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『undying ―食卓から消えたもの』  作者: 季波


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14/25

第14話「休日の外出」

休日の朝。


私はいつもより少し早く目を覚ました。


カーテンを開けると、外には青空が広がっていた。


「……いい天気」


今日は、直人と少し遠くまで出かける予定だった。


リビングへ向かうと、直人が朝食の準備をしていた。


「おはよう、由紀」


「おはよう。早いね」


「由紀こそ。まだ寝てると思った」


「なんか目が覚めちゃった」


直人は笑いながら、皿をテーブルに並べた。


「今日は結構歩くかもしれないから、ちゃんと食べとけよ」


「分かってるって」


私は椅子に座り、朝食に手を伸ばした。


「ねえ、直人」


「ん?」


「今日、付き合ってくれてありがとう」


「まだ出発もしてないけど?」


「そうだけど」


直人は小さく笑った。


「別にいいよ。由紀と出かけるんだから」


何でもないことのように言われて、私は思わず笑ってしまった。


「……そういうこと、さらっと言うよね」


「何が?」


「何でもない」


直人は不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は聞いてこなかった。


朝食を済ませ、必要なものを準備してから家を出た。


車に乗り込むと、直人がエンジンをかけた。


「忘れ物ない?」


「たぶん大丈夫」


「たぶんって」


「大丈夫だってば」


「じゃあ、行きますか」


車はゆっくりと走り出した。


窓の外には、見慣れた街並みが流れていく。


しばらく走ると、建物が少なくなり、道路の両側には田畑が広がり始めた。


「なんか、こうやって二人で遠出するの久しぶりだね」


私が言うと、直人は前を向いたまま頷いた。


「そうだな。最近、由紀ずっと忙しかったし」


「直人だって忙しいじゃん」


「まあ、動物相手だからな。こっちの都合なんか関係ないし」


「ふふっ、確かに」


直人は獣医として、毎日さまざまな動物の診療をしている。


急な呼び出しが入ることも珍しくない。


「そういえばさ。昔もよく、こうやって出かけたよな」


「昔?」


「ほら、俺んちの動物たちの餌を買いに行ったり」


「ああ、行ったね!」


思わず声が大きくなった。


「直人のお父さんに連れていってもらったこともあったよね」


「そうそう。由紀、帰りたくないって言い出して」


「えっ、そんなことあった?」


「あったよ。動物の世話がまだ終わってないって」


「……私、そんなに夢中だったんだ」


「毎日のように来てたじゃん」


「だって、楽しかったんだもん」


直人の家では、昔からさまざまな動物を飼っていた。


犬や猫だけでなく、ウサギや鳥などもいて、幼い私にとっては小さな動物園のような場所だった。


餌をあげたり、小屋を掃除したり。


最初は怖くて触れなかった動物も、直人と一緒なら少しずつ近づくことができた。


「由紀、ウサギに指かじられたこともあったよな」


「あった! あれ、すごくびっくりした!」


「餌と間違えられたんだよ」


「直人、あのとき笑ってたでしょ」


「笑ってないって」


「絶対笑ってた!」


「ちょっとだけな」


「ほら!」


二人で笑った。


あの頃は、毎日が新しい発見の連続だった。


動物の体温も、鼓動も、食べるものも。


同じ生き物なのに、こんなに違うのかと驚いてばかりいた。


「直人、昔から動物のこと詳しかったよね。私、いつも直人に聞いてた気がする」


「今も聞いてくるじゃん」


「今はちゃんと研究者として聞いてるの」


「はいはい」


「何、その返事」


「いや、昔と変わんないなって」


私は少し頬を膨らませた。


けれど、すぐに笑ってしまった。


しばらくすると、車は山あいの道へ入った。


窓の外には木々が増え、街中とは違う景色が広がっていた。


私は流れていく景色を眺めながら、ふと昔のことを思い出した。


「ねえ、直人」


「ん?」


「私が学校で嫌なこと言われてたときのこと、覚えてる?」


直人は少しだけ表情を変えた。


「……覚えてるよ」


「曾祖母のことで、いろいろ言われてた頃」


「うん」


