第104話:暗がりへの一歩
第四点検坑口の内部。ひんやりとした湿気と古い石組みの匂いが漂う中、俺たちは横穴の入口に集まっていた。
今回、横穴の内部を調べるのは俺とガルド、バルドの三人だ。崩落の危険があるため、シィには坑口付近に残り、周囲の警戒と退路の監視を任せている。
リィネは拠点に残り、地上の記録調査と再進入に必要な資材の確認を進める手はずになっていた。
「ボス、ここから先が問題の横穴だ」
先頭に立つガルドがランタンを掲げ、不自然に削り広げられた横穴の天井を照らした。
「入口付近の亀裂には支柱を設置してある。だが、これで岩盤全体が安定したわけじゃねえ。進む前に状態を確かめる。異変の兆候があれば、すぐに引くぞ」
「ああ。安全の確保と退路の維持が最優先だ」
バルドが低い声で応じ、足元の崩落痕や壁面の歪みを照らし出す。
坑口の手前では、シィが周囲に目を配っていた。外から誰かが近づかないか、坑口周辺に新たな異変がないかを見張り、俺たちが戻るまで警戒を続ける。
「シィ、何か変化があれば、すぐに知らせてくれ」
「分かった。ここから動かず、周囲と退路を見ている」
シィの返事を聞き、俺はガルドとバルドに目を向けた。
「無理に奥へ進む必要はない。確認できる範囲を見極めて、危険があれば引き返そう」
「了解だ、ボス」
ガルドとバルドがうなずく。
俺たち三人は、横穴の入口から慎重に内部へ踏み込んだ。
◆
工具痕が残る岩盤の通路は、わずかに下りながら奥へと続いていた。
水路特有の整った直線的な造りとは違い、壁面には岩を削り取った跡が不規則に残っている。自然にできた裂け目ではなく、人の手で掘り進められた通路である可能性は高そうだった。
「……待て。足元に何かある」
ガルドが手で制し、腰を落とした。
崩れた土砂の隙間から拾い上げたのは、腐食の進んだ小さな木片だった。さらに周囲を調べると、木箱の破片らしきものと、そこに絡みついた粗い麻の梱包紐が見つかった。
「木箱の破片と梱包紐か……」
「荷物を運び込んだか、ここで開梱した痕跡かもしれねえな」
ガルドは破片をランタンの光にかざし、表面を慎重に確かめた。
「一般的な木材だな。荷札や工房の刻印らしいものは残っていねえ。この紐も、王都の物流で広く使われている種類に見える。これだけじゃ、どこから来た荷物なのかは分からん」
「いつ頃のものかも判断できないか?」
「腐食の具合だけじゃ難しいな。湿気や土砂にどれだけさらされていたかでも変わる。最近のものか、ずっと前からあったものか、今の段階じゃ断定できねえ」
俺はうなずいた。
「持ち帰って、運送会社や工房の記録と照らし合わせよう。似た梱包材が使われていたか、確認できるかもしれない」
木箱の破片と梱包紐を、状態が分かるように分けて布に包む。
物資が運び込まれた可能性を示す手掛かりではある。だが、これが例の夜間便で運ばれた荷物の梱包材だと決めつけるわけにはいかない。
現場に残されたものを、都合のいい仮説に当てはめるのは危険だ。
俺たちは周囲の状態を記録してから、さらに奥へと進んだ。
通路の傾斜は緩やかながら、少しずつ下向きになっている。手帳に書き留めた地下の経路と、方位磁針が示す方角を照らし合わせると、ある可能性が浮かび上がった。
「ガルド。この方角と傾斜……以前に確認した地下の経路と照らし合わせると、南西エリアの地下遺構へ向かっているように見える」
「ああ。俺もそう見ている。あの古代装置があった大空洞の方向と、おおむね一致しているな」
ガルドは方位磁針と見取り図を交互に確認した。
「だが、方角が合っているからといって、直接つながっているとは限らねえ。途中で曲がっている可能性もあるし、別の場所へ抜けている可能性もある」
「そうだな。実際にどこへ通じているのかは、確かめる必要がある」
俺たちは通路の傾斜や壁面の状態を記録しながら、進める範囲を少しずつ延ばしていった。
やがて、数十メートルほど進んだ先で、通路は崩落した土砂と落石によって塞がれていた。
「ここまでか……」
ガルドがランタンを掲げ、崩落地点の周囲を照らす。
天井には細い亀裂が走り、壁面にも新旧の判別が難しい割れ目が見られた。土砂を取り除けば先へ進めるかもしれない。だが、その作業によって崩落が広がる危険もある。
「これ以上、無理に土砂を取り除くのは危険だ。上の岩盤も不安定な可能性がある」
バルドが天井を確認しながら言った。
俺は崩落地点を見つめた。
中央装置の状態は、まだ確認できていない。
最後に地下大空洞を離れた時点では、急激な魔力の上昇は収まっていた。だが、それだけで装置が安定したとは言えない。その後も同じ状態が続いている保証はなかった。
一刻も早く戻りたい。けれど、目の前の横穴は崩落の危険を抱えている。支えも退路も十分に確保せずに進めば、装置へたどり着く前に身動きが取れなくなる恐れがあった。
「中央装置の問題は、まだ解決していない。だからといって、ここで無理をして別の崩落を引き起こせば、調査どころではなくなる」
「その通りだ。先へ進むなら、崩落地点の安全を確かめてからだな」
バルドの言葉に、ガルドも同意するようにうなずいた。
「ボス、今はここまでにしよう。確認できた範囲を記録して、支えと退路を整える。それから改めて奥を調べるべきだ」
俺は一度、横穴の奥へ視線を向けた。
