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ヨット部員の日々  作者: 原西夏生


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7/8

第6話 ああ、死ぬんだなあ

在籍当時、ライフジャケットの着用は義務であった。

ただ、それは形式的なもので、浮力基準など考慮されていなかった。

着用しているか否かを検査するだけのことであった。

私たち自身も、安全など二の次であった。

学連から指導されるまで、みな裸足(はだし)で乗艇していた。

ちぇ、るせーこといいやがる、、、

そんな時代だった。

2年生になると、時にスキッパーとして出艇できる。

出艇前に配艇が発表されると、内心「やったー!」と嬉しさ覚える。

ある春の練習日、スキッパーとして指名された。

クルーの相棒は、同期の部員であった。

風の強い午後であったが「何するものぞ!」の意気で出艇した。


あにはからんや、沈する羽目になろうとは。。。

バウ沈であったか、ジャイブ失敗であったかの記憶は定かでない。

艇は完沈(かんちん)して、クジラになってしまった。

何とか艇を起こそうとするが、次々に高波が襲ってきて手に負えない。

舷側にすがりつく私たちは、船首(バウ)から艇尾(スターン)へ、あるいはその逆へと容赦なく流され続けた。


もちろんライフジャケットを着用していたが、操艇の邪魔にならない薄肉タイプであった。

それは先輩からのお下がりで、浮力のテストなどしたこともなかった。

重ね着したセーターは水を吸い、カツオカッパは足手まといになるばかり。

おまけになんと、年代物のライジャケは浮力どころか、スポンジになる始末だった。


どれほど長く海中にいたのか記憶にない。

沈の直後は、海中のほうが外気より暖かく感じられたが、もうそれどころではない。

凍る寒さに震えていた。

舷側に縋(すが)り付いているだけでアップアップ。

反対舷で流されていた相棒を見る余裕もなくなった。

疲れ切って、掴(つか)まっている腕もヒジが伸びてきた。


ふと上を見ると、海面が見える。

ありゃりゃ? 何か変だぞ???

つまり、、、

おれは沈んでいるんだな。。。

なぜか、まったく苦しくない。

・・・ふーんそうか、死ぬんだな、、、


恐怖感などなく、至って冷静であった。

テレビドラマで見た覚えのある映像が流れる。

新聞社の輪転機が回って、一面の見出しがクローズアップされる。

おふくろ、泣かなければいいけどなあ。。。

監督さんにも迷惑かけるなあ。。。


次の瞬間、襟首を引っ張り上げられた。

誰に助けられたのか、どのように浜に戻ったのか、まったく記憶にない。

たぶん僕たちは、いつも通りYMCAの温水シャワー室に放り込まれたのだろう。

誰があの艇を浜に戻したのか、考える余裕もなかった。


練習後、今日の出来事など誰も話題にしない。

当たり前の普段の生活があるだけだった。

後書き>

当時、私たちのクラブは予算もなく、救助艇を保有していなかった。

手に負えなくなったときは、誰かが浜に戻って救助を依頼することになる。

沈艇の乗員は、救助艇が到着するまで1時間以上海から上がることはできない。


いつも、浜の隣にある「Nマリーナ」管理事務所に救助をお願いしていた。

私たちは、総じて「Sさん」と呼んでいた。

毎度イヤな顔一つせず、当たり前に救助艇を出してくれた。

在籍中、何度助けてもらったことだろう。

正に命の恩人であった。

感謝の念に堪えません。


救助され後、一升瓶2本を熨斗(のし)に包んで、キャプテン以下が管理事務所にお礼に伺う。

「そんなもん、持ってくるなあ!」

毎度の恒例行事であった。

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