第106話:手続きの行方
王都南西区、公的補修事業の関連書類を管理する中央記録室。
天井まで届く木製棚には、無数の案件ごとの羊皮紙綴りが整然と収められていた。
俺とリィネは、事前に閲覧申請を行い、許可された閲覧机で資料を広げていた。机上に並ぶのは、『南西旧水路・定期点検費』の請求票と、その処理経路を示す承認記録だ。
「……手続きの承認順序が確認できました」
リィネが細い指先で、伝票の裏面に記された複数の署名を指し示した。
「この定期点検費の請求は、まず計画推進課の担当窓口から提出され、事業管理事務所の査定を経て、最終的に会計課で精算されています。記録上、承認の手続き自体は滞りなく完了していますね」
「だが、その承認の根拠となった作業報告書は、この記録綴りにも添付されていないわけか」
「はい。受付を担当した職員に確認したところ、『現場側で確認済みの案件として処理されているはずだ。報告書が別室の技術保管庫に移されている可能性もある』との回答でした。そこで技術保管庫の台帳も確認しましたが、該当する日付の報告書は見当たりませんでした」
リィネは資料を見比べながら、淡々と説明を続けた。
手続きは規定に沿って進められ、請求も精算されている。それにもかかわらず、実際の作業を裏付ける報告書だけが、確認した保管先では見つからない。
「単なる書類の移送ミスか、それとも報告書が未提出のまま処理が進められたのか……」
俺は伝票の記載をもう一度確かめた。
「夜間便の記録にも、この請求票にもレギン氏の名前がある。手配だけでなく、荷物の受領と請求の経緯も本人に確認してみよう」
「そうですね。どの段階で誰が何を確認したのか、本人の説明と記録を照らし合わせる必要があります」
俺たちは資料を整理して記録室を後にし、計画推進課の執務室がある庁舎へと向かった。
◆
計画推進課の執務室には、羽ペンが羊皮紙を走る音や、書類をめくる音が絶え間なく響いていた。職員たちはそれぞれの机で書類に目を通し、時折、隣の席の同僚と短く言葉を交わしている。
俺たちが案内された応接スペースに現れたのは、質素な服を着た四十代半ばの男――レギン氏だった。
突然の訪問に不審そうに眉をひそめたものの、リィネが提示したギルドの紹介状を確認すると、彼は向かいの席に腰を下ろした。
「補修事業の過去の記録について確認したい、とお聞きしましたが……一体どのようなご用件でしょうか」
レギン氏の口調に、目立った動揺はない。かといって、隠し事がないと判断できるほどの材料もない。ごく普通の役人らしい、落ち着いた受け答えだった。
「南西旧水路の補修事業についてです」
リィネが丁寧に切り出した。
「レギン様の署名が記された夜間便の受領記録と、『定期点検費』の請求票について、記録を確認しております。夜間便の手配書には具体的な品目が記されておらず、点検費についても、対応する作業報告書が確認できておりません。夜間便の荷物を受け取った経緯と、当時の手配や請求の手続きについて、お聞かせいただけますか?」
レギン氏は記憶をたどるように一度視線を上げ、それからゆっくりと頷いた。
「ああ、あの件ですか……。私は現場から回ってきた依頼書類や概算見積もりを確認し、定められた規定に沿って手配と請求の手続きを行いました。夜間便については、現場側から頼まれ、指定された受渡場所で私が荷物を受け取りました。到着した荷物と荷札を確認して、受領欄に署名したのです」
「現場からの依頼、ですか?」
俺が尋ねると、レギン氏は頷いた。
「ええ。旧水路の補修事業では、現地で作業を取りまとめる技術担当の部署があります。夜間便の手配も、点検費の計上も、彼らから提出された要請書に基づいて処理しました。夜間便については、現場の担当者が立ち会えないため、私が代わりに荷物を受け取るよう頼まれたのです。荷物を受け取った後は、現場側の担当者に引き渡しました。急を要する資材の確保や点検作業が必要だ、という説明でしたね」
「作業内容の明細や報告書については、どうなっていたのでしょうか?」
リィネが続けて尋ねる。
「詳細な作業内容は現場側で管理しているはずです。報告書についても、現場から提出されるものと認識していました」
