第24話「受け継がれた研究」
私は相馬さんを見つめた。
「国は、細胞死停止処置によって家畜や養殖魚が死ななくなった事実まで、隠していたんですね」
「……はい」
「それで、自然界にいる動物や魚類の捕獲を禁止し、昆虫食を普及させた」
「はい、わずか五年で、国民の食生活は大きく変わりました」
百年以上、肉や魚が食卓から消えていた理由。
その始まりが、ようやく明らかになった。
「相馬さん。細胞死停止処置を解除する方法は、考えなかったんですか?」
相馬さんは顔を上げた。
「もちろん考えました。私も研究しましたし、国もほかの研究者たちに開発を命じました」
「結果は?」
「……誰にも作れませんでした」
相馬さんは小さく息を吐いた。
「百年以上、研究を続けても、解除する方法は見つからなかったんです」
「そうですか」
私は鞄から、曾祖母のノートの写しを取り出した。
「でも、曾祖母は解毒剤につながる仮説を残していました」
相馬さんの表情が変わった。
「……理沙が?」
「はい。処刑される前に」
私はノートを開いた。
「曾祖母は、動物や植物の細胞を研究するため、いろいろな場所へ出かけていたそうです」
「……ええ。理沙は昔から、生き物の研究が好きでした」
「その途中で、偶然見つけた植物があったんです」
「植物?」
「時待草です」
相馬さんは首を傾げた。
「……聞いたことがありませんね」
「曾祖母が発見し、名前をつけた植物です。百年に一度だけ花を咲かせるんです」
「百年に一度……?」
「はい。曾祖母が見つけたときは、まだつぼみでした」
私はノートの一節を示した。
「曾祖母は茎の一部を採取して成分を分析し、細胞死停止処置を解除できる可能性があると考えていました。でも、開花前だったので、それ以上の研究はできなかったんです」
「……それで、その植物はどうなったんですか?」
「場所を隠していました」
「隠した?」
「ええ。研究途中の処置を無断で提出されたことで、曾祖母は研究の扱われ方に不信感を抱いていたのかもしれません」
相馬さんは何も言わなかった。
「でも、手がかりは残してくれていました。数え歌と、古い料理帳に」
「……数え歌?」
「はい。そこに隠された暗号を解いて、直人と一緒に時待草を見つけたんです」
相馬さんが身を乗り出した。
「では、花は……?」
私は頷いた。
「咲いていました」
「……!」
「曾祖母は、花が咲くのを待つことができなかった。でも、私は見ることができたんです」
相馬さんは言葉を失った。
「……その花を、どうしたんですか?」
「持ち帰って、研究しました」
「まさか……」
私は相馬さんを見つめた。
「解毒剤を完成させました」
相馬さんの目が大きく見開かれた。
「……完成させた?」
「はい」
「本当に、細胞死停止処置を解除できたんですか?」
「できました。直人にも協力してもらい、処置を受けた動物で検証しました」
「……結果は?」
「牛、豚、鶏、養殖魚。いずれも処置を解除することができました。観察期間中、かつての感染症も再発していません」
相馬さんは呆然としていた。
「……百年以上、誰にもできなかったことを」
「ただし、長期的な安全性については、まだ調べる必要があります。すぐに実用化できるわけではありません」
私はノートを閉じた。
「曾祖母は、安全性が確認できない処置を国に提出することに反対していました。だから、私も同じことは繰り返したくないんです」
相馬さんは何も答えなかった。
「でも、曾祖母の研究を、ようやく先へ進めることができました」
相馬さんは自分の手を見つめた。
「……解毒剤が、できたんですね」
「はい」
しばらく沈黙が続いた。
そのときだった。
「水野圭一さんですね?」
背後から声が聞こえた。
振り向くと、数人の警察官が立っていた。
相馬さんが顔を上げた。
「……警察?」
警察官の一人が近づいた。
「LIVE配信を見た方々から、複数の通報がありました」
相馬さんは黙っていた。
「現在の身分に関する書類を偽造し、使用している疑いがあります。詳しくお話を伺いたいので、署までご同行願えますか?」
「……」
「また、配信で話されていた百年以上前の事件についても、事実関係を確認する必要があります」
相馬さんはうつむいた。
やがて、小さく頷いた。
「……分かりました」
警察官に促され、相馬さんが歩き始めようとした。
「ちょっと待ってください」
私は声をかけた。
相馬さんが振り向いた。
「相馬さん。曾祖母が、あなたについて書き残した言葉があります」
「……私について?」
「はい」
私はノートの写しを開いた。
「曾祖母は、幼い頃から生き物が好きだったそうです。小さな命でも救いたい。その思いから、細胞の研究を始めたと書いてありました」
相馬さんは黙って聞いていた。
「そして、どんなに優れた薬でも、安全性が確認されなければ命を危険にさらすことになる。だからこそ、治験は絶対に必要だった、と」
私はページをめくった。
「研究途中の薬が、自分の知らないうちに国へ提出されていたことも書かれていました」
相馬さんは視線を落とした。
「自分の研究が、かえって命を危険にさらすかもしれない。そのことを、曾祖母は悔やんでいたんです」
私は一度、言葉を止めた。
「それから、もう一つ」
相馬さんが顔を上げた。
「曾祖母は、ヒト科への細胞死停止処置についても警告を残していました」
「……ヒト科?」
「はい。ヒト科には絶対に使用してはいけない、と」
相馬さんは自分の手を見た。
「曾祖母が何を予測していたのか、すべては分かりません。でも、私が解毒剤を研究する中で、一つ分かったことがあります」
「……何ですか?」
「時待草の蜜は、細胞死停止処置を受けたヒト科にとって、猛毒になる可能性が極めて高いんです」
相馬さんの表情が強張った。
「……猛毒?」
「はい。成分を分析した結果、ヒト科の細胞には致命的な影響を及ぼす可能性が極めて高いと考えられます。だから、あなたに解毒剤を使うことはできません」
相馬さんは何も言わなかった。
私は最後のページを開いた。
「曾祖母は、こんな言葉も残しています」
相馬さんが私を見た。
私はゆっくりと読み上げた。
「国民の食べる楽しみを奪った相馬圭介には、生きて罪を償ってほしい」
相馬さんは目を見開いた。
「……理沙が、そんなことを?」
「はい。そう書いてありました」
私はノートの写しに目を落とした。
「曾祖母は、相馬さんが自分自身に細胞死停止処置を使う可能性を考えて、わざわざこの言葉を残したんだと思います」
相馬さんは俯いた。
しばらくして、小さく口を開いた。
「……理沙は、そこまで考えていたんですね」
その先の言葉は続かなかった。
川沿いを風が吹き抜けた。
私は相馬さんを見つめた。
「相馬さん」
相馬さんが顔を上げた。
「生きて、罪を償ってください」
相馬さんは何も答えなかった。
やがて警察官に促され、ゆっくりと歩き始めた。
私はその背中を、黙って見送った。