「直人、いつも助けてくれたよね」


「そんな大したことしてないよ」


「そんなことない」


私は首を横に振った。


「私、あの頃は学校に行くのも嫌だったんだ」


直人は黙って聞いていた。


「でも、直人がいてくれたから、学校に行けた日もあったし、普通に笑えた日もあった。本当は、ずっとお礼を言いたかったんだよね」


「今まで何回も言ってるだろ」


「そうだけど、何回言っても足りないくらい」


直人は少し照れたように笑った。


「俺だって、由紀がいたから楽しかったこといっぱいあるよ」


「そうなの?」


「そりゃそうだろ。毎日一緒に遊んでたんだから」


「ふふっ、そうだね」


少しの間、車内に穏やかな沈黙が流れた。


やがて、直人が口を開いた。


「でも、まさか結婚するとは思わなかったな」


「えっ、そう?」


「子どもの頃は、そんなこと考えてなかったし。大学生になって、由紀から結婚の話が出たときは驚いたよ」


私は思わず直人を見た。


「そんなに?」


「そりゃ驚くだろ。まだ学生だったんだぞ」


「でも、ちゃんと考えてたんだよ?」


「知ってる」


直人は笑った。


「由紀が研究を続けたいことも、将来どうしたいかも、全部聞いてたから。それに、俺も由紀と一緒にいたかったし」


私は少し俯いた。


結婚してから、もう何年も経つ。


大学での勉強、大学院での研究、そして研究所への就職。


忙しくて帰りが遅くなった日も、研究が思うように進まなかった日も、直人はいつもそばにいてくれた。


何も聞かずに食事を用意してくれたり、話を聞いてくれたりした。


「……ねえ、直人。私と結婚して、後悔したことない?」


「何だよ、急に」


「ちょっと聞いてみたくなっただけ」


直人は少し考えるような顔をした。


「後悔か……」


「……ある?」


「ないな」


あまりにもあっさりした返事だった。


「即答じゃん」


「だって、ないし」


「私、研究ばっかりしてるよ?」


「知ってる」


「家でも資料読んでるし」


「知ってる」


「最近なんて、休みの日も調べ物してるし」


「それも知ってる」


「……直人」


「何?」


「もうちょっと何か言ってよ」


直人は笑った。


「じゃあ、たまには俺のことも構ってください」


「えっ」


「冗談だよ」


「もう!」


私は思わず笑ってしまった。


「でもさ」


直人は前を向いたまま続けた。


「由紀がやりたいことをやれてるなら、それでいいと思ってるよ。もちろん、無理してるときは止めるけど」


「それは分かってる」


「だったらいいじゃん」


私は膝の上で手を重ねた。


「……ありがとう、直人。私、直人と結婚してよかった」


直人は一瞬こちらを見て、それから小さく笑った。


「俺もだよ」


その言葉が、胸の奥にゆっくりと染み込んでいくようだった。


車はさらに山道を進んだ。


途中、休憩のために小さな駐車場へ立ち寄った。


車を降りると、ひんやりとした空気が頬に触れた。


「うわ、涼しい!」


「街中と全然違うな」


私は大きく背伸びをした。


遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。


「ねえ、直人。今日のこと、誰かに聞かれたらどうする?」


「普通にドライブしてきたって言えばいいんじゃない?」


「……そうだね」


「何か気になる?」


私は少し考えてから首を横に振った。


「ううん。大丈夫」


直人はそれ以上、何も聞かなかった。


私が何かを調べていることは知っている。


それでも、必要以上に踏み込んでこない。


昔から、そういう人だった。


休憩を終えると、再び車に乗り込んだ。


目的地に近づくにつれて、道は次第に狭くなっていった。


やがて直人は、山道の脇にある小さな駐車スペースに車を停めた。


「この辺りだな」


「うん。ここからは歩こう」


私たちは荷物を確認した。


懐中電灯、飲み物、そして曾祖母の植物図鑑から見つかった古い鍵。


言い伝えが書かれた紙も持ってきていた。


車を降りると、木々に囲まれた細い道が続いていた。


「足元、気をつけて」


「うん」


直人が先に進み、歩きにくいところでは手を差し伸べてくれた。


「ありがとう」


「転んだら大変だからな」


「子ども扱いしてない?」


「してないって」


私は差し出された手を握った。