手掛かりはある。だが、この先に何があるのかも、地下遺構へ直接つながっているのかも分からない。焦って進んだところで、確かな答えが得られるとは限らなかった。
「ああ。今日はここまでにしよう。崩落地点の状態も含めて記録しておく。再進入の準備と、地上での記録調査を並行して進めるぞ」
俺は手帳を開き、確認できた通路の方位と傾斜、入口から崩落地点までの距離を書き留めた。測定の誤差も考慮し、地下遺構との位置関係は、あくまで現時点での推定として残す。
直接の接続箇所は確認できなかった。
それでも、人の手で掘られた可能性の高い通路が地下遺構の方向へ延びていること、そして、その途中に木箱の破片と梱包紐が残されていたことは、新たに得られた事実だった。
俺たちは周囲をもう一度確認し、退路に危険がないことを確かめてから、来た道を引き返した。
◆
坑口へ戻ると、シィがすぐにこちらへ目を向けた。
「異常は?」
「今のところ、周囲に変化はない。誰かが出入りした様子も見ていない」
「分かった。引き続き警戒を頼む」
俺はそう告げ、ガルドとバルドとともに坑口を離れた。
拠点へ戻ると、リィネが机の上に一冊の精算控えを広げて待っていた。
「クロノ様、計画推進課の過去の請求記録から、気になるものが見つかりました」
「新たな記録か?」
「はい。夜間便が手配されたのと同じ時期に、レギン氏の名義で『南西旧水路・定期点検費』という請求票が処理されています。金額と予算枠は、計画推進課の事業枠と一致しています」
リィネは書類の項目を羽ペンで指し示した。
「ですが、この請求票には点検の具体的な実施場所や作業内容が記されていません。対応する作業報告書も、この請求記録には添付されていませんでした」
「定期点検費の請求票……」
俺は書類を手に取り、記載された項目を確かめた。
「この請求が、第四点検坑口や夜間便と直接関係しているかどうかは、まだ分からないんだな?」
「はい。現時点で確認できたのは、同じ時期に『南西旧水路・定期点検費』という名目の請求が処理されていたこと。そして、その請求票だけでは、具体的に何を点検したのかが分からないということです」
リィネは慎重に言葉を続けた。
「実際に定期点検が行われていた可能性もありますし、別の正規業務に関する費用だった可能性もあります。作業報告書が別の部署に保管されている可能性も、まだ否定できません」
「つまり、これだけで不正があったとは言えないわけか」
「その通りです。ただ、夜間便の作業指示書が確認できていないことに加えて、こちらの請求についても作業内容を裏付ける資料が見つかっていません。無関係な記録だと決めつけることも、逆に同じ件だと決めつけることもできない状況です」
俺は請求票を机に戻した。
夜間便の手配書には、運ばれた荷物の具体的な内容が記されていない。
そして、この請求票には、何を点検したのかを説明する資料が確認できていない。
どちらも、現時点では説明が不足している。ただし、その理由が同じだとは限らない。
「この請求票に対応する作業報告書や、実際に支払いが行われた際の記録を追ってくれ。どの部署が点検を依頼し、誰が作業を行い、どこで受け入れたのか。確認できる範囲から調べよう」
「分かりました。請求票の名義だけで判断せず、関連する記録をたどってみます」
リィネは書類を整理し、次に確認すべき項目を手帳へ書き留めた。
「それと、横穴の再調査に必要な道具も確認しておこう。崩落の危険がある以上、支えを増やすだけでなく、退路を確保する手段も考える必要がある」
「はい。必要な資材と調達先を整理しておきます」
リィネはすぐに別の紙を取り出し、必要な道具や資材を書き始めた。
地下へ戻る準備も、地上の記録を追う作業も、どちらか一方を後回しにはできない。
中央装置が今どうなっているのか、俺たちはまだ知らない。だからこそ、次に地下へ向かう時には、少しでも多くの準備を整えておく必要があった。
◆
地下から持ち帰った木箱の破片と梱包紐。地上で見つかった『南西旧水路・定期点検費』の請求票。
俺たちは、それぞれの調査で得られた手掛かりを机の上に並べた。
地下では、物資が運び込まれた可能性を示す梱包資材が見つかった。横穴は地下遺構の方向へ延びていたが、直接の接続は確認できていない。
地上では、夜間便と同じ時期に処理された定期点検費の請求票が見つかった。しかし、点検の具体的な内容や、対応する作業報告書の保管先は分からないままだ。
どれも、夜間便や『双頭の槌』の後付け部材、地下装置の不審な部材と直接結びついたわけではない。
依然として、それぞれの手掛かりは独立した点のままだ。
「焦る必要はない」
俺は全員の顔を見渡した。
「地下から持ち帰った梱包資材は、運送会社や工房の記録と照合する。地上の請求票についても、対応する作業報告書と支出の記録を追う。それと並行して、横穴の安全を確保し、地下へ戻る準備を進める。まずは、それぞれの事実を確かめよう」
「了解だ、ボス」
ガルドがうなずき、バルドも静かに同意した。リィネは請求票を手元に戻し、次の調査に向けて書類をまとめ始める。
まだ、答えにつながる決定的な証拠はない。
中央装置の状態も、横穴の先に何があるのかも、分からないままだ。
だが、何が分かっていて、何が分かっていないのかは、少しずつ明確になってきた。
地上の記録と地下の痕跡。そして、再び地下へ向かうための準備。
それぞれを進めながら、俺たちは次の手掛かりを追うことにした。




