に勤め始めて、一週間が経った。


少しずつ仕事の流れにも慣れてきた。


朝は実験室の準備から始まり、培養している細胞の状態を確認する。


顕微鏡で観察した結果を記録し、必要に応じて培養液を交換する。


大学院でも似たような作業はしていたが、研究所では決められた手順を守ることが、より厳しく求められた。


「斉藤さん、昨日の培養細胞の状態はどうでしたか?」


水野さんが声をかけてきた。


「はい。特に異常はありませんでした。観察結果も入力してあります」


「分かりました。では、今日も引き続きお願いします」


「はい」


水野さんは頷き、隣の実験室へ向かった。


私はその日も、夕方まで実験と記録の整理を続けた。


---


帰宅すると、直人が台所で夕食を作っていた。


「おかえり」


「ただいま」


「今日も遅かったな」


「ちょっと記録をまとめてたの」


「そっか。もう少しでできるよ」


私は手を洗い、食卓についた。


夕食を食べながら、直人に研究所での出来事を話した。


「仕事には慣れてきた?」


「うん。まだ覚えることは多いけどね」


「そっか。無理しないようにな」


「ありがとう」


私は箸を置いた。


「そういえば、昔の研究について、一般に公開されてる資料も調べてみようと思ってるの」


「理沙さんの研究?」


「うん。細胞研究の資料は国に押収されたって言ってたから、公開されてる情報を調べてみようと思って」


「そうだね。昔の新聞とか、政府の記録とか?」


「うん。そのあたりから探してみようかなって」


「何か見つかるといいね」


「そうだね」


直人は再び箸を動かした。


「でも、今日はもう仕事終わりなんだから、ちゃんと食べなよ」


「分かってる」


「由紀の『分かってる』は信用できないんだよな」


「またそれ?」


二人で笑った。


---


夕食を終えた私は、パソコンを開いた。


調べるのは、百年以上前に起きた感染症についてだ。


検索すると、当時の新聞記事や政府の発表をまとめた記録が見つかった。


百年以上前、ある研究所から危険な感染症が広がったとされている。


牛、豚、鶏、そして養殖魚が大量に死に、深刻な食糧危機が発生した。


当時、動物の命を救うための細胞研究が行われていた。


しかし、その研究に関わっていた曾祖母は、感染症を引き起こした人物として罪を問われた。


ここまでは、私も知っている話だった。


私は画面をスクロールした。


当時の食料事情についてまとめた資料が表示された。


そこには、昆虫食の普及について書かれていた。


「……五年?」


思わず声が漏れた。


感染症によって食肉や魚介類の供給が難しくなった後、政府は昆虫を新たな食料として普及させていた。


家庭向けの調理方法の紹介。


飲食店への導入。


学校給食での提供。


それらが全国各地で進められ、わずか五年ほどで昆虫食は主要な食文化として定着していた。


「……そんなに早く?」


私は思わず画面を見直した。


食料が不足していたのだから、代わりになるものが必要だったことは分かる。


政府が急いで昆虫食を普及させたことも、不思議ではない。


けれど、それまで何世代にもわたって肉や魚を食べてきた人たちが、たった五年で食生活を大きく変えたというのだ。


私はさらに読み進めた。


当時の新聞には、昆虫を使った料理の紹介や、栄養価についての記事が数多く掲載されていた。


政府が配布した家庭向けの料理案内も残されている。


昆虫の粉末を使ったパン。


味付けして焼いた昆虫料理。


野菜と組み合わせた煮込み料理。


どれも、今では珍しくないものだった。


けれど、百年以上前の人たちにとっては、新しい食べ物だったはずだ。


私は別の記事を開いた。


そこには、昆虫食を提供する飲食店が増えていることや、学校給食への導入が進んでいることが書かれていた。


私たちにとって、昆虫食は生まれたときから当たり前のものだった。


だからこそ、それ以前の食文化について深く考えたことはなかった。


私は普及が始まった頃の記事を、年代順に確認してみた。


最初は食料不足を補うための代替食品として紹介されていた。


それが数年後には、家庭料理や外食産業の中心になっている。


「……どうして、そこまで急いだんだろう?」


私は椅子の背もたれに寄りかかった。


当時の食料事情を考えれば、人々に選択肢は少なかったのかもしれない。


それでも、政府がこれほど短期間で食文化を変えようとした理由が気になった。


私は当時の政府の発表を確認してみた。


食料不足への対応や、昆虫食の栄養価については詳しく説明されている。


しかし、感染症への対策として始まった細胞研究が、その後どうなったのかについては、ほとんど触れられていなかった。


「……研究のことは書いてないんだ」


私は別の資料も開いてみた。


感染症の発生から被害の拡大、昆虫食の普及までの経緯は確認できる。


それなのに、動物を救うために行われた細胞研究については、詳しい説明が見つからなかった。


曾祖母は、その研究に関わっていた。


動物を助けるために研究していたはずなのに、感染症を広めたとして罪を問われた。


私は画面に表示された年代を見つめた。


感染症が広がった時期。


細胞研究が行われた時期。


そして、昆虫食の普及が始まった時期。


これらの出来事は、いずれも近い時期に起きていた。


偶然なのだろうか。


私はもう一度、当時の資料を読み返した。


しかし、それ以上のことは分からなかった。


百年以上前の出来事なのだから、今では分からなくなっていることも多いはずだ。


それでも、何かが引っかかっていた。


私はパソコンを閉じた。


まずは研究所の仕事を覚えること。


今はそれが先だ。


そう自分に言い聞かせた。


けれど、一つの疑問だけは消えなかった。


動物を救うための研究が行われた時期に、なぜ食文化まで大きく変わったのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価、感想をいただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。