第13話「白い花」
あの暗号を解読してから、数日が経った。
料理の覚え書きから取り出した六つの文字。
『ときまちそう』
私はその言葉を何度も検索していた。
「……やっぱり出てこない」
検索結果には、似た名前の植物や、まったく関係のない言葉ばかりが並んでいる。
「由紀、まだ調べてるの?」
直人が飲み物を持ってきて、隣に座った。
「うん。あれからずっと調べてるんだけど、何も出てこなくて」
「植物の名前だと思ったんだけどな」
「私も。でも、植物図鑑のサイトにも載ってないの」
直人はパソコンの画面を覗き込んだ。
「漢字を変えてみたら?」
「一応、いくつか試したんだけどね」
私は検索欄に、別の漢字を入力してみた。
時待草。
検索結果は変わらなかった。
「……これも駄目か」
「昔の植物なら、今は名前が変わってる可能性もあるんじゃない?」
「そうかもしれないね」
私は小さくため息をついた。
「そもそも、本当に植物の名前なのかな」
「料理帳に隠されてた言葉だからな。何か意味はあると思うけど」
「うん……」
私はパソコンを閉じた。
そのとき、棚に並べてある曾祖母の遺品が目に入った。
「……そうだ」
「どうした?」
「曾祖母の植物図鑑!」
私は棚に向かった。
以前、曾祖母の遺品を調べたとき、植物について細かく記された図鑑を見つけていた。
「それ、実家から持ってきたやつ?」
直人が一冊を手に取った。
「うん。曾祖母が残した植物図鑑なの」
私は図鑑を机に広げた。
そこには、植物の名前や特徴、生育環境などが細かく書き残されていた。
色鉛筆で描かれた花の絵や、押し花が挟まれているページもある。
「本当に植物が好きだったんだな」
「うん。おばあちゃんも、曾祖母は植物も動物も大切にする人だったって言ってたよ」
私は一枚ずつページをめくった。
花の名前を確認しながら、何か手がかりがないか探していく。
しかし、時待草という名前は見つからなかった。
「……やっぱり載ってないね」
「まだ後ろがあるだろ?」
「そうだね」
私はさらにページをめくった。
すると、一枚の花の絵が目に留まった。
「……あれ?」
「どうした?」
「この花だけ、名前が書いてない」
直人が横から覗き込んだ。
そこには、細い茎の先に六枚の花びらを広げた、白い花が描かれていた。
「本当だ。他の花には全部名前があるのに」
「うん。それに、説明も少ない」
絵の横には、短い文章が添えられていた。
『白色の六弁花。低温を好む。通常の土壌では生育せず』
「……普通の土では育たないんだ」
「変わった花だな」
「これが時待草なのかな?」
「どうだろう。名前がないだけじゃ、何とも言えないな」
「そうだよね……」
私はそのページに紙を挟み、さらに先をめくった。
すると、途中からページが不自然に厚くなっていることに気づいた。
「……あれ?」
「今度は何?」
「ここ、何か変じゃない?」
私はページの端に指をかけた。
何枚もの紙が重なり、貼り合わされているようだった。
「……くっついてる?」
直人が横から覗き込んだ。
「本当だ。何だろうな」
よく見ると、貼り合わされたページの中央が四角くくり抜かれ、小さな箱のような空間が作られていた。
その中には、容器がぴったりとはめ込まれていた。
「……え?」
「何これ……」
直人も驚いたように身を乗り出した。
「図鑑の中に隠してあったのか?」
「みたい……」
私は容器を指でつまみ、ゆっくり取り出した。
手のひらに収まるほどの大きさだった。
「開けてみる?」
直人が尋ねた。
「うん」
私は蓋を開けた。
中には、小さく折りたたまれた紙と、一本の古い鍵が入っていた。
「……鍵?」
直人が鍵を手に取った。
「ずいぶん古そうだな」
「何の鍵だろう?」
「さあ……」
私は折りたたまれた紙を広げた。
黄ばんだ紙には、手書きの文字が並んでいた。
『白き山の懐に、眠る花あり。
天の雫が石の皿を満たし、
