第23話「百年前の真実」
「あなたは、相馬圭介さんですよね?」
水野さんは私を見つめた。
「……何を言っているんですか?」
「そして、名前や経歴を変えながら、いろいろな研究所を渡り歩いてきた」
「そんなことがあるわけないでしょう」
水野さんは小さく笑った。
「私は研究者です。昔の資料を読むことだってありますよ」
「そうですね。では、もう一つ教えてください」
「……何ですか?」
「黒田理沙が開発した細胞死停止処置は、十分な治験を終えてから国に提出されたんですよね?」
「……違います」
水野さんは即座に答えた。
「彼女は、治験が終わっていないことを理由に、提出を拒んでいたんです」
私は水野さんを見つめた。
「……拒んでいた?」
「……!」
水野さんは口を閉じた。
「どうして、それをご存じなんですか?」
「……古い研究資料で読んだんでしょう」
「当時の研究記録は国に押収されています。それに、黒田理沙が提出を拒んでいたことは、公表されていません」
「すべての資料が失われたわけではないでしょう」
「では、どの資料に書いてあったんですか?」
「……百年以上も前の資料ですよ。いちいち覚えていません」
「そうですか」
私は頷いた。
「でも、不思議ですね。資料の名前は覚えていないのに、黒田理沙が提出を拒んだ理由は、はっきり覚えているんですね」
水野さんは答えなかった。
「それに、百年以上前の集合写真に写っていた相馬圭介という研究員。あの人は、あなたにそっくりでした」
「……他人の空似でしょう」
「そうかもしれません。でも、さっきの傷はどう説明するんですか?」
「傷?」
「転んだとき、手から血が出ていました。でも、すぐに消えた」
「見間違いですよ」
「LIVE配信を見ていた人たちも、同じものを見ています」
私はスマートフォンに目を向けた。
画面には、今もコメントが流れ続けていた。
『さっきの傷、やっぱり消えてる』
『この人、本当に百年前の人なの?』
『どういうこと?』
「映像を確認すれば、分かることです」
水野さんは自分の手を見た。
「……それで、私が百年以上生きていると?」
「はい」
「ずいぶん突飛な話ですね」
「普通なら、そう思います。でも、この世界には、細胞死停止処置があります」
水野さんの表情が変わった。
「処置を受けた動物は、致命的な傷を負っても細胞が修復されます。もし、人間にも同じ処置が施されていたとしたら?」
「……人間に使われたという記録はありません」
「記録がないことと、使われていないことは別ですよね?」
水野さんは黙った。
私は一歩も引かずに続けた。
「百年前の写真と変わらない顔。古い研究についての知識。そして、目の前で消えた傷」
「……」
「あなたは、水野圭一さんではありませんよね?」
水野さんはしばらく私を見つめていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……そこまで調べていたんですか」
「はい」
「まさか、こんな場所で追及されるとは思いませんでしたよ」
「答えてください」
水野さんは視線を落とした。
「……相馬圭介。それが、私の昔の名前です」
周囲がざわついた。
「えっ、本当に?」
「百年以上前の研究者って……」
「そんなことがあるのか?」
私は相馬さんを見つめた。
「では、百年以上前、研究所で何があったのか教えてください」
「……昔の話です。今さら何を知りたいんですか?」
「黒田理沙が、どうして処刑されたのかです」
相馬さんの目が、わずかに動いた。
「彼女は、食料危機を引き起こした責任を問われたんです」
「でも、細胞死停止処置の実用化には反対していたんですよね?」
「……そうです」
「それなら、どうして国に提出されたんですか?」
「当時は緊急事態でした。家畜が次々と死に、食料供給が危機に陥っていたんです」
「だから、治験を省略してもよかったと?」
「そんな単純な話ではありません!」
相馬さんの声が大きくなった。
周囲が静まり返った。
相馬さんは少し間を置いてから続けた。
「海外から持ち込まれた寄生虫によって、牛や豚、鶏が次々と死んでいった。養殖魚にも被害が広がっていました」
「あなたも治療薬を研究していたんですよね?」
「私には、有効な薬を作ることができませんでした」
「そして、黒田理沙が細胞死停止処置を発見した」
「……そうです」
「でも、それは寄生虫を駆除する薬ではなかった」
「はい。感染した動物の細胞が死なないようにする処置でした」
「安全性も確認できていなかったんですよね?」
「……はい」
「だから、黒田理沙は提出を拒んだ」
相馬さんは黙って頷いた。
私は相馬さんの目を見た。
「それなのに、国は処置を使用した」
「……国から何度も催促されていたんです」
「催促?」
「もし感染症がヒトにまで広がったらどうするんだ、と。一刻も早く治療薬を提出しろと言われていました」
「でも、黒田理沙は最後まで反対していたんですよね?」
「そうです」
「では、誰が提出したんですか?」
相馬さんは答えなかった。
「相馬さん」
「……国が求めていたんです」
「国が求めたことと、誰が提出したかは別の話です」
相馬さんは視線を逸らした。
「研究所の責任者だったあなたなら、提出できたんじゃないですか?」
