取引成立(前編)~もう一度
願いを書いて投函すれば願いを叶えてくれる郵便ポストの登場です。
駅前の寂れた商店街の路地裏に、今は使われていない郵便ポストがある。年季のいった古いポストで、俵谷式ポストと呼ばれている赤色鉄製の円筒形のポストだ。博物館で飾られていても不思議ではない年代物だ。
若者は郵便ポストだと分からないだろう。
このポストは、お願いポストと呼ばれていた。
ある伝説があった。
――願いごとを書いてポストに入れると叶えてくれる。
というのだ。ポストなだけに願いごとを手紙に書いて、投函すれば願いごとが叶うという伝説があった。願いごとをするには、いくつか決まりがあった。
先ず、手紙の宛名には「お願いポスト様」と書かなればならない。そして、何故、願いを叶えてもらいたいのか理由を書き、願いを叶えてもらう代わりに、自分が一番、大切にしているものを差し出さなければならない。
きちんと決まりごとを守っていても、願いが叶うとは限らない。
ポストの神は気まぐれなのだ。
滅多に人通りのない裏路地とは言え、願いごとを書いた手紙を持ってお願いポストを訪れる者は少なくなかった。もう何十年もここに立ち尽くしているのだ。願いごとを書いた手紙でポストが溢れていたとしても不思議ではない。でも、何故かポストから手紙が溢れたことは一度も無かった。また、このポストを開け、手紙を集配している者を見たものはいなかった。
お願いポストの噂を聞いた。
――別に願いごとなんてない。
と最初は思ったが、何でも願いを叶えてもらえるとなると、ひとつだけ、無理なお願いがあった。それは、
――ママに会いたい。
ということだ。僕が物心つく頃に、ママは病気で亡くなった。僕にはママの記憶というものがほとんどない。もう一度、ママに会ってみたい。ママの思い出が欲しい――というのが僕の願いだった。
手紙を書くことにした。
願いを叶えてもらう代わりに、一番、大切にしているものを差し出さなければならない。
――なんだろう?
と考えた時に、最新のゲーム機が頭に浮かんだ。今、一番のお気に入りで、大切にしているものと言えばゲーム機だ。
正直、差し出すのが惜しかったが、大丈夫だ。パパが買ってくれたものだが、きっと覚えていないと思う。
「新しいゲーム機を買って」とねだれば、直ぐに買ってくれるだろう。
仕事、仕事で、家に帰ってくるのが遅いし、朝はゆっくり話をしている暇がない。それに、最近は「新しいママが欲しくないか?」という話をするようになった。
パパだって寂しいのだ。
それくらい、僕にも分かる。だけど、ママのこと、忘れてしまいたくない。
お願いポスト様。
ボクにはママがいません。小さい頃にママは病気で亡くなりました。もう一度、ママに会ってみたい。一日だけで良いので、ママと過ごしてみたい。それがボクのお願いです。
代わりにお気に入りのゲーム機を差し上げます。ボクの願いをかなえてください。
僕は、「お願いポスト様」に手紙を書いた。
自転車に乗って駅前の商店街に行くと、路地裏にある古びた郵便ポストに投函した。ポストに向かって手を合わせ、
――ボクの願いを叶えてください。
と祈った。
自転車を漕いで自宅に戻る途中、散髪屋の前を通りかかると、店先の電光掲示板に「取引成立」という文字が出ていた。
家に帰り着いて、自分の部屋に戻ると、ゲーム機が消えていた。
「いいかげんに起きて」と揺り起こされて目が覚めた。
目の前にママの顔があった。僕は呆然とママの顔を見つめた。
「ほら。ぼんやりしていないで、起きて、朝ごはんを食べてよ。でないと、片づけができないでしょう」
ママにそう言われた。
「うん」と僕はベッドから抜け出すと、食卓についた。
朝食は、僕の大好きなハムエッグとトーストだった。「うわあ~」と思わず、声が出る。
「なあに? 何時もの朝ごはんなのに、今日は変ね」とママが言う。
「ママ、ありがとう」と僕が言うと、ママは嬉しそうな顔をして「あら~どうしたの。良い子じゃない。ねえ、今日、遊園地に行かない?」とご機嫌の笑顔で言った。
「でも、学校に行かなくちゃあ・・・」
「何を言っているの。今日は日曜日よ。ママ、お仕事、お休みだから、遊園地に連れて行ってあげる」
遊園地に連れて行ってやると言われて、喜ぶような年ではない。ましてや、うちの町にある遊園地は、ジェットコースターなど派手な乗り物がない、子供だましの遊具ばかりの寂れた遊園地だ。でも、ママと一緒なら、遊園地に行ってみたかった。
「うん。行く」僕は甘えて言った。
ママと二人で遊園地に行った。
冴えない遊園地がキラキラと輝いて見えた。僕は思いっきり、ママに甘えた。
「なあに、赤ちゃんに戻ったみたいだね」とママは笑っていた。
夢のような一日は、あっという間に終わってしまった。
家に戻り、ママが夕食をつくってくれた。
「ほら、あなたの好きなハンバーグよ」とママは言ったが、ママの手料理を食べるのなんて初めてだ。ハンバーグは好きだが、僕の好物だと言ったことなどなかったはずだ。
初めて食べたが、ママのハンバーグは何時も行っているレストランのハンバーグより美味しかった。
「もう寝る時間よ」
ママが言う。僕はこっそりと遊園地の半券を寝巻のポケットに忍ばせておいた。ママにせがんで、僕は寝付くまで傍にいてもらった。
「今日は随分、甘えん坊ね」とママは呆れていた。
「ママ」
「なあに?」
「何処にもいっちゃあ嫌だよ」
「馬鹿ね。何処にも行かない」
「うん」
僕は深い眠りに落ちた。
目が覚めると何時もの朝だった。
僕の部屋だ。勿論、ママなんていない。一人でベッドに寝ていた。
そう言えば、昨日は畳の部屋で布団を敷いて寝ていたような気がする。全然、気にならならなかったが、家はもっと狭かった。僕の部屋なんてなかったし、二階建ての一軒家でもなかった。アパートの一室だったような気がする。
遊園地に行ったのは夢だったのだろうか? そんなことない。昨日のことは細部に至るまで、はっきりと覚えている。
僕は寝巻のポケットをまさぐった。
――あった。
遊園地の半券がポケットの中に残っていた。
――夢じゃない。僕は昨日、ママと遊園地に行ったんだ!
それだけで嬉しかった。




