第3話 二行の返信
送ってしまった。
翌朝、目が覚めてすぐにそう思った。布団の中でスマホを開き、送信済みの感想メッセージを読み返す。二千八百字。朝の頭で読むと、昨夜よりさらに重く見える。
あれはまずかった。
夜のテンションで書いた構造分析と、最後に足した「教えていただけることがあれば」の一文と、それを三千字近くにまで膨らませた敬意の総量。どれか一つでも抑えていたら、もう少し普通の感想だった気がする。
通知欄を確認した。返信はない。当然だ。まだ送ってから半日しか経っていない。閉じた。スマホを伏せた。三秒で裏返した。通知はない。
大学に向かう電車の中でも同じことを繰り返した。ポケットの中でスマホが振動した気がして取り出す。天気アプリの通知だった。次の振動はニュースアプリだった。
教室に着いてあかりの隣に座った。講義が始まる前に、もう一度だけ確認した。返信はない。
「また見てる」
あかりの声が横から来た。
「見てない」
「見てた」
「確認しただけ」
「何を」
「……通知」
あかりが少し首を傾げた。
「それ恋では」
「違う」
即答した。即答しすぎたかもしれない。
「いや、違う。そういうのじゃない。ただ、あの文量を見て引かれてないか確認したいだけで」
「それを恋と言うのでは」
「違うって。敬意の確認だから」
あかりは「ふうん」と言って前を向いた。納得はしていない顔だった。
講義中も集中できなかった。ノートを取る手が止まるたびに、スマホに手が伸びそうになる。
送った文章のあの段落、構造分析が唐突すぎなかったか。最後の「教えていただけることがあれば」は馴れ馴れしすぎなかったか。そもそも初対面でいきなり創作相談を混ぜたのは常識的にどうなのか。
「長い」「怖い」「引かれた」が頭の中で無限にループした。
帰り道、駅のホームでまた確認した。返信はない。電車に乗った。スマホを鞄にしまった。十秒で出した。
自室に戻って、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。天井を見た。スマホを持ち上げた。
通知が来ていた。
心臓が一回大きく鳴った。投稿サイトからの通知。まる助からの返信。
深呼吸した。もう一回した。指が少し震えていたが、それは認めたくなかった。
開いた。
短かった。想像よりずっと短かった。
二千八百字に対する返信が、二行だった。
「読んでますね。理屈も通っています。
書くなら短い話を一本出してみてください。最初は上手くなくて普通です。」
それだけだった。
一瞬、拍子抜けした。あれだけ書いたのに、二行。もう少し何かあってもいいんじゃないかと思った。感想への感想とか、分析への補足とか。
でも、もう一度読んだ。
「読んでますね。」
ちゃんと読まれている。二千八百字を流し読みした人間の返し方ではない。「読んでますね」は、こちらの読みの深さを認めた言葉だった。
「理屈も通っています。」
褒めているわけではない。だが否定もしていない。こちらの考察を、雑に扱っていない。読んで、確認して、筋が通っていると判断した。それだけのことを、余計な装飾なしに書いている。
「書くなら短い話を一本出してみてください。」
次の一歩をくれている。感想を送ってきた相手に「ありがとうございます」で返すのではなく、「じゃあ書いてみろ」と言っている。しかも「短い話を一本」と具体的だ。何をすればいいかまで示している。
「最初は上手くなくて普通です。」
これが、一番効いた。
上手くなくていい。普通だ。そう言い切っている。慰めではない。事実として言っている。この人は自分も最初はそうだったのかもしれない。あるいは、たくさんの書き始めた人を見てきたのかもしれない。どちらにしても、初めて書くことへの恐怖を、あらかじめ外してくれている。
三回読んだ。四回読んだ。五回目で、目の奥が少し熱くなった。
泣くようなことではないのに。二行だ。たった二行の返信だ。なのに、この人はちゃんと読んで、ちゃんと返して、ちゃんと次を示してくれている。
私の受け取り方を、ちゃんと受け取ってくれた。
それが、たまらなかった。
スマホを抱えてベッドの上を転がった。仰向けになって画面を見た。また読んだ。スクリーンショットを撮った。保存先のフォルダ名を考えて、一瞬「師匠」と打ちかけた。さすがにやめた。まだ師匠ではない。向こうは弟子を取っていない。「参考」にした。嘘だった。
しばらくそのまま天井を見ていた。
「書くなら短い話を一本出してみてください。」
妙に具体的だ。短い話。一本。読むだけだった世界に、急に入口が見えた。
自分が何を書けるかなんて、考えたことがなかった。読む側としてはずっと考えてきた。この展開がいい、この距離感がいい、ここで気持ちが動く。でもそれを自分で組み立てるとなると、何から始めればいいのか分からない。
ただ、一つだけ思ったことがある。
異世界恋愛なら、触れられるかもしれない。
三年間ずっと読んできた。好きな展開も、心地いい距離感も、読者として何が気持ちいいかも、感覚としてはある。それをまる助の言う「短い話」に落とし込めるかどうかは分からない。でも、触れることはできる気がした。
まだ「書く」と決めたわけではない。でも「やってみる」の輪郭は、もう見えていた。
机に向かった。ノートを開いた。何も書かなかった。でも、開いた。
この人の言葉なら、試してみたいと思った。