「……」
「黒田理沙の許可を得ずに、あなたが提出したんですね?」
「……あの状況では、ほかに方法がなかったんです」
「それは、提出したということですか?」
相馬さんは唇を噛んだ。
「……そうです。私が提出しました」
「無断で?」
「……はい」
私は相馬さんを見つめた。
「その結果、動物の大量死は止まった。でも、処置を受けた動物は死ななくなった」
「……そうです」
「どれだけ傷つけても細胞が修復され、食用にできなくなった」
相馬さんは頷いた。
「国は激怒しました。感染症による食料危機を防ぐはずが、別の食料危機を引き起こしてしまったんですから」
「当然、責任を追及されたんですよね?」
「……ええ」
「誰が提出したのか、国に説明しましたか?」
「……」
「あなたが無断で提出したと、正直に話したんですか?」
相馬さんは何も言わなかった。
「それとも、黒田理沙に責任を負わせたんですか?」
「……彼女が処置を開発したのは事実です」
私は相馬さんを見つめた。
「それは知っています」
「……」
「でも、開発したことと、実用化を決めたことは違いますよね?」
相馬さんは口を閉ざした。
「黒田理沙は、安全性が確認できないから提出を拒んでいた。それを国に伝えましたか?」
「……」
「相馬さん。答えてください」
「……伝えていません」
「では、国には何と説明したんですか?」
相馬さんは俯いた。
長い沈黙が続いた。
「……この処置を作ったのは、黒田理沙だと」
私は拳を握りしめた。
「あなたが無断で提出したことは?」
「……話しませんでした」
「その結果、黒田理沙だけが責任を問われたんですね?」
「……そうです」
「そして、処刑された」
相馬さんは何も言わなかった。
私は相馬さんを見つめた。
「でも、おかしいですね」
「……何がですか?」
「当時の新聞には、黒田理沙が感染症を広めたと書かれていました。でも、実際には感染症を食い止めようとしていたんですよね?」
「……そうです」
「では、どうして感染症を広めた罪で処刑されたんですか?」
相馬さんは答えなかった。
「本当の原因を公表すれば、国が安全性を確認せずに細胞死停止処置を使用したことまで明らかになる。だから、事実を隠したんですね?」
「……国は、感染症の拡大を研究所の責任として発表することにしたんです」
「そして、責任者として黒田理沙の名前を出した」
「……はい」
「でも、あなたは研究所の責任者だったんですよね?」
「……」
「あなたが無断で提出したことを隠すために、曾祖母一人に責任を負わせたんですね?」
相馬さんは視線を落とした。
「……そうです」
私は相馬さんを見つめた。
「どうして、そんなことをしたんですか?」
「……私にも、守るものがあったんです」
「守るもの?」
「妻も、子どももいました。私が責任を問われれば、家族がどうなるか分からなかった」
「だから、黒田理沙に責任を押しつけたんですか?」
「……あのときは、そうするしかなかったんです」
「本当に、そうでしょうか」
相馬さんは顔を上げた。
「黒田理沙は、安全性が確認できない以上、危険な結果になる可能性があると考えていたんですよね?」
「……はい」
「それなのに、あなたは無断で提出した。そして、問題が起きたら、彼女の名前を出した」
「……」
「自分が助かるために」
相馬さんは何も答えなかった。
私は続けた。
「黒田理沙は、私の曾祖母です」
「……何?」
相馬さんが顔を上げた。
「結婚する前は、私も黒田という名字でした」
「……理沙の、曾孫?」
「はい。私は、曾祖母が本当に罪を犯したのか、それを知りたくて研究者になりました」
相馬さんは驚いた様子で私を見つめていた。
「曾祖母は、処置の安全性が確認できていなかったから、最後まで提出を拒んでいたんです」
「……」
「それでも、処刑された」
相馬さんは視線を落とした。
私は相馬さんの手を見た。
「でも、あなたは生き残った。それも、百年以上」
「……」
「あなたは、自分自身にも細胞死停止処置を施したんですよね?」
「……それは」
「さっき、傷が消えましたよね?」
相馬さんは自分の手を見つめた。
「動物と同じように、傷ついても細胞が修復される。だから、百年以上経っても姿が変わらなかった」
「……」
「どうして、自分に処置をしたんですか?」
相馬さんはしばらく黙っていた。
やがて、小さく口を開いた。
「……いつか、自分がしたことを知られるかもしれないと思ったんです」
「……」
「そうなれば、理沙と同じように処刑されるかもしれない」
相馬さんは自分の手のひらを見つめた。
「研究所には、一人分の薬剤が残っていました。私はそれを自分に投与したんです」
「それで、死なない身体になったんですね?」
「……はい」
「傷が治り、老化もしなくなった」
相馬さんは頷いた。
「それからは、名前を変え、経歴を変えながら生きてきました。研究所も何度も移りました」
「そして今は、水野圭一という名前で働いている」
「……そうです」
私は相馬さんを見つめた。
「百年以上、生き続けてきたんですね」
相馬さんは力なく頷いた。
誰も何も言わなかった。
川の流れる音だけが、静まり返った河原に響いていた。