水は留まらず、絶えず巡る。
日の光届かぬ静寂の底、
百年の時を待ち、白き花は目を覚ます。』
「……これって」
直人が紙を覗き込んだ。
「昔の言い伝えみたいだな」
「うん。でも、花のことが書いてある」
私は最後の一文をもう一度読んだ。
『百年の時を待ち、白き花は目を覚ます。』
「……百年の時を待つ」
「時待草?」
直人がつぶやいた。
私は顔を上げた。
「そう! この花のことじゃないかな?」
「でも、花の名前は書いてないぞ」
「うん。でも、料理帳の暗号から出てきた言葉と、関係がある気がする」
私は紙を裏返した。
「……あれ?」
「どうした?」
「直人、これ見て」
紙の裏側には、小さな花の絵が描かれていた。
細い茎の先に、六枚の花びらが広がっている。
「……これ、さっきの花じゃない?」
直人が図鑑を手に取った。
私は先ほど紙を挟んだページを開いた。
二つの絵を並べる。
「……似てる」
「花びらの数も、茎の形も同じだな」
「やっぱり、この花が時待草なのかな」
「可能性は高そうだな」
私は二つの絵を見比べてから、もう一度、紙に書かれた文章を読んだ。
「ねえ、直人。この『白き山』って、どこのことだと思う?」
「白い山?」
「雪山とか」
「雪山か……」
「図鑑にも低温を好むって書いてあるし、寒い場所に咲く花なのかもしれない」
私はパソコンを開き、雪山に生息する白い花を検索した。
いくつもの高山植物が表示された。
「白い花って、結構あるんだね」
「そうだな」
「でも、六枚の花びらで、普通の土では育たないとなると……」
私は検索結果を一つずつ確認した。
花びらが五枚のものばかりで、六枚のものが見つかっても、茎の形が図鑑の絵とは違う。
しかも、どれも普通に土へ根を張る花だった。
「……違うのかな」
直人が紙を手に取った。
「由紀、ちょっと待って」
「何?」
「雪山だと、ここの説明が変じゃないか?」
直人が二行目を指さした。
『天の雫が石の皿を満たし』
「石の皿って何だろうな」
「岩の窪みとか?」
「だったら、雪山じゃなくてもいいよな」
「……確かに」
「それに、『日の光届かぬ静寂の底』って書いてある」
「雪山の中で、日の光が届かない場所……」
私は少し考えた。
「洞窟?」
「俺もそう思った」
「でも、白い山って書いてあるよ?」
「白いのは雪じゃなくて、岩の色かもしれないだろ」
「岩の色?」
「石灰岩とか」
私は顔を上げた。
「……石灰岩?」
「白っぽい岩だろ。石灰岩の山なら、洞窟もありそうだし」
私はすぐに検索欄へ文字を入力した。
石灰岩、洞窟。
画面には、鍾乳洞の写真がいくつも表示された。
天井から垂れ下がる鍾乳石。
地面から伸びる石筍。
岩の表面を流れる地下水。
「……あっ」
私は一枚の写真で手を止めた。
白っぽい岩の窪みに、水が溜まっている。
「直人、これ見て」
「ん?」
「石の皿って、こういうことじゃない?」
直人は画面を覗き込んだ。
「なるほど。確かに皿みたいだな」
「それに、天井から水が滴ってる」
「『天の雫』か」
私は紙を机に置いた。
「じゃあ、『水は留まらず、絶えず巡る』っていうのは……」
「地下水が流れてるってことか?」
「うん。水が溜まったままじゃなくて、入れ替わってる場所なのかも」
直人は頷きかけて、もう一度画面を見た。
「でも、それなら普通の鍾乳洞にもありそうだな」
「……そうだね」
私は検索結果をスクロールした。
似たような場所はいくつもある。
石灰岩の洞窟。
滴る水。
日の光が届かない場所。
条件は合っているように思える。
けれど、どこなのかまでは分からなかった。
「……これだけじゃ、場所を特定できないね」
「そもそも、石灰岩っていうのも俺たちの推測だしな」
「うん。白き山が、本当に岩の色を指しているのかも分からない」
私は図鑑に描かれた白い花を見つめた。
「でも、普通の土では育たないっていう説明とは、合う気がする」
