第2話 感想が長すぎる
翌日から、私の巡回先が一つ増えた。
まる助の作者ページ。過去作一覧、活動報告、感想返し。全部読んだ。読むつもりがなくても開いてしまう。過去作は五本あって、そのどれにも温度差がある。市場を意識して書いたものと、そうでないもの。書いている人間の迷いが、並びだけで見える。
活動報告はもっと面白かった。読んだ作品の感想、ジャンル分析、構造の話、タイトルの付け方、導線の引き方。
理屈っぽい。ひたすら理屈っぽい。だが雑ではなかった。自分が何をやろうとしていて、何がうまくいかなかったのかを、ごまかさずに書いている。
感想返しも丁寧だった。短いが、読者の言葉を受け取ったうえで返している。定型文ではない。毎回ちゃんと考えて返している。それが分かる返し方だった。
三年分の記録を、私は二日で読んだ。
「この活動報告、だいぶ理屈っぽい。でも嫌いじゃない」
大学の帰り道、カフェであかりにそう言ったら、向かいでアイスティーを飲んでいたあかりが目を細めた。
「何でそこまで読むの」
「そこに思想があるから」
「思想」
「うん。考えて書いてる人の思想。こういう人の文章って、裏側から読むと見えるものがある」
あかりは一度ストローを離して、私を見た。
「で、その人の作品、面白いの」
「面白い」
「じゃあ面白いでいいじゃん」
「面白いだけじゃ足りないんだよ」
言いながら、自分でもそうだなと思った。面白い、だけでは足りない。なぜ読みにくいのに読まされるのか、なぜ入口が狭いのにこっちの中に残るのか。それを言いたい。誰かに、できれば書いた本人に。
「この人、不親切なのに信頼できるんだよ」
「分からん」
「説明を抜いてるのに、雑じゃないの」
「もっと分からん」
あかりは真顔だった。だが別にうんざりした顔ではない。この子はいつもこうだ。分からないものを分からないと正直に言うだけで、私の熱量そのものは否定しない。
「つまり、好きなんでしょ」
「好き。めちゃくちゃ好き」
「それでいいじゃん」
それでよくないから困っている。好き、だけでは届かない。ちゃんと受け取ったことを、ちゃんと伝えたい。この人の文章がどう効いたのかを、こっちの言葉で返したい。
帰宅して、PCの前に座った。
感想を書こう、と思った。投稿サイトの感想欄から送れる。アカウントがいる。今まで閲覧専門だったから、アカウントを持っていなかった。
登録画面を開いて、ユーザー名の欄で止まった。
本名は使いたくない。今の名字も、昔の名字も、画面の上には置きたくなかった。何か、それらしい名前がいい。少し考えて「七瀬ユイ」と打った。響きがよかった。それだけの理由だった。
アカウントができた。感想欄を開いた。
「面白かったです」
と書いた。一行。これでいいはずだった。
だが指が止まらなかった。
「特に中盤の交渉シーンで主人公が沈黙するところ、あの間の取り方が」
消した。いきなり構造の話は重い。
「最初は正直、導入が読みにくいと思いました。でも」
消した。最初にネガティブなことを書くべきではない。
「最後まで読んで、冒頭の一文の意味が変わりました」
これはいい。残した。続きを書いた。
書いた。書いた。止まらなくなった。
あの場面の沈黙が効いた理由。説明を抜いているのに読者を置き去りにしない技術。視線誘導の巧みさ。伏線が回収されたときの、読者として膝を打つ感覚ではなく、胸の奥が静かに鳴る感覚。それを全部言いたかった。
気づいたら文字数が二千を超えていた。
「長い」
声に出した。自分でも分かる。感想としては明らかに長い。削ろうと思った。構造分析の部分を削った。だがその代わりに、「この作品が自分にどう残ったか」という段落が増えた。差し引きゼロ。いや、少し増えた。
もう一度削った。今度は冒頭のお世辞を削った。だが末尾に「もし創作について教えていただけることがあれば」という一文が足された。自分で足した。感想ではなく相談が混ざった。
文字数を確認した。二千八百字。
「増えてる」
おかしい。削ったはずなのに増えている。感想がいつの間にか読解レポートになり、読解レポートがいつの間にか創作相談を含み始めている。
翌日、あかりにスマホで下書きを見せた。
あかりはスクロールした。しばらくスクロールした。スクロールが終わらなかった。
「長い」
「分かってる」
「重い」
「分かってる」
「怖い」
「それも分かってる」
あかりはスマホを返しながら言った。
「これ感想じゃなくて意見書」
「敬意はある」
「余計こわい」
否定できなかった。自分でも分かっている。初対面の相手にこの文量を送りつけるのは、常識的に考えて重い。引かれるかもしれない。気持ち悪いと思われるかもしれない。
でも、短くすると嘘になる。
「面白かったです」だけでは、この作品を受け取ったことにならない。あの沈黙も、あの導線も、あの読みにくさの中にある意志も、全部こっちには届いていた。それを適当な言葉で丸めたくなかった。
「でも、適当に送りたくない」
あかりは少し黙った。それから「まあ、あんたらしいけど」と言った。
夜、もう一度だけ読み返した。直すところはまだある。でもこれ以上直しても多分短くならない。むしろ増える。
送信ボタンの上に指を置いた。
ここを押したら、まる助という人の画面に、七瀬ユイという名前の知らない人間から、二千八百字の感想が届く。面白かったですの一言で済むものを、構造分析と考察と、最後に「教えてほしい」まで書いた長文が届く。
重い。自分でも分かる。
押した。
画面が切り替わって、「送信しました」の文字が出た。
取り消しボタンは見当たらなかった。
送信ボタンの向こうに、たぶん私の次があった。