しばらく歩くと、岩肌がむき出しになった場所に出た。


白っぽい岩が重なり、その奥に小さな穴が開いている。


「……あれかな」


直人が指さした。


私は持ってきた紙を広げた。


『白き山の懐に、眠る花あり。』


「……白い岩」


「石灰岩だな」


「じゃあ、あそこが……」


私たちは顔を見合わせた。


「行ってみよう」


「うん」


洞窟の入口は、人がかがめば通れるほどの大きさだった。


中を覗くと、奥は暗く、どこまで続いているのか分からない。


直人が懐中電灯をつけた。


「無理そうだったら戻ろうな」


「うん」


私たちは足元を照らしながら、ゆっくりと洞窟に入った。


外の光が届かなくなるにつれて、空気がひんやりとしてきた。


天井から、ときおり水滴が落ちてくる。


ぽちゃん。


静かな洞窟に、水の音が響いた。


「……本当に水が滴ってる」


「言い伝えに書いてあったな」


私は紙を確認した。


『天の雫が石の皿を満たし、

水は留まらず、絶えず巡る。』


「……この先にあるのかな」


「行ってみよう」


少し歩くと、洞窟の奥に人工的なものが見えてきた。


「……あれ?」


私は足を止めた。


岩壁の間に、古びた鉄の扉が設置されていた。


「扉……?」


直人が近づいた。


扉には、南京錠がかかっている。


表面は黒ずんでいたが、形はしっかりと残っていた。


「こんなところに扉があるなんて……」


「誰かが作ったんだろうな」


私は南京錠を見つめた。


そして、鞄の中に入れていた古い鍵を思い出した。


「……直人」


「ん?」


「もしかして、これ……」


私は鍵を取り出した。


直人が目を見開いた。


「まさか、その鍵で?」


「……試してみる」


私は南京錠の鍵穴に、ゆっくりと鍵を差し込んだ。


ぴったりと収まった。


「……入った」


「回してみて」


私は慎重に鍵を回した。


少し抵抗があったものの、鍵はゆっくりと動いた。


カチリ。


小さな音が響いた。


「……開いた」


直人が驚いたように南京錠を見つめた。


「本当に開いたな……」


私は南京錠を外した。


直人と一緒に扉を押す。


重い音を立てながら、扉がゆっくりと開いた。


「……えっ?」


思わず声が漏れた。


扉の向こうには、想像していたものとはまったく違う景色が広がっていた。


岩壁に囲まれた広い空間。


見上げると、天井の一部が大きく開け、青い空が見えた。


そこから柔らかな日差しが差し込んでいる。


「……こんな場所があったんだ」


直人も驚いたように周囲を見渡した。


岩の隙間からは澄んだ水が湧き出し、白い石の窪みを満たしていた。


溢れた水は細い流れとなって、岩の間を通っている。


私は言い伝えの紙を取り出した。


『天の雫が石の皿を満たし、

水は留まらず、絶えず巡る。』


「……これだ」


「言い伝えのとおりだな」


私はゆっくりと奥へ目を向けた。


そして、息を呑んだ。


「……直人、見て」


そこには、無数の白い花が咲いていた。


細い茎の先に、六枚の花びらが広がっている。


日の光を受けた白い花が、岩壁に囲まれた空間一面に咲き誇っていた。


「……すごい」


私は鞄から植物図鑑の写しを取り出した。


描かれている花と、目の前の花を見比べる。


「……同じだ」


「じゃあ、これが……」


「時待草……」


私はもう一度、言い伝えを読んだ。


『百年の時を待ち、白き花は目を覚ます。』


「……本当にあったんだ」


直人は周囲を見渡した。


「日光も入るし、水もある。ここなら植物が育つ環境は整ってるな」


「うん……」


私は花の周囲に目を向けた。


岩の間には土が残り、湧き水がその近くを流れている。


「でも、どうしてこんな場所に……」


洞窟の奥に設置されていた扉。


植物図鑑に隠されていた鍵。


そして、この花が育つ環境。


「……もしかして、曾祖母が?」


直人が私を見た。


「ここを用意したってこと?」


「分からない。でも、偶然とは思えないの」


私はもう一度、白い花を見つめた。


曾祖母は、どうしてこの場所を隠したのだろう。


どうして、百年に一度しか咲かない花を守ろうとしたのだろう。


その理由は、まだ分からない。


けれど、ようやく曾祖母が残したものに辿り着いた。


そんな気がした。


「由紀、どうする?」


直人が尋ねた。


私は花を見つめた。


