第12話「六つの印」
その夜、私は食卓に二冊を並べたまま、考え込んでいた。
数え歌のノートと、曾祖母の料理の覚え書き。
どちらにも、一つ、二つ、三つという数が出てくる。
「由紀、まだ起きてたの?」
風呂上がりの直人が、タオルで髪を拭きながら顔を出した。
「うん。ちょっと、さっきの続き」
「あの点のやつ?」
「そう」
直人は私の向かいに座り、麦茶を一口飲んだ。
「で、何か分かった?」
「まだ。でも、歌のほうを読み直してみたの」
私はノートを開いた。
白いお皿に 雨が降る
お魚三匹 眠ってる
三つずつ並んだ 波ふたつ
後ろの波から 先に起き
雨の数の 文字を拾う
一匹起きたら 水が流れ
二匹起きたら 戸を閉める
三匹起きたら 火を消して
明日のご飯は 誰のもの
明日のご飯は 誰のもの
「『白いお皿に 雨が降る』」
「それがどうした?」
「この白いお皿って、本当にお皿のことなのかな?」
「違うの?」
「例えば、白い紙だったら?」
直人は首を傾げた。
「……白い紙?」
「雨粒って、点みたいでしょ」
私は料理の覚え書きの最後のページを開き、直人に見せた。
「ほら、ここにも点が並んでる」
「……なるほど。白い紙の上に、雨粒みたいな点か」
「うん。そう考えると、少しつながる気がするの」
直人は数え歌を読み返した。
「じゃあ、『お魚三匹 眠ってる』は?」
「三匹って、三種類の点のことじゃないかな」
「一つ、二つ、三つか」
「そう。それに、次の歌詞も気になるの」
私は指で一行をなぞった。
「『三つずつ並んだ 波ふたつ』」
「……三つずつ、二つ?」
直人は料理帳を引き寄せた。
「ここ、文章が六つあるよな」
「うん」
「六つを三つずつに分けたら、二組になる」
私は料理帳の六行を見つめた。
・・ みそを溶く。
・ ちりめんをのせる。
・・・ ごぼうを切る。
・・ あきなすを焼く。
・ とまとを刻む。
・・・ ごままんじゅうを作る。
「……本当だ」
私は前半の三行と後半の三行の間に、鉛筆で線を引いた。
「これが二つの波ってこと?」
「かもしれないな」
直人は歌の続きを読んだ。
「『後ろの波から 先に起き』……」
「後ろの波?」
「波が三行ずつの組を指してるなら、後ろの三行から先に読むってことじゃないか?」
「……あ!」
私は後半の三行を指さした。
「じゃあ、こっちから?」
「そういうことになるな」
「でも、後ろの三行も、点の数が二つ、一つ、三つの順番だよ?」
「歌を見てみろよ。一匹起きたら、二匹起きたら、三匹起きたら、だろ」
直人が歌の後半を指でとんとんと叩いた。
「点が増える順に起きる。そういうことじゃないか?」
「……そっか。点が一つ、二つ、三つの順番に並べ替えるんだ!」
私は紙を一枚取り出した。
まず、後半の三行を書き写す。
・ とまとを刻む。
・・ あきなすを焼く。
・・・ ごままんじゅうを作る。
「これで一つ、二つ、三つになった」
「うん。じゃあ、次は?」
直人は歌の一節を指さした。
「『雨の数の 文字を拾う』」
「……雨の数?」
「さっき、雨粒は点のことだって言っただろ?」
「うん」
「だったら、点が一つなら一文字目、二つなら二文字目、三つなら三文字目を拾うってことじゃないか?」
私は顔を上げた。
「……文字の位置!」
「そう。試してみよう」
私は一行目を見た。
「点が一つ。『とまと』の一文字目だから……『と』」
紙に「と」と書く。
「次は点が二つ。『あきなす』の二文字目だから……『き』」
「最後は点が三つだから、『ごままんじゅう』の三文字目」
私は指で数えた。
「ご、ま、ま……『ま』!」
紙には、三つの文字が並んだ。
『と・き・ま』
「……ときま?」
直人が読み上げた。
「これだけじゃ、まだ分からないな」
「うん。でも、前半の三行もある!」
私は料理帳の前半に目を戻した。
こちらも点の数が一つ、二つ、三つになるように並べ替える。
・ ちりめんをのせる。
・・ みそを溶く。
・・・ ごぼうを切る。
「点が一つだから、『ちりめん』の一文字目は『ち』」
「次は『みそ』の二文字目だな」
「『そ』!」
私は続けて書き込んだ。
「最後は『ごぼう』の三文字目だから……『う』」
三つの文字が並んだ。
『ち・そ・う』
「……ちそう?」
私は思わず口にした。
「ごちそう、の『ご』が抜けたみたい」
「料理帳だからな。それっぽく聞こえるけど」
直人が笑った。
「たぶん、そのままの意味じゃないだろ」
「だよね。でも、歌では後ろの波から先に起きるんだよね」
私は二つの組を見比べた。
後半から取り出した『ときま』。
前半から取り出した『ちそう』。
「……じゃあ、この順番につなげたら?」
私は新しい紙に、六つの文字を書き並べた。
と・き・ま・ち・そ・う
「…………」
思わず、鉛筆を止めた。
「どうした?」
「直人、見て!」
私は紙を直人のほうへ向けた。
「……と、き、ま、ち、そ、う?」
直人が顔を上げた。
「ときまちそう?」
「そう! 全部、歌の順番どおりになってる!」
直人は料理帳と数え歌を交互に見て、小さく息を吐いた。
「……すごいな。本当に暗号になってたんだ」
「でも、これって何だろう?」
「聞いたことないな」
直人は紙を覗き込んだ。
「最後の『そう』って、草のことかな?」
「……あ!」
私は顔を上げた。
「植物の名前かもしれない!」
「『時を待つ草』ってことか?」
「そう考えると、なんだか変わった名前だね」
「本当にそんな植物があるのかな?」
「分かんない。でも、調べてみる価値はありそう!」
私は数え歌のノートに目を戻した。
子どもの頃、何も考えずに歌っていた言葉が、まったく違って見えた。
「ねえ、直人」
「ん?」
「曾祖母は、どうしてこんな回りくどい方法で名前を残したんだろう?」
「……誰かに知られたくなかったとか?」
「やっぱり、そう思う?」
「普通に書けば済む話だもんな」
私はふと、歌の中ほどの三行に目を留めた。
一匹起きたら 水が流れ
二匹起きたら 戸を閉める
三匹起きたら 火を消して
「……ねえ、この三つは?」
「ん?」
「文字を拾うときには、一度も使わなかったよね」
直人も歌を覗き込んだ。
「……確かに」
水を替える。戸を閉める。火を消す。
どれも、ただの暮らしの動作に見える。
けれど、使われなかったということは、別の意味があるのかもしれない。
『明日のご飯は 誰のもの』
曾祖母が隠してまで残した言葉。
それが本当に植物の名前なのか、まだ分からない。
けれど、料理帳に隠されていた六つの文字だけは、確かに読み取れた。
『ときまちそう』
それが何を意味するのか。
そして、使われなかった三つの動作は、何を隠しているのか。
今の私たちには、まだ分からなかった。




