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【完結】離縁を切り出した夫は、まだ私の父の援助を受けられると思っていたようです【6/29完結編追加】  作者: 木風


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名義だけ貸してくれれば君に損はないだろう

アルノルトには、クラウディアがなぜあれほど頑ななのか、最後までわからなかった。


「口座証は置いていってくれ」


離縁のための荷物をまとめていたクラウディアに、アルノルトはそう告げた。

クラウディアは衣装箱に畳んだ外套を入れる手を止め、ゆっくりと顔を上げる。


「何の口座証か、もう一度お伺いできますか」

「リンシェル商会のものだ。屋敷賃料の定期払出に使っているだろう」

「私名義の口座ですね」

「そうだ」


クラウディアはしばらく黙っていた。

その沈黙に、アルノルトは軽く眉をひそめる。


まただ。最近の彼女は、何でもすぐに面倒な方向へ持っていく。


離縁はする。それは、もう決まったことだ。

だが、離縁したからといって、屋敷の賃料が消えるわけではない。

借家契約は続く。支払いの期日も来る。王都でまともな屋敷を借りるには、毎月決まった日に賃料を納めなければならない。

そんなことは、感情とは別の話だ。


現在、屋敷賃料はリンシェル商会の口座から自動で支払われている。

名義はクラウディアだ。


ただ、口座証だけを置いていけばいい。

毎月、アルノルトが賃料分の金貨を入れる。

あとは今まで通り、リンシェル商会から屋敷管理人へ定期払出が行われる。


「署名環も家紋印も不要だ。ただ、口座証だけでいい。口座証だけでは出金できないのだから、君に危険はないだろう」


アルノルトは、なるべく穏やかに詳細を説明した。

それで話は通じると思っていた。実際、理にかなっている。

だがクラウディアは、まるで知らない言葉を聞いたような顔をした。


「その口座を、離縁後もあなたの屋敷賃料の支払いに使うということですか」

「そうだ」

「なぜですか」

「なぜって、今までそうしていたからだ」


クラウディアが何を聞いているのか、アルノルトにはわからなかった。

今さら別の商会に口座を作り直し、管理人へ届け出を出し、保証先を変え、余計な手数料を払う方がおかしい。


「金を君に出せと言っているわけではない。賃料分は僕が入れる。君は口座証を置いていくだけでいい」

「でしたら、ご自分の名義で口座を作ればよいのでは?」


クラウディアの声は静かだった。

その静けさが、アルノルトには腹立たしかった。


「それは手間だろう」

「私名義の口座を離縁後も残す方が、おかしいとは思わないのですか」

「出金できないのだから、問題はない」


誤解を解くために続けると、クラウディアは何も言わなかった。

また、感情的になっている。アルノルトは内心でため息をついた。


離縁するとなると、女はすぐこうなる。

何でもかんでも関係を断ち切ろうとする。

しかし、暮らしには暮らしの都合がある。屋敷の契約も、支払いの仕組みも、そう簡単に変えられるものではない。


「クラウディア。離縁と、賃料の支払いは別の話だ」

「別ではありません」

「別だ。僕は君に金を払わせようとしているわけではない」


アルノルトは、できるだけ落ち着いた声を出した。


「そういう問題ではありません」

「では、何が問題なのだ」

「その口座は、私のものです」

「それはわかっている」

「わかっているなら、なぜ置いていけと言えるのですか」


クラウディアはそこで、深く息を吸った。

今度こそ、アルノルトは言葉に詰まった。質問の意味がわからなかったからだ。


「君は最近、話を大げさにしすぎる。僕は現実的な話をしているだけだ」

「現実的に申し上げます」


クラウディアは衣装箱の蓋を閉じた。


「離縁後、私名義の口座をあなたの屋敷賃料に使わせる理由はありません」

「理由ならある。今まで使っていた」

「それは、私があなたの妻だったからです」

「そうだ。だからそのままでもよいだろう」

「よくありません」


クラウディアの即答に、アルノルトは思わず口元を引き結んだ。

どうしてこうも頑ななのか。

こちらが金を求めているなら、彼女の警戒も理解できる。だが、金貨は自分で入れると言っている。彼女には危険がない。手間もない。

それでも拒むというのなら、もう意地でしかない。


「では、口座証は置いていかないつもりか」

「……お好きになさってください」

「最初から、そう言えばいい」


クラウディアは衣装箱を閉じると、机の上に口座証を置いた。




支払日前日、アルノルトは金貨を用意してリンシェル商会へ向かった。


商会の受付は、相変わらず整っていた。

東方風の香が薄く漂い、磨かれた床に午後の日差しが落ちている。

アルノルトはその空気があまり好きではなかった。貴族の屋敷とは違う、商人特有の静かな自信がある。


受付係に名前を告げると、奥から若い商会員が出てきた。


「レーヴェン子爵様。本日はどのようなご用件でしょうか」

「この口座証に入金したい」

「少々お待ちください」


商会員は口座証を受け取り、記載された番号を確認すると、一瞬だけ、指先が止まる。

笑顔は消えていない。だが、目の奥の温度が下がった気がした。


「恐れ入ります。その口座は、昨日、名義人ご本人様のご意思により閉鎖されております」

「閉鎖?」

「はい。定期払出契約も、同時に解除されました」

「口座証がここにあるのにか」

「名義人ご本人様からのお申し出ですので」

「いや、そうではない」


アルノルトは、苛立ちを押さえながら言った。


