36話 災厄をぶん殴る
フェイランは、まるで何事もなかったかのように優雅な微笑みを浮かべ、青空が広がる屋上の中央にぽつりと佇んでいた。
けれど、私にだけは痛いほど分かった。
彼のその瞳が、私を傷つけてしまったという罪悪感と贖罪の念に引き裂かれ、今も揺れていることが。
「……ようこそ。みんな勢揃いで俺を止めに来てくれて、本当に嬉しいよ」
両手を大袈裟なまでに広げ、無防備すぎる隙だらけの姿勢で、フェイランは私たちを一瞥する。
「ぬかせ。お前が手回しをして俺たちをここに呼び寄せたのだろうが。この腑抜けめが」
「言ってくれるじゃないか、ルドルフ殿下。リリアの光の力があれば、君ごときでも俺を討てるかもしれないよ? ……さあ、試してみるかい?」
「……馬鹿者が。己の内に潜む力すら御し切れず絶望した、ただの腰抜けが」
ルドルフ殿下はフェイランの底意地の悪い挑発を鼻で笑い、不敵に唇を吊り上げた。
「まあいい。お前がジゼルとの婚約を諦めてその身を引くというのなら、私にとっても願ってもない好都合だ。……ジゼルは私が責任を持って娶るとしよう」
「ちょ、ルドルフ殿下!?」
唐突に投下された衝撃の爆弾発言に、私は慌ててルドルフ殿下を見上げる。
しかしルドルフ殿下は、私の動揺を制するように、王者の重圧感を孕んだ眼差しをフェイランへ向けた。
「彼女の笑顔は私だけに向けられ、その柔肌を私だけが愛で、そう遠くないうちに私との間に子をなすことになるだろうな。……ジゼルが他の男の腕の中で幸福を育む様を、お前はあの世で指を咥えながら見ていればいい」
「……っ」
明らかに、フェイランの執着と嫉妬を無理やり引きずり出すための煽りだ。
けれど、もしフェイランがここで討ち倒されれば、それは決して嘘ではなく、本当になり得る言葉だった。
「ルドルフ殿下の言う通りです! ジゼル先輩は……あなたが身を引くなら、僕が絶対に幸せにしてみせます! 精神干渉魔法に頼らずとも、先輩の心のすべてを奪ってみせますからね!」
ルドルフ殿下の扇動に同調するように、ケヴィンも一歩前へ踏み出た。
彼らは問いかけているのだ。フェイランという一人の男に対して。
――本当に「それでいいのか」と。
すべてを諦めて終わらせていいのかと。
「ジゼル様の隣は……フェイラン殿下、あなた様の場所です! 他の方に簡単に譲ってしまわれて本当に良いのですか!? ジゼル様の本当の幸せのためにも……どうかその哀しみを収めてください……!」
「……黙れっ!」
フェイランが私たちの言葉を拒絶すように叫び、指鳴りを響かせた直後。
頭上の青空を切り裂き、黒い影が弾丸のごとく落ちてきた。
その刺客の刃は一直線に、光の起点であるリリアへ向けて舞い降りる。
「リリア!」
私の叫びと、冷たくも鋭い金属の激突音が同時に響き渡る。
「初手でこちらの要であるリリアを狙うとはな。どこまでも浅はかな痴れ者が」
刺客の急襲を正面から剣で受け止めたのは、シルバーブロンドの髪を風になびかせたルドルフ殿下だった。
彼はいともたやすく刺客を叩き伏せると、背後のリリアを庇うように堂々と立ちはだかる。
「リリア、下がっていろ。お前はこの化け物を無力化するための要だ」
「ルドルフ殿下……っ、ありがとうございます!」
刺客たちが空間の歪みから次々と姿を現し、私たちとフェイランを隔てるように立ち塞がる。
その刺客たちにはフェイランの守護が掛けられているのか、黒い禍々しい魔力が蛇のように立ち上っていた。
「俺も一国の王太子という立場上、死を阻止しようとする連中がたくさんいてね。……さあ、頑張って俺の元までたどり着いてごらんよ。俺の心臓を止めなければ、世界は本当に滅びてしまうのだからさ……!」
フェイランが手を薙ぎ払うと、屋上全体が視界を奪うほどの深い闇の気配に覆い尽くされた。
むせ返るような強い瘴気が空間を満たし、肌を焼くような不快な冷気が押し寄せる。
「フェイラン……!」
私は恐怖で震えそうになる指先を抑え込み、腰からあの日彼がくれた光属性の短剣を引き抜いた。
その眩い光を宿す刃を、フェイランは目を細め、どこか寂しげに、安心したような瞳で見つめている。
「みんな、私はフェイランの元へ行くわ! 援護をお願い!」
背後に仲間たちの力強い頷きを感じながら、私は迫り来る刺客たちへ向かって勢いよく疾走した。
目の前に、触れるだけで心身を苛むような闇の魔力が迫る。
けれど、私は一歩も立ち止まらない。
「聖なる光よ……!」
リリアの祈りを乗せた詠唱が響き渡ると、その場を支配していた闇の気配が一瞬で雪解けのように溶かされていく。
「お二人に鍛えていただいた光魔法で、この空間全体を清める加護をかけます! ジゼル様……行ってください!」
闇の加護を剥がされた刺客たちは、ルドルフ殿下の剣技と、ケヴィンの精神干渉魔法によって、次々とその足止めを余儀なくされる。
「あの阿呆の目を覚まさせてこい、ジゼル。……私の王妃になりたくなければな!」
「あんな奴、絶対に認めていませんけれど……! それを認めさせられる前に勝手にいなくなるなんて、悔しすぎますから……!」
「みんな……ありがとう……!」
この短い間に育まれた信頼と、心の底からの感謝を込めて、私はリリアが切り拓いてくれた光の道を駆け抜けた。
その先には、一切の抵抗すら見せず、ただ私だけを紅玉の瞳に映し出しているフェイランが立っている。
「さあ、ジゼル。これで物語は終わりだ。災厄の王は打ち倒され、世界には平和が訪れる。……君の知っているシナリオの通りに――」
「フェイランの……バカ――――っ!!」
私は走る勢いのまま光の短剣の上下をすばやく逆手に持ち替え、その鋭い刃ではなく。
硬い柄頭を全力で振りかざし、フェイランの額を思いっきりぶん殴った。
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