第6話 ああ、死ぬんだなあ
在籍当時、ライフジャケットの着用は義務であった。
ただ、それは形式的なもので、浮力基準など考慮されていなかった。
着用しているか否かを検査するだけのことであった。
私たち自身も、安全など二の次であった。
学連から指導されるまで、みな裸足で乗艇していた。
ちぇ、るせーこといいやがる、、、
そんな時代だった。
2年生になると、時にスキッパーとして出艇できる。
出艇前に配艇が発表されると、内心「やったー!」と嬉しさ覚える。
ある春の練習日、スキッパーとして指名された。
クルーの相棒は、同期の部員であった。
風の強い午後であったが「何するものぞ!」の意気で出艇した。
あにはからんや、沈する羽目になろうとは。。。
バウ沈であったか、ジャイブ失敗であったかの記憶は定かでない。
艇は完沈して、クジラになってしまった。
何とか艇を起こそうとするが、次々に高波が襲ってきて手に負えない。
舷側にすがりつく私たちは、船首から艇尾へ、あるいはその逆へと容赦なく流され続けた。
もちろんライフジャケットを着用していたが、操艇の邪魔にならない薄肉タイプであった。
それは先輩からのお下がりで、浮力のテストなどしたこともなかった。
重ね着したセーターは水を吸い、カツオカッパは足手まといになるばかり。
おまけになんと、年代物のライジャケは浮力どころか、スポンジになる始末だった。
どれほど長く海中にいたのか記憶にない。
沈の直後は、海中のほうが外気より暖かく感じられたが、もうそれどころではない。
凍る寒さに震えていた。
舷側に縋り付いているだけでアップアップ。
反対舷で流されていた相棒を見る余裕もなくなった。
疲れ切って、掴まっている腕もヒジが伸びてきた。
ふと上を見ると、海面が見える。
ありゃりゃ? 何か変だぞ???
つまり、、、
おれは沈んでいるんだな。。。
なぜか、まったく苦しくない。
・・・ふーんそうか、死ぬんだな、、、
恐怖感などなく、至って冷静であった。
テレビドラマで見た覚えのある映像が流れる。
新聞社の輪転機が回って、一面の見出しがクローズアップされる。
おふくろ、泣かなければいいけどなあ。。。
監督さんにも迷惑かけるなあ。。。
次の瞬間、襟首を引っ張り上げられた。
誰に助けられたのか、どのように浜に戻ったのか、まったく記憶にない。
たぶん僕たちは、いつも通りYMCAの温水シャワー室に放り込まれたのだろう。
誰があの艇を浜に戻したのか、考える余裕もなかった。
練習後、今日の出来事など誰も話題にしない。
当たり前の普段の生活があるだけだった。
後書き>
当時、私たちのクラブは予算もなく、救助艇を保有していなかった。
手に負えなくなったときは、誰かが浜に戻って救助を依頼することになる。
沈艇の乗員は、救助艇が到着するまで1時間以上海から上がることはできない。
いつも、浜の隣にある「Nマリーナ」管理事務所に救助をお願いしていた。
私たちは、総じて「Sさん」と呼んでいた。
毎度イヤな顔一つせず、当たり前に救助艇を出してくれた。
在籍中、何度助けてもらったことだろう。
正に命の恩人であった。
感謝の念に堪えません。
救助され後、一升瓶2本を熨斗に包んで、キャプテン以下が管理事務所にお礼に伺う。
「そんなもん、持ってくるなあ!」
毎度の恒例行事であった。