「岩の窪みに根を張る植物ってこと?」
「そうかもしれない。でも、水の中なのか、岩の表面なのかも分からないね」
直人は紙の最後の一文を指さした。
「それより、こっちはどう思う?」
『百年の時を待ち、白き花は目を覚ます。』
「百年に一度しか咲かないってことなのかな」
「そんな植物、本当にあるのか?」
「分からない。百年経たないと花が咲かないのかもしれないし……」
私は少し考えた。
「百年前に何かあった、っていう意味かもしれない」
「なるほどな」
「そもそも、言い伝えみたいな文章だから、本当に百年なのかも分からないよね」
「確かに。長い年月って意味で使ってる可能性もあるな」
私は紙を裏返した。
六枚の花びらを持つ白い花。
その絵を描いた曾祖母は、実際にこの花を見たのだろうか。
それとも、誰かから聞いた話を記録しただけなのだろうか。
「……ねえ、直人」
「ん?」
「曾祖母は、どうしてこの花を隠したんだろう」
「それは分からないな」
「図鑑には名前のない絵だけ残して、料理帳には名前を暗号にして……」
私は机の上に並んだものを見つめた。
「普通に名前を書けば済むことなのに」
「知られたくない理由があったんじゃないか?」
「……だったら、どうして絵は残したんだろう」
直人は答えなかった。
私は古い鍵に目を向けた。
「それに、この鍵」
直人が鍵を持ち上げた。
「花の場所を示す紙と一緒に入ってたんだよな」
「そう。どうして鍵まで必要だったんだろう」
「何かを開けるためだろうけど……」
「洞窟に鍵なんて必要なのかな?」
「普通は必要ないだろうな」
「じゃあ、別の場所の鍵?」
「その可能性もあるな」
私は鍵を受け取り、手のひらに載せた。
小さな金属の鍵。
何を開けるものなのか、見当もつかない。
「……謎が増えちゃったね」
直人が小さく笑った。
「でも、何も分からなかったときよりは進んだだろ?」
「そうだね」
私はもう一度、パソコンの画面を見た。
石灰岩の洞窟なら、日本にもいくつもある。
その中には、一般の人が見学できる場所もあった。
「……実際に見に行ってみようかな」
「洞窟に?」
「うん。写真だけじゃ分からないこともあると思うし」
直人は少し考えてから頷いた。
「いいんじゃないか。俺も気になるし」
「本当?」
「うん。ただ、見学できる範囲は確認しないとな。奥まで自由に入れるわけじゃないだろうし」
「そうだね。勝手に入るわけにはいかないもんね」
私たちは見学できる鍾乳洞をいくつか調べた。
地下水が流れている場所。
白っぽい岩が見られる場所。
できるだけ、紙に書かれた条件に近そうな場所を探していく。
けれど、どれも決め手には欠けていた。
「……結構あるんだね」
「全部回るわけにもいかないしな」
「うん。でも、まずは一か所行ってみようかな」
直人が画面を指さした。
「ここはどう? 地下水が流れてるって書いてある」
私は紹介ページを開いた。
写真には、白っぽい岩肌と、その間を流れる水が写っていた。
「……ここなら、何か分かるかもしれないね」
「じゃあ、今度の休みに行ってみるか」
「うん!」
私たちは営業時間と見学できる範囲を確認し、休日に訪れることにした。
私はパソコンを閉じ、机の上に並べたものを見つめた。
曾祖母の植物図鑑。
言い伝えと花の絵が描かれた紙。
そして、古い鍵。
どれも、曾祖母が百年以上前に残したものだった。
私は図鑑に描かれた白い花を指でなぞった。
「……曾祖母」
石灰岩の洞窟という考えも、今はただの推測にすぎない。
それでも、何度検索しても見つからなかった『ときまちそう』という言葉が、少しだけ形を持ち始めた気がした。
私は紙を丁寧に折りたたみ、鍵と一緒に容器へ戻した。
百年の時を待つ、白い花。
まだ、何一つ確かなことは分からない。
けれど、次の手がかりは、あの白い岩の奥にあるのかもしれない。