「明日、屋敷賃料の支払日だ。そのために入金に来た」

「承知しております」

「ならば、口座を閉じられては困る」

「ですが、クラウディア様名義の口座でございます」


ごく当たり前のことを言うような声だった。

アルノルトは、こめかみのあたりが熱くなるのを感じた。


「それは知っている。だから、彼女の口座証はここにある。僕はこの口座に賃料分を入金したいだけだ」

「さようでございましたか」


商会員は丁寧に頭を下げた。

けれど、その声に理解はなかった。


「ご自身の名義で新たに口座をお作りしましょうか」

「なぜだ?今までの口座を使えば済む話だろう」


今まで問題なく回っていた仕組みを、なぜ自分が一から作り直さなければならないのか。


「今までは、クラウディア様がレーヴェン子爵家の奥様でいらしたからです」

「離縁したからといって、支払いの仕組みまで急に変える必要があるのか」

「ございます」


商会員は、今度ははっきりと言った。


「名義人がクラウディア様である以上、その口座をどう扱うかはクラウディア様がお決めになります」

「僕は金貨を入れるつもりだった。彼女に金を出させるつもりはない。彼女に損はないだろう」

「恐れながら、レーヴェン子爵様。損の有無ではなく、名義の問題でございます」

「だから、名義が彼女なのは知っている」

「でしたら、なおさらでございます」


アルノルトには、その言葉の意味がわからなかった。

困っているのは、今、自分だけだ。なぜ寄ってたかって自分を困らせるのか。


「明日の賃料はどうなる」

「現在、その口座からの定期払出は行われません」

「では、管理人には」

「レーヴェン子爵様から直接お支払いください」

「急に言われても困る」


商会員は、困ったように微笑んだ。


「恐れ入りますが、口座閉鎖は昨日の時点で完了しております」

「なぜ昨日なのだ」

「クラウディア様が、そのようにお手続きをなさいました」

「わざとか」


思わず声が低くなった。

商会員の表情が、さらに薄くなる。


「名義人ご本人様の正当なお手続きでございます」


正当。その言葉に、アルノルトは胸の奥がざらつくのを感じた。

クラウディアは、わざわざ支払日前日に口座を閉じたのだ。

自分が困るとわかっていて。

それなのに、商会は正当だと言う。


離縁した途端、これほど冷たくなるものなのか。

アルノルトは心底そう思った。


「……では、新しい口座を作る」

「かしこまりました。ご本人確認、保証人、初回預入金、定期払出先の登録が必要です」

「保証人?」

「はい。王都西区の屋敷賃貸契約に紐づく定期払出であれば、信用確認が必要となります」

「保証人なんているのか?以前の口座の保証人は誰だ?」

「以前はリンシェル伯爵様の後見保証がございましたので」


その名を出された瞬間、アルノルトは黙った。

リンシェル伯爵、クラウディアの父。離縁の話をしたあと、保証人を断った男。

なぜ、そこまで急に態度を変えるのか。

娘が離縁するからといって、今までの関係までなかったことにする必要があるのだろうか。


アルノルトは、口の中が乾くのを感じた。

全員が、示し合わせたように自分から手を引いている。

クラウディアも。リンシェル伯爵も。リンシェル商会も。

まるで、こちらが何か悪いことをしたかのように。


「僕は、金貨を入れると言っているだけだ。彼女に払わせるつもりはない。ただ、口座を使わせてほしかっただけだ」


アルノルトは、最後にもう一度言った。


「その口座は、クラウディア様のものでございます」

「それは、何度も聞いた」

「離縁されたのに、なぜ使えると思われたのでしょうか」


その問いに、アルノルトは答えられなかった。

答えがないからではない。問いの意味が、やはりわからなかったからだ。




翌朝、屋敷管理人から使いが来た。

今月分の賃料が確認できない、と。

アルノルトは、昨日の商会員の顔を思い出しながら、しばらく黙っていた。

腹立たしさよりも先に、どうにも腑に落ちない感覚が残っていた。


けれど、アルノルトにはまだわからない。

自分はただ、今まで通りにしたかっただけなのだ。

ただ、余計な手間を増やしたくなかっただけなのだ。

ただ、彼女に損のない形を選んだだけなのだ。


それなのに、どうして誰も理解しないのだろう。


机の上には、支払われなかった賃料の督促状が置かれている。

その隣には、使えなくなった口座証が一枚。

アルノルトはそれを見つめながら、深く息を吐いた。


まったく、離縁した女というのは厄介だ。

感情ひとつで、ここまで人を困らせるのだから。

日間2位ありがとうございます!

離縁後のアルノルト視点のお話を追加してみました。

よりホラー感が増したかもしれません。

ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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― 新着の感想 ―
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社会にはこういう物事を自分中心に考える宇宙人みたいな人が一定数居るんですよね。 最近だと職員旅行のグループ(色々な部署の交流の為なので、必ず別の部署の人が混ざる)の幹事を引き受けた時に遭遇しました。…
蒸し暑くなってきたこの季節に、何というか現実味のある背筋がヒヤッとするホラーでした(笑) 職場では普通に仕事出来てたんですよね、きっと。でも今回の件で自分で吹聴してるから、「こいつぁやべーヤツだ……
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