レギン氏は書類の手続きをしただけではなかった。夜間便の荷物を実際に受け取り、受領欄に自分の署名を残していたのだ。ただし、荷物を受け取ったことと、その中身や用途を把握していたことは別の話だった。
だが、そこで話を終わらせるわけにはいかなかった。
俺は、これまでの調査で書き留めた記録を取り出し、該当する箇所を示した。
「レギン様。夜間便の受領記録には、荷物を受け取った証拠として署名が残っています。一方、こちらの定期点検費の請求票にも、現場の点検作業が完了したものとして、レギン様ご自身の署名が記されています」
「……ええ。荷物を受け取ったのは私です。ただ、点検作業そのものを私が現場で確認したわけではありません」
「ところが、作業報告書は確認できていません。荷物の受領とは違い、作業完了を確認するには報告書などの裏付けが必要なはずです。報告書が届いていない状態で、何を根拠に作業完了の確認欄へ署名されたのでしょうか?」
俺の問いに、レギン氏は一瞬言葉を詰まらせた。
「そ、それは……現場の技術担当から、報告書は後日提出するので、予算の締め切りに間に合わせるため、先に確認欄へ署名してほしいと要望されたからです」
「報告書を確認していないのに、作業完了を認める署名をしたということですか?」
リィネが念を押す。
「……結果としては、そうなります。現場の進行を優先するため、報告書の提出を後日に回す前提で手続きを進めてほしい、と説明されました。私は、現場側で作業が完了しているという説明を受け、それを前提に処理したのです」
レギン氏は、言い訳を探すように視線を落とした。
「ただ、報告書がその後どうなったのかまでは、私も把握していません。現場側から提出されているものと思っていました」
責め立てるのではなく、ただ事実を確認する。
彼の表情に浮かんでいるのは、少なくとも今のところ、明らかな敵意や露骨な動揺ではなかった。自分が処理した書類について、想定していなかった問題を指摘され、困惑しているようにも見える。
しかし、表情だけで彼の言葉を信じるわけにはいかない。
「分かりました。貴重なお話をありがとうございます」
俺とリィネは礼を述べ、応接スペースを後にした。
◆
庁舎を出た俺たちは、王都の通りを歩きながら、手帳を開いて情報を整理した。
「クロノ様、レギン氏の説明と、これまでに確認した帳簿を照らし合わせると……」
リィネが手帳に記した項目を指で追う。
「レギン氏は、現場の技術担当部署からの要請に基づいて夜間便を手配し、実際に荷物を受け取ったうえで、点検費の請求も処理したと説明しています。作業完了の確認については、現場側の説明を信じて署名したということですね」
「ああ。ただし、本人の説明が正しいかどうかは、まだ分からない」
俺は歩みを緩め、手帳の記録を見つめた。
「現場側の説明を信じて処理しただけかもしれない。あるいは、自分の責任を軽くするために、現場へ責任を転嫁している可能性もある。今の段階では、どちらとも判断できないな」
「ええ。それに、作業完了を確認したものとして署名した理由は説明されましたが、その判断を裏付ける資料は、まだ確認できていません」
リィネの指摘に、俺は頷いた。
「次に確認すべきなのは、レギン氏に要請を出したとされる現場の技術担当部署だ。どのような書類が提出され、誰が作業の完了を確認したのか。その記録を調べよう」
「要請書そのものが残っていれば、提出者や記載内容も確認できますね」
「そうだ。まずは記録を探す。証言だけで結論を出すのは早い」
俺たちは、これまでに集めた手掛かりを改めて整理した。
出荷数と受領数の食い違い。
夜間便で手配された『金属製補修部材一式』。
第四点検坑口に残されていた、人為的に掘られたとみられる横穴と金属切削屑。
そして今回明らかになった、作業報告書が見つからないまま処理された点検費の請求。
まだ、これらの点が一つにつながったわけではない。夜間便と地下の部材との関係も、点検費の請求が不自然な手配と結びついているかどうかも、証明されていなかった。
だが、レギン氏の証言によって、新たに確認すべき対象が見えてきた。
「行こう。次は、現場側の技術担当部署の記録を洗う」
俺は手帳を閉じ、次なる調査先へと歩き出した。
リィネもその隣に並ぶ。
地上の帳簿と手続きを追う調査は、少しずつ、現場で指示を出していた者たちへと近づきつつあった。