「……少し、持って帰りたい」


「調べるため?」


「うん。曾祖母が残したものなら、何か意味があるはずだから」


直人は頷いた。


「分かった。でも、慎重にな」


「うん」


私は持参した容器を取り出した。


花の状態を一つずつ確かめながら、傷つけないように慎重に採取していく。


直人も隣で手伝ってくれた。


「……これで大丈夫かな」


「たぶんな。帰ったらすぐ確認しよう」


「うん」


私は容器を鞄にしまった。


残った花には触れず、周囲の環境もできるだけ変えないようにした。


最後にもう一度、辺りを見渡した。


青い空。


岩の隙間から湧き出す水。


そして、一面に広がる白い花。


百年以上前、曾祖母もこの景色を見ていたのだろうか。


私は小さく息を吐いた。


「……行こうか」


直人が言った。


「うん」


私たちは扉を閉め、南京錠をかけ直した。


洞窟を出ると、外の光がまぶしく感じられた。


私は大きく息を吸った。


「……なんだか、すごい一日になっちゃったね」


「そうだな」


直人は笑った。


「普通のドライブじゃなかったな」


「ふふっ、確かに」


私たちは来た道を戻り、車へ向かった。


帰り道、直人がコンビニに寄ってくれた。


私は温かい飲み物を買い、助手席に座った。


「今日、楽しかった?」


直人が聞いてきた。


「うん。楽しかった」


「それならよかった」


私は飲み物を両手で包んだ。


「……ねえ、直人。また、こうやって出かけようね」


「いいよ。今度は普通に遊びに行こう」


「普通にって何?」


「美味しいもの食べたり、観光したり。最近、そういうのしてないだろ?」


「確かに」


私は少し考えた。


「じゃあ、今度は私が行き先決めるね」


「また山奥だったりして」


「そんなことないって!」


「どうだかな」


「もう、信用ないなあ」


直人は楽しそうに笑った。


私もつられて笑った。


家に着いた頃には、すっかり夕方になっていた。


荷物を運び込み、私はすぐに容器の中身を確認した。


「由紀、夕飯どうする?」


キッチンから直人の声が聞こえた。


「簡単なのでいいよ。私も手伝う」


「分かった。じゃあ、先に準備してるな」


「うん、ありがとう」


私は持ち帰った花を一つずつ確かめた。


傷んでいる様子はない。


「由紀、どうだった?」


夕食の準備を一段落させた直人が、隣に来た。


「うん。大丈夫そう」


直人も容器の中を覗き込んだ。

第14話「休日の外出」

「……これって、あの図鑑に描かれてた花だよな?」


「うん。特徴も一致してる」


「こんなにたくさん必要なのか?」


「まだ分からない。でも、詳しく調べてみたいの」


私は容器の中の花を見つめた。


「これ、料理帳に暗号まで隠して、守っていたんだよね。栽培方法だって、数え歌に隠していたし。きっと何か特別なものなんだと思う」


「そうだね」


「これで、ようやく確かめられるかもしれない」


「そうだね」


「うん。でも、その前に確かめなきゃいけないことがあるの。あと曾祖母だけが責任を取らされた理由も、まだ分かっていないから」


「うん」


「……もう少し、私に付き合ってね」


直人は私を見た。


「今さら何言ってんだよ。最初から、そのつもりだろ? 最後まで付き合うよ」


「……ありがとう」


私は小さく笑った。


持ち帰った花を、あらかじめ用意しておいた場所へ移した。


扱いには十分注意しなければならない。


少しでも状態が変われば、これまでの時間が無駄になってしまうかもしれない。


私は最後に状態を確認し、静かに扉を閉めた。


「……よし」


これで、ひとまず大丈夫だろう。


リビングへ戻ると、直人が夕食の準備を続けていた。


「終わった?」


「うん」


「じゃあ、こっち手伝って」


「はーい」


私は手を洗い、直人の隣に立った。


いつもと変わらない夕食の準備。


いつもと変わらない、二人の時間。


けれど、今日という日は、私にとって大切な一日になった。


「由紀、今日は早めに寝ろよ。結構歩いたんだから」


「直人こそ」


「俺は平気」


「さっき疲れたって言ってたじゃん」


「……覚えてたか」


「もちろん」


私たちは顔を見合わせて笑った。

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